前置きは省く。
単なる記録。
2003年版を見た。
まあ、なんか途中で飽きたし、2,3時間経った今、すでに内容を忘れている。その程度のものだ。
まあ、べつにむかしがよかったとか、いわゆる回顧が云々ではないが、むかしのほうがおもしろかったよなぁと、1981年版も見た。
まあ、実際とりとめておもしろくなかった。
単に、今日は身体の調子が悪いから、かもしれない。
ただ、こうやって同タイトルを2作見たという、かなりの時間の無駄をしてしまったことに対して、せめて何かを残しておこうと・・・あれ、省いたはずの前置きが。
今回気づいたのは、自分の中の時代劇のイメージだ。以前も少し話題にしたが、なんだろう。単に時代性の違い、と言うのは簡単すぎる。
81年版を見ていて、しかも始まってすぐ、この雰囲気は、いわゆる歌舞伎? 浄瑠璃? くわしく知らないが、いわゆる古い伝統芸能みたいな、そういったセリフ回しだと気づいた。
冒頭澤田ケンジ漢字忘れたの恨み言を見ていて、いやいや03年版は確かもはや島原の恨みとは関係ないみたいな作りだったので単純比較できないが、ただ、冒頭の訴えかけるもの? としては、沢田けんじのほうが、役者として「役者」らしかった。
続いて女優忘れたガラシャや、武蔵やら、彼らが出てくると、沢田けんじも下手だなと思った。
で、この沢田けんじよりくぼうちはめちゃくちゃ下手だと。
この感想は、役者ではなく「役者」。カッコつきとか、意味深みたいにしたが、どうということはない。自分の中における役者のイメージである。
くぼうちやら、他だれいたっけ? 覚えなしより、沢田けんじのほうがましで、このじゅりーより他が云々。
で、以下はカッコつきにしないが、この役者というもののイメージは、時代性のなかではぐくまれたものという、また同じことを言っている。
ほんと、詳しく知らないので適当になって申し訳ないが、ただ、大学のときの同期が浄瑠璃を論文にしていたので、勝手に思っているだけなのかもしれないが。
81年版はものすごく浄瑠璃っぽかった。
ああ。
さすがに適当すぎるのは良くないと思って調べたらやっぱり違った。
浄瑠璃ではない。
普通に能だ。
まあでも、どちらでも大差ないだろう。多分。
そういうことだ。
81年当時は、そういったいわゆる伝統芸能的な雰囲気があった。
こういった雰囲気をもって、時代劇を感じていた。そもそも、水戸黄門やら必殺仕事人とか、そういった類は見たことがないので。
で、03年版、に限らず、いつぐらいだろうか、役者全体に演技の重みを感じなくなったわけだが、これは別段演技の上手下手の問題ではなく、ただ単に時代性によってはぐくまれていく土台の違い=伝統芸能的雰囲気がないこと。でしかない。のではないか。
慣らされる。という意味では、現代を扱った普通のドラマや映画ではそれほど気にしなくなった。が、こういう時代物をされるとどうしても気になってしまう。
それこそ昨日のテルマエロマエではないが、うえとあやは、むかし、あずみがあったが、あれもかなり抵抗があった。ほかにいま、ぱっと思い出したのが、あれなんだっけ、藪の中を書いたのはだれだっけ。太宰か、芥川か。芥川だ。
めんどうだが仕方ない。調べよう。
たじょうまる というタイトルか。2009年小栗旬。
これは結構おもしろかった覚えがある。が、しかしちょっとした違和感はあった。というよりも多大にあった。ようは話がおもしろかったので違和感を気にする必要がなかったというだけだ。
演技の上手下手は関係ない。
自分の好むところは、つまるところ、80年代以前に育まれていた同時代性である。
いやいや表現が難しい。
もちろん当時はわからなかった。
それは当然のことで、比較対象がなかった。あの当時に比較しようと思ったら、それこそ50年代60年代のものを見なければならないわけで、しかし小学生がわざわざ大昔の作品を探してみるか?
受動的に年月を重ねることで、いつの間にか比較対象が生じていた。で、比較したら前のほうがよかった。理由は伝統芸能的な雰囲気があるから。
これは回顧厨なのか。
しかしなんだろう。例えば最近(ここ数年内)に見た80年代の映画として、七日間戦争はともかく、たとえば里見八犬伝、時をかける少女、ほかは見ていないか。
伝統芸能的な雰囲気あるか? といわれたら、どうかなぁ、と答えてしまう。
まあ、わからない。
わからないが、いわゆる誰もが納得するだろう、80年代的なもの。
そういった意味で、確実に時代について行ってないのかもしれない。むかしに輪をかけてテレビをみなくなったが、世の中から取り残されている感は増した。流行はわからないし、芸能人やら役者やら、久しぶりにテレビを見ても、知らない人が多い。
話が逸れたので終わる。
ただ、そういった時代性を考えると、81年版と03年版はなんだろうコンセプトといえばいいのか、なんだろうか、根本的に違う気もする。それこそ乱の恨みのために行動しているわけではないという03年版は、かなり現代的だと思った。もはや10年前のことではあるが。
単なる記録。
2003年版を見た。
まあ、なんか途中で飽きたし、2,3時間経った今、すでに内容を忘れている。その程度のものだ。
まあ、べつにむかしがよかったとか、いわゆる回顧が云々ではないが、むかしのほうがおもしろかったよなぁと、1981年版も見た。
まあ、実際とりとめておもしろくなかった。
単に、今日は身体の調子が悪いから、かもしれない。
ただ、こうやって同タイトルを2作見たという、かなりの時間の無駄をしてしまったことに対して、せめて何かを残しておこうと・・・あれ、省いたはずの前置きが。
今回気づいたのは、自分の中の時代劇のイメージだ。以前も少し話題にしたが、なんだろう。単に時代性の違い、と言うのは簡単すぎる。
81年版を見ていて、しかも始まってすぐ、この雰囲気は、いわゆる歌舞伎? 浄瑠璃? くわしく知らないが、いわゆる古い伝統芸能みたいな、そういったセリフ回しだと気づいた。
冒頭澤田ケンジ漢字忘れたの恨み言を見ていて、いやいや03年版は確かもはや島原の恨みとは関係ないみたいな作りだったので単純比較できないが、ただ、冒頭の訴えかけるもの? としては、沢田けんじのほうが、役者として「役者」らしかった。
続いて女優忘れたガラシャや、武蔵やら、彼らが出てくると、沢田けんじも下手だなと思った。
で、この沢田けんじよりくぼうちはめちゃくちゃ下手だと。
この感想は、役者ではなく「役者」。カッコつきとか、意味深みたいにしたが、どうということはない。自分の中における役者のイメージである。
くぼうちやら、他だれいたっけ? 覚えなしより、沢田けんじのほうがましで、このじゅりーより他が云々。
で、以下はカッコつきにしないが、この役者というもののイメージは、時代性のなかではぐくまれたものという、また同じことを言っている。
ほんと、詳しく知らないので適当になって申し訳ないが、ただ、大学のときの同期が浄瑠璃を論文にしていたので、勝手に思っているだけなのかもしれないが。
81年版はものすごく浄瑠璃っぽかった。
ああ。
さすがに適当すぎるのは良くないと思って調べたらやっぱり違った。
浄瑠璃ではない。
普通に能だ。
まあでも、どちらでも大差ないだろう。多分。
そういうことだ。
81年当時は、そういったいわゆる伝統芸能的な雰囲気があった。
こういった雰囲気をもって、時代劇を感じていた。そもそも、水戸黄門やら必殺仕事人とか、そういった類は見たことがないので。
で、03年版、に限らず、いつぐらいだろうか、役者全体に演技の重みを感じなくなったわけだが、これは別段演技の上手下手の問題ではなく、ただ単に時代性によってはぐくまれていく土台の違い=伝統芸能的雰囲気がないこと。でしかない。のではないか。
慣らされる。という意味では、現代を扱った普通のドラマや映画ではそれほど気にしなくなった。が、こういう時代物をされるとどうしても気になってしまう。
それこそ昨日のテルマエロマエではないが、うえとあやは、むかし、あずみがあったが、あれもかなり抵抗があった。ほかにいま、ぱっと思い出したのが、あれなんだっけ、藪の中を書いたのはだれだっけ。太宰か、芥川か。芥川だ。
めんどうだが仕方ない。調べよう。
たじょうまる というタイトルか。2009年小栗旬。
これは結構おもしろかった覚えがある。が、しかしちょっとした違和感はあった。というよりも多大にあった。ようは話がおもしろかったので違和感を気にする必要がなかったというだけだ。
演技の上手下手は関係ない。
自分の好むところは、つまるところ、80年代以前に育まれていた同時代性である。
いやいや表現が難しい。
もちろん当時はわからなかった。
それは当然のことで、比較対象がなかった。あの当時に比較しようと思ったら、それこそ50年代60年代のものを見なければならないわけで、しかし小学生がわざわざ大昔の作品を探してみるか?
受動的に年月を重ねることで、いつの間にか比較対象が生じていた。で、比較したら前のほうがよかった。理由は伝統芸能的な雰囲気があるから。
これは回顧厨なのか。
しかしなんだろう。例えば最近(ここ数年内)に見た80年代の映画として、七日間戦争はともかく、たとえば里見八犬伝、時をかける少女、ほかは見ていないか。
伝統芸能的な雰囲気あるか? といわれたら、どうかなぁ、と答えてしまう。
まあ、わからない。
わからないが、いわゆる誰もが納得するだろう、80年代的なもの。
そういった意味で、確実に時代について行ってないのかもしれない。むかしに輪をかけてテレビをみなくなったが、世の中から取り残されている感は増した。流行はわからないし、芸能人やら役者やら、久しぶりにテレビを見ても、知らない人が多い。
話が逸れたので終わる。
ただ、そういった時代性を考えると、81年版と03年版はなんだろうコンセプトといえばいいのか、なんだろうか、根本的に違う気もする。それこそ乱の恨みのために行動しているわけではないという03年版は、かなり現代的だと思った。もはや10年前のことではあるが。