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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

涙腺が緩む

2013年12月17日 | 雑文日記
 信長創造は、まあ、またいずれ。
 PKに期待したいとは書いておく。

 とか言いつつ、もう少し書いておくと、時代性なのだろうか。なんなんだろうか。
 ただ、三国志12よりはハルカに遊べる。
 もっとも三国志より信長の世界観のほうが好きだから、という単純な理由によるだけなのかもしれない。

 革新の櫓防衛が好きだったので、そういった手法で絶対防衛手段が確保できず、CPUの攻略AIに対応するために、とにかく拠点拡大を目指さなければならないプレッシャーが好きではない。
 というのは、ようは内政のみで富国して、ある程度目処がついたら戦争を始めるというプレイスタイルが取りづらい。まあ、これは革新でもいえたことではある。選択大名によるのかもしれない。

 とにかく、リアリティを問題点にしていた創造だが、リアリティがあればゲームとしておもしろいのか、という点に話題をもっていける。
 なんだかんだ、自分が楽しみたいのは、ゲーム性でしかない。


 さて、JOJOの三部を読んでいた。
 イギーが死ぬところと、スージーQとホーリーのところと、あとラスト部分でうるっときた。
 リアルタイム。もしくは以後、ここまでうるっときたことはなかった。

 銀英伝のヤンが死ぬところは毎回ウルット来るが、まさかJOJOでうるっとくるとか、ありえないと思った。のでこれを書いている。

 思いつきなのだが、どうしてうるっと来たのか、年を取ったからだと思った。
 リアルタイム当時と現在と違うのは、単純に年齢である。
(銀英伝の場合で、昨今もはやウルットこないとかであれば、さすがに見飽きたからとか思うわけで、その逆だから気になったわけだが)

 まあ、やっぱ止めておこう。酒をまだ飲んでないお昼前だし。

のぶながのやぼうをかんがえる。

2013年12月08日 | 雑文日記
 貴重な休日を無為に過ごすのはいつものことだが、15時ぐらいまで寝ているとか、どんだけ最近疲れているんだよ、という気分である。
 こんなに寝たにも関わらずまだ眠いというのは久しぶりである。

 あと4日ほどで信長の新作が発売される。アマゾン予約をしているが、たまたま当日休日だが、はたして発売日当日に到着するのだろうか。あまり当てにしていない。

 近いところで三国志12に失望させられながら、どうして同じ轍を踏むのか。とも思う。
 いやいや、三国志12は本当に失敗した。PKでどの程度改善されたのかは知らないが、二度とプレイする気にならない。一度もエンディングを見ていないのに(そういえば三国志11もEDみてないな)。

 棒掲示板等でいろいろな意見を見るが、人の好みはいろいろだなと思う。
 それこそ自分にとってはクソな三国志12もおもしろいと思う人もいるのだから。そういう意味でどういうものがおもしろいのか、という意見はどうでもよくなってくる。

 ただ、ベンチマーク?の合戦を見ていたら、はぁ。
 必殺技やら突撃やら、どうにもこうにも。
 いやいや。
 なんだろう。

 ようは演出が嫌いなのだろう。
 それこそ新ギレンでキャラにスキルがついたのはおもしろいと思った。
 武将がスキルをもつこと自体には反対しない。それによって個性がでるわけで。

 ようは個性を出すといった意味で好印象なスキルを、過剰に演出することで武将自体とスキルとどちらが重要なのかという印象を与えられる、ということなのか?
 ああ、うまく説明できないのは酔っているからではなく能力の低下だろう。

 いまふうに述べるとしたら、中二病か。
 ちょっと違うかな。

 演出過剰による本末転倒?

 武将を使って楽しみたいのに、武将に個性を出すはずのスキルを有効に使用していくという感覚。
 スキルが使いたいのではなく、武将が使いたいんだよというジレンマ?
 そんなことを思った。

 あと、戦略ゲームか戦術ゲームかという問題は難しい。
 寡兵で大部隊を撃退する楽しさは戦術ゲームである。
 普通に楽しむならこっちのほうが楽しい。

 群雄伝で夜襲を使って多数敵を倒していく楽しさは、リアリティーはなくても、今でもおもしろい。
 そういう「ゲーム」として考えて、ゲームとして楽しむ。

 なのでよく三国志11はくそげーだとかあるが、なんのその、自分はおもしろいと思っている。
 たぶんほとんど最初にプレイした三国志だからだろう。箱庭的内政もコツコツつくるのは楽しいし、ターン制の戦闘もおもしろい。
 問題は、占領のたびに建設物が全壊するので再建がめんどくさいこと、戦闘AIはとにかく突撃あるのみで武将を使い捨てにする。防衛に成功してこちらが攻める頃にはまともな武将が残っていないといった不満。まあ、防衛に徹するプレイ方法が悪いのかもしれないが。

 ほかに三国志をしらないから言えるのだろうが、しかし自分もよく口にするリアリティーの問題で文句を言う人もいる。
 (あの時代に限らず?)中国は城塞都市なので城の外に内政建築物を作るのはおかしい。

 たしかに一理ある。
 が、三国志12のような城郭の中に建物を作っていくのもなんだか箱庭間隔はない。12のシステムが悪いからかもしれないが、城砦内に建築するならもはや画像はいらない。数値だけでいい気もする。

 最後に、前にも書いたが革新の不満は、膨大に増える兵士についてである。
 拠点負傷兵を飲み込んでどんどん兵力を増やすとか、ゲーム的なシステムとして、ゲームを楽しもうとする自分にとって、なんか納得のいかないシステムだから、リアリティーがないといって不満を言う。
 ゲームなんだからそもそもリアリティはないのだが、文句の根拠をリアリティーに求めているのだろう。

 ゲーム的におもしろいかどうか。問題はそこなわけだ。結局のところ。

 ほんと、雑文。

銀英伝について少し。

2013年12月03日 | 雑文日記
 雑文にしておく。

 ちょっと最近、久しぶりに見直している。アニメを。
 まあ、作業の背景的な見方ではあるが、ついつい見入ってしまったりする。
 だから作業は何も進まない。


 さて、「この年ケンプは36歳」
 とか。

 つい笑ってしまった。
 というか笑わざるを得ない。

 少し前、ああ、ヤンやロイエンタールよりも年を取ってしまったなぁとか思っていたが、いつのまにか、いつのまにか。
 そのうちレンネンカンプとか、はてはビュコックとかが年下になってしまうのだろうか。

 怖いなぁ。

 追記
 実はレンネンカンプも36歳だったりする。こりゃまいった。トホホ

雑談5

2013年12月03日 | 雑文日記
 4で」やめるつま、つrも

 4でやめるつもりだったが続ける
 ただし、あまり言い訳はしたくない

 雑dくぁん

 今はだづたん さずtんだ

 雑談2~3ぐらいの宵であり、酔い、書き終える頃には多分ある程度冷めているだろうと予測する。

 wなぜかく

 なくぜk
 何故書くのかといわれるならば、k本音が出るからだとおおm思う。
 ただ、1~4まで、では、本当に宇ほん根がd

 本音が出たのかと問われれば、こうやって掲載していうr
gか
 限り、¥ほんねがでていたは¥とおもえない。
 
 仮に、あくまでお借りに」 」
 死ぬほどよっていたおちsたおsk
」 しぬ」「」

 死ぬほどよっていたとして、では、mほんとうに本音3尾書いたのかといわれたら、
 たぶんかなkじゃ

 たんb

 多分、書かない。
 それが自分である。

 だからくらくしょhんお件で腹が経つ。


 人間にはいろいろな人間がいる。
 A.B,C、D
 十人十色、まさにそのとおり、たとえば物事にたいしてははっきりいえる人、言えない人。
 自分の考えを出せる人、出せない人、他人の力を借りて上手く出せる人、

 自分を偉く見せようとする人、根拠がないでの自身のない人。

 ^-

 若い頃であれば、幻想的に可能性に夢を見る。

 まだかわれっるのではないか。
 いや、たしかに都市をとろうとも変われるというの可能性はある。
 だが、平凡なひとにとっては、自分の身体的状況から実感できる。

 自分は自分でしかない。
 これを若い頃から思うことも多々ある。¥

 成功できる人間ならそれでいい。
 では、せいこうdきない日とはどうすっれあいいいのか。

 けkkyちくyのところ、これが問題なのだろう。
 根本的にこれがある。
 
 まさしく。
 自分だは、駄目人間である。
 この事実はかなる

 この事実はかなり辛い。
 だ、艶な

 だめのあ
 駄目なひん
 駄目な人間のすることが、では世の中をうごかすことがdきえうrのかろうが。
 できるのだろうか。

 逆にいえば、世の中を動かしたい。
 少なくとも現実ををよ
 揶揄して、親近感をもたせて、自分んテリトリーに入れて安心するような雰囲気のある現代性を間違ったものとして断罪したい。
 が、そもそもそういった風潮にあるのか現代は?みたいな疑問もうく。
 勝手な思い込み、それこそちゅうみbyほうである・

 ちゅうにびょうである。
 どうしてちゅうんにびょうでもこいがしたいにアニメ2きがあるのか、これは大変リアルな現代問題である。
 なのdでここで考えておこう。今思いついた笑える。

 あくまでも自己
っひ
 批評である。

 おおえけんbざすぶろんtではないが、個人的体験の問題でしかない。
 世界は自分を中心に回っているのである。

 ターゲット・
 範囲があまりにもアニメぎょjかいに偏っている。
 これ自体、視野を広くして神の視点で考えろというところから逸脱している。
 逸脱?

 いた
 いや、別にそれはどれでかまwない。
 アニメの話がしたいならすればいい。
 アニメの土俵で。

 だが、アニメ行j回狭いだろう。
 金の問題だ。
 大人の事情だ。

 金が稼げないならやめてしまえ。
 その結果、80ん4んだい
 80年代、90年代のようjな、とりあえずなんでもつくってみよう的なおもしろさが、ないのではないか。
 他人の責任にするよjな表現で恐縮する。
 そろそろ酔いが冷めてきているのかもしれない。
 心持、誤字というのかうちまちがいがへってきている。
 なので寝ることにする。

 あえていうならm、神はさった。
 かみのいないせかいでは、人間には人間にしかできない程度のことしかできない。

 よったあgへくの
 酔った挙句のオチとしてはこれ以上最低なものもない。
 
 ただ、人間性を感じられる範囲内のものに、優れた芸術性はありえない、のではないか。
 でも
 ピカソの絵は理解できない。

 年をとるたびに、神がかり的な、神秘的なものを欲してきているのかもしれない。
 それは、人間tとしての自分に、人間として何も出来ないという負のけいけんからきているのかもしれない。救いは神にしかない。
 人間の自分にはな何もできないのだからという。
 自分の可能性を自ら殺しているものとして。
 

雑談4

2013年12月02日 | 雑文日記
 3まで。投稿ボタンを押してから、ブログを読み返した。
 書いている気分で、今まさに同時代的におもしろおかしく酔っている状態だからこそ、許している。
 アア、a

 良いのさめgた自分よ、こんなまじ、よぽぱの

 よっぱのたわごと真っ最中のあほらしくよmき
 あほらしくよみづらいものであって、これこそ酔っ払い中に書いた文章だという真実の記録として、永遠に残しておいてくれ。

 よtった
 寄った
 酔った状態で読んでいると、かなりおもうぃろい、おもしろい。俺だけかもしれないが。
 k
 いやいや、これが重要なのだ。
 この自分自身がおもしろければ問題ないのである。
 ただ、他人に迷惑がかからなければ。


 という思いが、現代をつくてち
 つくっているのかもしんれないとおもったりする。
 その結果、やっぱり他人に迷惑がかかっている。
 そ
 というちょうなことを考える事じたい、間違っているし、いわゆる過剰なわけだ。

 他人に迷惑をかける人間は、他人に迷惑をかけようとして生きているわけではないのではないかと、ようやく思った。
 自分の好きなように生きている。
 い
 嫌味他らしくいえば、他人が何を考えているかまったく考えないあほが、自分今年か考えずに行動している。他人のことなんか考えることができないから。
 という


 という程度のことなんだよな。

 でも、だとしたらどっちが幸せなのかと思ってしまう。

 他人のことがわからずに自分勝手に生きる人間と、
 他人のことがわかってしまうだけに、自分勝手に生きられない人間と。

 文学とは、しょせん後者の傷のなめあいではないのか?
 
 と思ってしまう。
 前者はそもそも文学に興味を持たないだろう。
 嫌味とか偏見とか、そういったまいなすイメージではなく、自分にとって何が楽しいのかとおいうことを考えれば、文章読むとか、それより現代的にいえばアニメのほうがわかりやすく、こうかくきどうたいとか、なんだか考えないとわからないものよりも、ぱいとかせいゆうとにえろいせりふえいわせてむほhむほなあにめのほうがおもしろちいといういみd・え

 むかしからけいたいのきらいなじぶんだからいうわけではないが、すまーとふぉんはきらいだ。
 おかげで大作といわれるげー0むができなくなったから、ではなく、
 むだにねっとげーに人生の大半を奪われてしまった結果、なにもうるものがなかった自分のきりょうなしをshはんせいするわけではないが、容易にできるゲームえお

 ゲームを許せない。
 遊びも本気出せ 
 仕事の片手間にできるようなげ0むとかとか、
 しね・
 さしがも

 さすがによし
 さすがにちょっとよいすぎた。やめる。
 たs

 ただしこれだけは書いておく。
 本音だから、将来のじぶんのtめに残しておくこと。
 かなr「はうかしい
 かなり恥ずかしいが、これは残しておいたほうがいいと思う。

雑文3

2013年12月02日 | 雑文日記
 ギターのことはかいたっけ?
 忘れた。


 さて。
 はぶとよねながの80年代後半の大局を(ちょっと編集してあるようだが)60分ほどの動画を見た。

 将棋世界の話は知らないし、月下の岸も覚えていない。もうy、めんどくさいので誤変換もむしする。


 月下の騎士にでてくる天才少年岸はたしか、はぶらしい。というおぼえはある。

 子供が大人を打ち負かすというのは、ヒカルの碁ではないが、将棋や碁、ぐらいしかないのではないか?

 たとえば天才歌姫とか、
 アホかと思う。

 うただひかるとか、一応しばらくしてから、歌うまいねとは思ったが、世間が言うほど凄いとはおもわかなかった。いや、もしかしたら今現在、でびゅーとうじの歌を効けば、もしかしたら、おおすごいとおもうのかもしれないが、とうじは反感的になにもおわなかった。

 興味がなかった。
 バンドなどで音楽に興味があったにもかかわらず。

 もちろん興味という点でいえば、将棋ににきょうjみがないきょうmきい

 商銀いきょう

 将棋にきょうjみk

 将棋に興味がないのなら、これからの話はどうでもいいわけだが、芸術の問題をすきかきらいかで判断するような天才製という曖昧な判断具合と、勝敗の結果であほやばかでもわかる結果がみえるものとして、はぶがものすごく強かった・かっていたという記録を考えると、

 はぶはものすgぽく

 ものすごく強かった。というのは客観的な事実として受け入れることができる。
 世間性は関係ない。勝敗の結果としての事実を残している。

 問題はここからだ。
 その彼が、それこそ、当時高校生の身分で打ち破った米長云々のその年齢に達している今、では何を思っているのか。

 渡辺云々も、2013年当時、何歳だ? 若い天才が現れたみたいな情報を数年前に見た覚えがあるが、この数年前は、もしかしたらもう10年ぐらい前なのか。・・・

 ・・・を書きまくりたい気分だが。

 若い頃に天才といわれた人が、若くなくなってしまったときに何を思うのか。
 しかも、客観的には、若くはないが、未だに天才的である場合。

 こどものときにすごいといわれても、大人になれば平凡、とか切り替えしたのは法然か親鸞か。
 
 忘れたが。
 子供にとって、大人を打ち負かすというのは、おもしろいことだ。
 子供にとっては。

 しかし、社会、「@syかあ

 「社会」は子供のつくったものではない。
 もちろん大人のつくったものでもないが、子供か大人か、
 どちらに類するのかと単純に質問した場合、大人になるだろう。

 これはたいへんむずかしい問題だ。
 いやm、おとな、こどもと分類するのが悪いのかもしれないが、先日来、昨今のなれ慣れし差の問題は、こういった問題が

 わからない。
 わからない。

 次につづけるほど文字数が、ああ、かせげそうだが、話をかえる。
 次にしないのは、もはやアホらしいからであるが。

 今期アニメ結構みている。見るものねぇなとか思っていたが、実は結構見ている。

 宇宙兄弟、ハンター×2、化物語はともかく、
 マシンドール・ガンダム・アルペジオ・キルらキル・脳コメ・勇しぶ(見るのやめた)

 ましんどー^るについては少し前に書いた気がするが、ここまでくると、正直見るのを止めたくなった。勇しぶは12月2日現在における最新話分でやめた。
 さきに書いておこう。
 はたらく魔王みたいなおもしろさを期待したが、ふつうに、作者の経験談かどうか知らないが、普通の電機業界・・・ぷw 電機業界とか、おれどんだけ丹後しらないの?みたいな。
 リアルなアルバイト経験の話をされても困る。
 見たいのは、あくまでもファンタジー世界であって、現実世界ではない。
 はたらく魔王が、ファンタジー世界の出身者を登場人物においた、いわゆる、戦国時代の人間が現代に現れたギャップを楽しむという楽しみ方があったのに、勇しぶは、単に現代的なリアルなアルバイト状況の報告でしかない。うえに、たんにお○ぱいとか、そんなもんばかり全面に出してきて、もはやもはや。

 見続けても構わないが、逆に言うと見なくてもなんの問題もないわけであり、この場合、見続けても構わないという思いはあるが、時間の無駄と言う意味では、見続ける必要性は一切皆無。

 マシンドールについても同じ思いがし始めている。
 ちょっとまえに絶賛したのだが、なんだかんだ、あまりよくない雰囲気がする。まああ、さすがにここまできたら最後までは見ると思う。(ここまできたのに最後まで見るのをやめた勇しぶと何が違うのかを説明しずらいが、あえてせmつめいするとしたら、絵が可愛いからだろう:」

 あるぺじおはあしんど^-るとは逆に話数がすすむにつれてひきこまれていた。が、まあ、早い話が、いわゆる「萌え豚」むけな展開になると、やっぱりがっかりした。とはいえ、ましんどーるよりはおもしろくなってきたとおもう。

 これはただし、かなり難しいもんだいだ。とおもっている。
 がんだむ、きるらきるのはなし荷物ながら宇賀

 話にも繋がるが、

 おもしろければいいのか?

 という疑問である。

 酒を飲んで、楽しい気分になろうとしたら、おもしろければそれでいいという物語展開・設定は、大変おもしろい。
 今日見たガンダムビルドも大変おもしろかった。
 いや、子供むけだし、それでいいんだろう。子供向けのものに、どうして大人が真剣にならなければならないのか。
 それ自体がもんだいなわけである。

 という問題を感じた。
 ということをいいたかったのに、暗くシィん、くyら

 クラクションとか。

 まあ、これをいわゆる暗黒として、あえて挙げておく。
 いや、さすgない

 いや、さすがにh9いど
 いや、さすがにひどいとおもって消去するだろうが。

雑文2

2013年12月02日 | 雑文日記
 思いがけないストレスはさっきにすべて吐いたことにして忘れる。
 ほんと、よほど腹がたったのだろう。あのクラクションは。


 さて。
 今年1月に改革とかいってはじめた行動も9月から停滞している。
 はっきりといってしまえば、仕事に時間を無駄にとられるからである。この表現はおかしいな。
 勤務体系が変わってしまって、しょうがない結果なわけだが。いやいや。これを言い出すとほんとに文句しか出ないので、こういう話はほんと、ここで終わる。




 酒に慣れたという意味もある。前年の人間ドック再検査以降、この再検査前日以来、酒を飲まない日は1日もない。? もしかしたら1日だけあるかもしれない。覚えていない。
 が、1日もないといっても過言ではない。

 飲むと眠くなる。しかも身体を動かして頭も無駄に動かすので疲労度は半端ない。
 11月に入ってからは、かなり酷い。せめて休日が多めに設定されているのが救いだが、仕事にリズムを合わせてしまうので休日にうまく頭の・・・だから仕事の話は一切いれたくない。





  なんにせよ、自分改革のひとつとして1日のメモ。ようは日記をつけることをしていたが、まあ、さいあく忘れても2,3日分が一回分としてまとめられる程度のものが、月を追うごとに云々。挙句に11月はほとんどメモしていない惨状である。
 12月にはいったことで心をいれかえようとしたが、今日は2日か。
 昨日なにしていたんだろうね。
 今日なにしたんだろうね。
 クラクションか?


 むう。やぶへびだ。
 こんな、雑文を書かずに寝ていれば、朝のクラクションの話は永遠に忘れていたのだろうに。


 でもがんばって忘れる。



 JOJOのPS3?のゲーム動画を見ていた。
 おもろいね。
 で、なぜか(ようつべ)将棋に移る。

 ハブの凄さをずー^^^^^^-0--っと見ていた。
 凄い。

 さいきんよねはら?めいちょかいちょう?が死んだらしい。という話は新聞で見たかもしれないが、まあ、そもそも将棋会の話は知らない。少し前に書いたが。
 ただ、小学生とかのころ、日曜に将棋の番組は見ていたと思う。
 ただ、ヒカルの碁のような、子供が大人を倒すおもしろさというものを感じなかったという意味では、ハブのことは、いやしかし。
 ハブは1986年当時で高校生だった。当時小学生としては、やっぱり大人なわけだ。高校生は。

 まあいい。
 そんなことはどうでもいい。

 ヒカルの碁がおもしろいのと同じように、月下の騎士も、けっこうおもしろかった。
 覚えていないので読み直そうとネカフェに行きたかったが、酒が優先した。
 酒は悪だ。

 でもね、飲酒運転は大学以来していないが、酒を飲んでいても、ネカフェまでなら安全運転でゃできるとおもう。

 あぶない思考だ。
 でも、いや。3杯目を飲もうとしている今現在のよい具合は、さすがに運転できないが。
 さっきも酒こぼしたし。

 。

 いやまsじかなりよっている。
 さっきの文章も、ふつうなら最低一度は読み直すのに読み返さないままに投稿ボタンをおした。

 たぶん、しばらくしたら下書きに戻すかもしれない。下書きにもどせば衆目の面前にでるこてゃない。

 で。
 1986年か89年か忘れたが、当時高校生のハブが、当時の有名棋士をばったばったと倒した。
 たとえば上述最近なくなった米原?名誉会長。
 名前間違っていたら申し訳ない。
 将棋に詳しくないので。

 ハブが勝利した大局動画を見たが、そういえば、(米長だった)、米長というあの風貌には、なんか見覚えがある。
 もしかしたら、当時のハブの大局姿をリアルで見ていたかもしれない。(ハブVS米永を見たといういみではなく」

 ともかく、
 ちょっとアヤ?がわるいので次にする。

雑文

2013年12月02日 | 雑文日記
 久しぶりにいい感じに酔っている。まあ、よくあるセリフか。

 3杯目は久しぶりだ。
 最近は1っパイのんで二杯目もしくは途中で寝ている。
 何もしていない。
 何も。

 さて。
 久しぶりにギターの弦を交換した。前回はいつか。覚えていない。
 ギターを再開して1年と8ヶ月ぐらいがすぎたか。
 未だにまともに一曲もひけない。
 というか、まともに覚えられない。

 しかしまあ、前にくらべたらLittleWingのソロも、50%ぐらいできるようになったし、Xの紅も、少しひけるようになった。
 年月のわりに、たいして進歩していないが、まあ、まったく進歩しないよりはマシだろう

 12月1日はいい天気だった。たぶん今日もいい天気だったのだろう。
 ようやく鳥取市にもコメダ珈琲ができたので、やっと行った。

 ああ、途中嫌な事があった。
 なんとも。
 夜になった今でも思い出すと腹がたつというのは、ほんと、ストレスに弱い体質になっているんだろう。とことんストレスを感じないように生活している結果、ちょっとしたストレスを与えられても腹がたつ。

 しかしこうやって思い返すと、去年のイライラはやっぱり禁煙のイライラだったのだろう。
 去年ほどではないが、去年並みの忙しさ=仕事を強制される時間=ようは残業時間が、それなりに多いのに、去年ほどはイライラしていない。
 いやもちろん、残業を強いられてしまっている現況をまともに直視して考えると、はらわたがにえくりかえる。貴重な俺の時間をむりやり仕事させやがってくそ、しね。
 が、9月からずっとである。

 まあ、思い返すのもどうでもいいたいしたことではないし、一応、うむ。一応。
 ウインカーを出さなかった自分も悪かったが、クラクション鳴らされたのは、たとえ相手がシーマかそれに類した車種だとしても、やっぱり文句言うべきだったかと思った。(広い駐車場でいわゆる通行路から右折してすぐの場所に空きが見えたので、ウインカーを出さずに右に曲がろうとしたが、ちょうど対面から2台来ていたので曲がれなかった。この状況で、まあ、ようは、ああ説明しなくてもコメダの場所がわかるなら意味がわかるだろうが、カインズ敷地内に入る前から後ろにつけていたシーマみたいな車がいたが、一応こっちはスポーツカーでもあるし、まじ寝起きで運転していたのでイライラしていたから飛ばしていた。抜いたとか後ろにつけていたとか、そういったプレッシャーを与えていたのだとしたらこちらが悪いのだが、29号線の右折ぐらいから後ろにつけていただけのシーマが、普通に曲がったり直線ではこっちは飛ばしていたから云々の後ろの車が、たしかにウインカーを出さなかった自分も少し悪いが、対面の2台がいて空きスペースに入りたいが動けずに止まっていたところで、追いついてきて即行クラクションを鳴らしたのが、かなり腹がたった。

 ほんとで降りて文句がいいたかったぐらい、腹がたった。
 たしかにウインカーを出していないのは悪いが、目の前で唐突に急停止したわけでもないし、仮に自分だとしたら、ウインカーは出していないが、右に曲がりたいんだなというのがわかるから、対向車がいて曲がれないんだねと思うのに、

 なんでクラクション鳴らすの? と思ったら腹がたった。

 たしかにウインカー出していないのは悪いとは思う。

 だけどなんでクラクション鳴らすの?

 いやべつに、イライラしていなければ、いいのかもしれないが、やっぱイライラしていたのかなぁ。
 でも、今こうやって思い出しながら書いていても腹がたつ。

 何が言いたいか、まあ、いつもどおりはっきり書いておくか。

 自分なら、クラクションを鳴らさない。
 だけど、そいつは鳴らした。
 それが腹がたつ。

 では自分も同じ場面にあえばクラクションを鳴らせばいい。
 でも、鳴らされた相手は、腹がたつかもしれないし、また、焦らされたりするかもしれない。
 平常心がかき乱される。

 よほど迷惑に思えるほど長い時間を、イミフな停止をされるならクラクションを鳴らしたくなるが、状況を鑑みた場合、自分ならクラクションを鳴らさない。

 ああ、でも、第三者視点では、やっぱウインカーをだしていなかったのは悪いなぁと反省してしまう。

 が、
 この反省してしまうこと自体腹がたつ。

 やっぱり自分はあの場面でクラクションを鳴らさない。すくなくとも、「すぐ」には鳴らさない。
 対面車が行き過ぎれば、前車が曲がるのだろうと予測するからであり、対面車の通行もすぐに終わると予見できるからである。

 なのに鳴らした。
 だから腹がたつ。

 むう。こういう話が書きたかったわけではないが、とりあえず今日あった出来事を順序だてて囲うとしたらこんなことになってしまった。

 朝からイライラしていたのだろう。
 イライラの理由は、つまるところ上記である。
 せっかくの休日なのに、なんで仕事のストレスを解消するために時間を無為に費やさなければならないのか。
 無駄な時間である。
 ほんとに無駄である。
 

 まあ、ほんもののやくざでなければ、相手にとってはなに?このへんなやついきなり車おりてきて文句言いに来たアホじゃない? と思われるのだろうが、まあ、そのとおりに、なんでクラクション鳴らしたの? と嫌味を言うべきだったと今でも思っている。

 

酔いにまかせて。

2013年09月01日 | 雑文日記
(前書き。以下は8月23日の酔いにまかせて書いたものである。UPしなかったのは後日の説明にあるとおり、恥ずかしいと思ったからである。ただしこの恥ずかしいとは、最後の一文、あれこんなこと書いたっけ? と思う、というか、書いたことを忘れてしまうほど酔っていたことについてである。読み返した今、まあ、内面をさらけ出しすぎたというわけでもなく、問題ないだろうと思ったので挙げる。なお誤字を少し直した程度で原文のままである。)



 当ブログの6割以上をしめる書き出しではないだろうか。

 酔っている。

 ともかく、以下、読むに耐えないと思う。最初に注意しておく。

 さて、そもそもこんなに腹が出てしまったのは禁煙にはじめるわけで、今日、ひさしぶりに、やっぱりタバコ吸いたいなあとか思った。だけどそれで吸わないのが、ケチの証である。

 一箱440円、1日880円、一ヶ月で26400円、一年で・・・

 おお、30万近く浮いたわけだ。
 こんなにお金浮いたのにふーぞくとか行かないとか、めっちゃケチだ。と思っている。

 つまるところ、どうやらストレスがたまっているのだろう。無理して今日、ここにおける文面を書くようなつもりはなかった。普通に酔って寝るつもりだったが、いかんせん? どうしようも、とめどもなくあふれ出てくる、こともない、なんとなく。

 先日、まさに先日、やはりオレの青春ラブコメ以下略の話を書いたが、やっぱりおもしろいと思った。
 もちろんその程度ではわざわざ書かない。

 ようは、この今、このとき、すっげぇ、おもしろいと思ったとして、しかし、では1年後まだおもしろいとおもうのかどうか。
 
 おおむかし、友人がもってきて見たエヴァンゲリオンは当時、ものすごくおもしろかった。大学に入って、わざわざ映画館に行ったりもしたし、内容について、カテキョーの子に熱く?語った気もする。
 ふむ。懐かしい。相手は女の子だった、気がする。
 男に女の子を斡旋するのは、別に珍しいことではないのだろうが、まあ、それなりに楽しいことだった。

 ともかく、当時はエヴァにはまっていたが、2,3年ほどしたら、ものすごく嫌いになった。もちろん普通に嫌いというのとは違って、微妙な心の加減、微妙な気持ち。好きだからこそちょっかい出すみたいな、雰囲気での嫌いなわけで。
 無視するということは意識しているみたいな。

 新がスタートして以前も書いたようにおもしろいといえるわけだが、自分の体験から言えば、かくのごとく。
 当時はおもしろいと思っても以後、自分の想いをくつがえすような事案は多々ある。
 これを実証するには、実際数年を経なければならない。
 単純に時間の問題であり、実際時間が経過しないとわからない。くどいか。

 ただ、それでも、やはりオレの青春ラブコメ以下略は、数年たっても、自分にとってものすごくおもしろいと思わせる作品ではないのか? と今思っている。

 ながーい、微妙な言い回しだったが、意図はくんでほしい。酔っているから適当な説明になっている・・・。この・・・の部分に、涙がちょちょぎれているわけだが、この涙の理由も察して欲しい。(笑。書いたときは・・・の部分の意味を理解していたが、中途で書いたところまで読み直している今、・・・の意図がわからない(笑) どうしょう(笑))

 この2ヶ月ほど、とにかくリアリティーの問題が、ときどき身をつきさす。いま、てきとうに表現した。

 酔っているからはっきり言ってしまおう。
 何を?

 今日の昼に、略。
 NHKタイガドラマの八重のサクラ

 多分おもしろいと思う。仕事の休憩で土曜の昼にときどき見ることがあるが、なんとなく悔しい気持ちがするが、おもしろいんじゃないかと思っていた。
 まあ、そのことはいい。

 で、この作品、今日の昼の宣伝を見ている限り、東北に元気を! みたいな趣旨があるらしい。

 それを言われると、正当な評価はできないよな、と思った。
 ひねくれた思考で赤面の至りだが、苦難に満ちた東北に気力をあたえるためにも、福島・・・アイズって福島だっけ?

 を舞台にした以下略。

 調べるのめんどうなので調べないが、女が主人公の作品は基本きらいで、女が描いた作品はもっと嫌いだ。
 男と女をきっかりとわけているのが、自分の何か、みたいな。
 
 好みの問題だ。
 というかリアリティーの問題で、いやはや難しい。

 ほんとうに難しい。
 この10年ちょい、とにかく真面目に考える事をしなかった。考えれば考えるほど、自分の能力のなさ、および気分が暗くなるという生理的現象の前に、何も考えないバカ丸出しで生活せざるをえなかった。
 ほんとうに考えられない。
 いや、これは確実にいいわけか。

 結局のところ、突き詰めて考えるほどの能力がないというのが事実である。

 いや、そういう問題ではなく。

 

 あまりに無駄にすぎる。たんに愚痴を口にするのではなく、文章にしているだけだ。
 愚痴は嫌いだ。生産性がない。

 うむ。
 たぶんいま、めちゃくちゃ酔っているから、酔っていることを理由に、こんな上述、くっだらないことかいてもゆるされるよなみたいな、酔っている主観で言えば、

 ライトノベル的展開は、ライトノベル的展開、ひいては少年向けアニメ・漫画等の内容を他のジャンル(映画や演劇、小説等)以上に見なけれている対象=読者にむけられたものである。
 というあたりまえのはなし。


 アニメや漫画をいっぱい見、親しんだ不特定誰かに対して、むけられたもの。
 逆に言えば、アニメや漫画をみたことのない人には、大層、無意味なメディア。

 
 同じように逆に言えば、アイドルが好きで、そのアイドルがでているからドラマを見る。おなじように好きな俳優がいるからドラマを見る。
 俳優やアイドルをとくに好きでなければドラマを見ない。


 なんというか。
 
 別に見る人は物語展開やシナリオを第一義に見ているわけじゃないんだよな、
 好きな人が出ているから見る。それとは関係なく、おもしろい物語・展開であって欲しい。(でも、かりに話がおもしろくなくても、好きな俳優がでているから見る」 それがドラマの見方ではないのか。

 とか。
 まあ、適当におもったことを、酔いにまかせて(いい訳だな)書き連ねる。

 書き連ねた結果、死んでも有名なyosidakennkouとか、うらやましい。

 

愚痴る

2013年08月18日 | 雑文日記
 今しがた、夏の庭の話を書き終えたが、少々不満なので、思い切って、節度を保って愚痴る。

 節度を保つというところが、自分の情けないところかもしれない。

 さて。

 ファイアーエムブレム聖戦の系譜をネタに小説を書こうと言ったのはいつだろう。調べればわかるが、あまり調べたくない。
 以後、書けないことで頭を悩ませている。

 とにかく書けない。
 自分にはそういった才能がないのだな、と正直に思う。
 でも、書きたい。

 それこそ「難しい」問題である。

 少しまえにアマゾンで本を買った。ブログにも書いてあると思うが、七王国物語と、六花の勇者(だったかな)、あと騙王。
 七王国のは前編を100頁ほどよんだまま止まっている。他2作については、まじで、ちょろっと頁をめくって一行ぐらい目を通してパタン、である。

 さっきもおもいきって本音を書いたばかりだが、

 ライトノベルは読めない。

 ものすごく暇だったからだろう。大学時に小説を書こうとして未完成ながら書いたいくつかの雰囲気を見るに、あきらかにライトノベル的な、ライトな内容だ。ライトな内容がどういうものか定義しにくいが、というか、ライトノベル未満の、下手な内容ではあるが、なんというか、ライトノベル的だ。

 2007年ごろからいわゆる深夜アニメ系をよくみている。なんだかんだハマっているわけだ(それ以前については、ネトゲーをしていたからアニメをみる余裕はなかった)。
 で、これらのほとんどがライトノベルを原作にしているわけで、アニメが普通に見られるのなら、原作も普通に読めるんじゃねえ? 的な感覚だが、まあ、実際、最近のこれらの原作を手に取ったわけではないので、読めるか読めないか判断できないが、「灼眼のシャナ」について言えば、かなり辛かった。一応手元にあるが、読もうとするとかなり拒否反応が出る。
 アニメは(一期の、しかも序盤に限るのかもしれないが)とくに普通に見れるのだが。

 そういえば、知人Fが、ファンタジー系とか、漫画やアニメ好きな人で年収○円以上の割合って少ないって統計あるってさ。

 まあ、5分の1程度は嫌味で言ってきたのだろうが、得心のいく話である。
 アニメ・漫画業界で成功している人以外、アニメ漫画好きで収入の高い人は少ないだろう。そんなものに時間をとられている暇があったら別の、有意義なことをする、と。
 アニメや漫画を見ていたからといって収入が増えるわけではないのだから。

 しかしそれでも、アニメ漫画好きのまま年をとってしまった自分としては、いまさらどうしようもないわけで・・・
 そのくせ、ライトノベルは読めない。
 ついさっき書いた夏の庭についていえば、正直、作者のリアリティーがある部分以外、どうにも、主人公の子供の設定とかに嘘っぽさを感じて吐き気がする。いや、そういう子もいるとは思う現実に。だけど、この作品の中でそういった人物を登場させるにしては、背景が薄すぎる、みたいな。そぐわない、みたいな、突拍子もない、みたいな。浮いている。現実感がない、と自分に思わせてくれるので、気持ちが悪いわけだ。
 ただ、そういった特異な設定の人物が出ていても、とある部分で、そういった特異性とは関係のない会話のやりとりや、出来事やらの場合、気にならない。
 だからそういった意味で、登場人物、というか、はっきりいえば、河合だったっけ、彼の存在性がどうにも嘘っぽく見えたわけだが、あるいはデブのやつもそうか、唯一主人公は、いわゆる旧ドラクエ主人公みたいな空気に近く、云々。

 でも、主人公の子供の酒を飲む母親の設定でリアリティーを感じ始められた、と言う意味では、この主人公の子供も、結局のところいそうでいないリアリティーのない設定になるのだろう、が。

 アニメでは絵が先行してしまうので、人物の存在性がはっきりと意識される。が、文章だけだと、どうしても、突飛な設定は受け付けがたい、のではないか? と今思ったがどうなんだろう。どうなんだろう。
 いや、やっぱり構成と描写なのだろうか。

 最近、わざわざ図書館の書庫にあるようなアルスラーン戦記を借りて読んだ。アマゾンで買おうか悩んだが、ケチった。

 4~7巻。3巻までは以前に買いなおしてもっていた。

 銀英伝以上にキャラ化、テンプレート化したようなナルサス以下、あまりにも登場人物多くて絶世の美形も登場が少ない(名前忘れたw 思い出した)ファランギースとか、しかし読んで気持ち悪いということはなかった。

 まあ、今、一番気になっているのは、ようは、夏の庭を読んで、序盤、およびところどころで気持ち悪いと思うような文章表現・構成があったのはどういうことなのか、である。現時点では、とりあえず安直に思ったまま、リアリティーがないから、としているのだが。

 酒をついで来よう

 ・・・

 発狂しかけた。一応救われた。
 戻ってくるなりキーボードをうまくつかめず転がり落とした結果、この編集ページのタブが閉じられた。
 運よくプレビュー画面あったのでコピペで澄んだが、しかし、実は編集ページを再度開きなおしたとき、復元しますか選択がでたが、しませんを選択した。
 酔いすぎか?

 酒をついで来ようより上はとりあえずコピペだ。
 ああ、この時点で2200字も書いている。無駄な。


 アルスラーン戦記、ロードス島戦記は読める。が、多分あれ、あれ、名前が出てこない、スレイヤーズは読めないと思う。
 アニメを数話見たことはあるが、一度も原作を、読んでみようかなと思ったことはあるが読んだことはない。

 しかしそのくせ、大学時(および卒業後に完成させるため)に書いたファンタジー小説は、いわゆるライトノベルである。
 もちろん、今読み返すと、かなりつらいものがアル。単に自分の書いたもの、ということもあるが、それ以上の何かがやっぱりあるのだろう。これは当時も思ったわけだから。

 話を戻す。逸れていたこともわからなかったかもしれないが。

 ファイアーエムブレムの小説を書こうとして書けない。
 つまるところ、おもしろい展開を考えられないからである。
 ゲーム自体のシナリオを終えば、それはけっこうおもしろい話なので、それで書けばいいじゃん、みたいな感覚で当初思っていたわけだが、上述、どうにも自分の中のリアリティーが、各種の矛盾を許せないわけである。
 
 例えばわかりやすく、イメージ世界でいえば、ドラゴンナイトは強いわけである。が、現実的に考えて、まず、かりにものすごく強いとしたら、ではドラゴンナイトの軍団をもつ国が帝国に叶わないとか、それどういうこと? になるわけであり、そのことを抜いても、強すぎるドラゴンナイトの存在は、戦争のバランスを大きく狂わせるわけで、ではどの程度の強さでなければならないのか。そもそも、ゲーム的な、空中から槍をもって飛行してくるとか、曲芸か? いやいや、そもそも矢に射抜かれるだろ、とか。まあ、いろいろ悩んだり。

 話はまたそれるが、ちょっと縁があって暁の女神をしている。
 蒼炎のことはあまり覚えてないが、ゲームシステムというかバランス的に気に入らなかったので、1回しかプレイしていない。これにくらべて暁は、けっこうそれなりにおもしろい。ゲーム性がね。

 シナリオについては、いろいろ悩む。まあ、まだ2章入ったばかりなのだが。

 聖戦の二次創作のことで、それなりに勉強しようとがんばっているつもりだが、一番のネックは、中世の騎士バリバリの雰囲気だが、それなりの軍団がいる聖戦の系譜の世界観がつかめないわけで、というのも、勉強不足なのでまだまだ自分の勝手な思い込みなのかもしれないが、封建主義における国王の集める軍隊が、封建領主の領主=騎士およびその従者=騎士の身の回りの世話をする者や、戦場において騎士を直接的にまもる兵卒、の集団と考えた場合、また、現実的な中世の騎士のよくある話で、軍事行動は40日以内とかの契約等、とても集団行動の訓練を共同でしているとは思えず、たとえば近代、あるいは古代の隊列を組んだ戦争をしたとは思えないこと。しかし100年戦争のころ、1400年前とかは、ある程度集団していたみたいだが、実際どう繋がるのか。

 いわゆる傭兵を雇って集団戦闘になるのは構わないが、傭兵を雇う時代性が、聖戦の系譜の時代にあうのかどうか。たしかに聖戦の系譜にも傭兵がいるが、おなじように○○リッターとか、あるいはそれこそアルヴィスが近衛であったりと。

 封建主義だと常備軍は作りずらいだろう。では常備軍のつくれる絶対王政的であればどうなのか。シアルフィとか、公国の存在意義を問われるのではないか、とか。

 無駄に悩む
 まじ、無駄に悩む。
 3700字を越えたか。 

 暁の女神も、一応最後までプレイしてから感想すべきなのだろうが、マズ単純に、普通にゲームができない。
 こんなことしてる暇あるのか? とか思ってしまうと心のゆとりがなくなっている。
 いや、たしかに実際暇だらけなわけなのだが。

 むかしはトラキア776とか、リセットの嵐でもまったく気にせず? イライラはしていただろうが、今ほど時間的な問題を気にはしなかった。当然か、大学時はとにかく時間に余裕があった。最悪授業はサボればいい。しかし仕事はサボれない。

 で、単純に。
 いわゆるジャンヌダルクって好きじゃない。
 挙句に魔女扱いにして助けないのだし。

 とは、少々話がずれるが、いや、べつになんかたまたますごそうな女の子が解放軍として旗頭にされるのはかまわないが、兵士が普通に、疑念ももたずに、なんとかばんざーいとか、あんたらまったく能無しのどこかの専制国家の人民ですか、みたいな雰囲気が気に食わない。
 いやいや、もちろん、たとえば細かく描写すればリアリティがあるのかもしれないが、この細かい大事な部分をぬいているから、自分みたいな大人が生まれてしまうわけで、とか思ってしまう。

 ほかにはたとえば、さっきクリアした2章でチャップが、おれら人殺しじゃけん、みたいな、先の戦争を終わらせた王女を王位につけた国で、臣下が不満におもって人民を煽動しようとして、彼らは、よっしゃ革命や、とかテンションをあげるが、前の戦いで王女と一緒に戦って戦後は村にもどったチャップが、革命云々ぬかす若者に斧をかざしていうわけだが、なんというか。

 自分がもう少しわかければ、リアリティーを見たのかもしれないが、この歳になると、なんだが、製作者側の意図が丸見えで嫌になる。
 いや、もう少し若くても製作者側の意図がわかって気持ち悪いのかもしれないが。

 いやいや、うむ。

 たぶんもう少し若くても製作者側の意図がわかって気持ち悪いが、そもそもゲームとかこういう話の設定としては、そういうもんだよな、っていう暗黙の了解があって、そうだよな、良い事言うよな、みたいな思いになるのだろう。

 そういう意味で、暗黙の了解を忘れてしまったということになるのだろうか。

 つまり、なんとなく気分転換?で、暁の女神の評価を知ろうとしてグぐるわけだが、その中で、ここのチャップの言葉に染み入ったとかいうブログがあって、なんだかなぁ、と思ったわけだ。

 ほんと「難しい」。

 ゲームを作った人間は、当然戦争なんか経験したことがない。では戦争を経験したことのある人間がゲームを作ったとして、それはおもしろいのか? 
 おもしろいとは思えない気がする。
 逆に、おもしろくあってはダメな気がする。

 で、戦争しているこの暁の女神のゲームはおもしろいわけだ。

 とかいったことを考えはじめると、もう駄目なわけだ。
 封建主義も中央集権も、もはやどうでもよくなってしまう。

 これが、たぶん愚痴の本音なんだろう。
 ああ、無駄に5000字も書いている。