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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

タイムパラドックスについて

2020年03月23日 | もののあはれ
 久しぶりにこれを書いたな。前回は何を書いたっけと読み返したら、「三国志14は買わない」。
 あれ、買ってるんだけど、と思ってしまった、なんというか滑稽さ。
 笑わずにはいられない。前回分を書いた後、買ったんだろうな。

 そんなことを思ったらもう少し書きたくなった。恥ずかしさをごまかすため、というのとは違うのだろうか、いやどうだろう。

 ちなみに、さっきまで銀英伝ノイエ云々を12話まで一気に見ていた。リアルタイムで見ているときはやや思うところがあったが、一気に見直して、かつ、いわゆる流し見、映像を見ずに見ている限りは、旧作見ているのと、それほど変わらないとは思った。
 基本的に、銀英伝が好きなのだから、それが銀英伝であれば、誰が書いた漫画だろうが、誰が作ったアニメだろうが、基本変わらない。
 原作がおもしろければそれでよし。
 ということを思った。ところから、派生した問題であるが、なんとかなんとかのなんとか(奇跡?)というものがあった。
 数年前に映画で見た。その数年前の自分の状況がいかなるものか。それを思うと、さてどうだろう。今より元気あったな、ということだろうか。ともかく。
 同タイトルを先日、ファミ劇か何かで見かけて、まあおもしろかったし見るか、と思ったら、出ている役者が違うし言語も違う。中国で作られたものだということである。へぇっと思った。
 さて。なんだかんだ、(途中までは)おもしろかった。映画で感動したところは、やっぱり感動できた。「原作がおもしろいのであれば、誰が作ってもおもしろい」ようなことを思った。
 中盤から一気におもしろくなくなったのは、日本を舞台にした原作だから、どうしても、中国を舞台にしてしまうと辻褄が合わなくなる問題が目に付いてしまったからである。そして一度粗が目立つとあとはどうしようもない。
 結局、竜頭蛇尾のように、とりあえずは最後まで見たけど、どちらかというと、見なければよかったかも、と思ってしまった。
 誰が悪いのかはわからないけど。

 さて、めんどくさいし、酔っているし、何を書いたか、もうめんどくさいので確認せずこのまま続ける。
 いわゆるタイムトラベル、タイムリープ、言葉の違い何? 昔に戻ること。つか、さっきからキーボードを打ち間違えるたびに、なんか変な画面になる。GOOの新たな機能? うざい。
 さいしょのタイムトラベルものは何か。と前にもそういうことを書いたかもしれないな、と思うと、酔った人が同じことを延々と続けるみたいで悲しくなるな。
 めんどうなので単語だけのこす。
 きまぐれオレンジロード、タイトル忘れた邦画、時をかける少女、バックトゥザフューチャー、ターミネーター2.

 さて。先日ファミ劇か何かでリターナーをしていたので見た。
 これは、大学院卒業して、云々。以後しばらくニートしていたころ引きこもり的な頃、いやいや今も変わらないが、そういう最初の年に、鳥取にもどってきてみた映画だなぁと思って、懐かしく思った。
 金城武、その当時、演技下手だなと思った記憶があるが、演技ではなく日本語が下手だから、どうしても、棒読み的に聞こえて、結果的に演技が下手という感じを承けていたのだと思った。彼の演技については、まあ、それ以前に日本語でのセリフ棒読みが気になるから判断できないわけであるが。
 ともかく。当時も思っただろうけど、これ、タイムパラドックスひどすぎる。
 気楽に見ればいいのだろうが、ターミネーター2やらエイリアンよりはETか、とか、マトリックスとか、もーパクリだらけで、今思っても、なんというか。特に80年後の未来の大変な世の中を生み出した原因が、日本のちょっとしたチンピラみたいなやつが引き起こしたという、なんとも、ある意味で現実的な、それでいて事実を知ると、え? そんなくだらないことで? みたいな。
 またキーボード撃ちミスして変な画面になる。
 書いていてテンション下がるのでやめる。
 リターナーは、話ひどい。が、まあ、おもしろい。
 
 
 

あいまいなことをあいまいに

2020年03月23日 | もののあはれ
 本を買う。
 アマゾンで買う。
 レビューを見た。
 云々。
 いやそれ、おまえが云々だから、云々だろう。
 さて、本を読む。
 なるほど。おまえの云々はおまえの云々であるが、たしかに一理ある。

 これだけでは曖昧過ぎて曖昧すぎるか。
 数年後読み直しても、なんのことかわけわからない。
 ただ、しかし今、一つ確かに言えるのは、これを書くことで、このいま、自分の気持ちが整理されることである。

 もう少し書くか。
 日本の歴史の本を読んだ。9世紀の本である。多分3回目ぐらいであるが、ああ、情けない。すでに中身を忘れている。
 覚えているのはなんだろう。
 桓武天皇あたりから、900年ぐらいの天皇は誰だったのか。嵯峨ではない、平城でもない。ああ、醍醐だっけか云々。
 律令体制がそもそも日本の統治にあっていなかったていいたいのか? どうなのか。
 
 ということで、この歴史本シリーズがおもしろく、気になったので、よしアマゾンで買おう。
 そしてシリーズ2つ目ぐらいを読む。
 つまらない。

 作者の技量の差と、作者が、読者にどう読ませたいと思うのか、の差だろう。
 確かに、昔になればなるほど、確証は得られない。記録も残っていないし、考古学的云々は、ま、自分わからないし。

 レビューで、自論を次の論理で前提としているので、そもそもの自論がおかしければ、すべて以後のことは成立しないとケチをつけていた。いや別にいいじゃん、自論として読む限りは。と思っていたが、たしかに。
 自論を根拠づけるのに誰それの意見を持ってくる。それは確かに構わないが、俺はあなたの意見が聞きたいのではない。真実、事実を知りたいのである。それがわからないのだとしても、そうである。しょうがない。記録がなければわからないのだから、しょせん推論でもかまわない。しかしあなたの意見が聞きたいのではない。どういう意見があって、どういう論争があって、どういう問題があって、その中でこういう意見がある。わたしはそれを支持するというのならわかるが、なにもなくても、勝手にもってきた意見を、私は支持するという。
 いや別に。専門的な話ならそれでいい。専門家はそういった土台を知っているのだから。
 しかしそういうことを知らない素人が読む可能性の高いものにたいして、自分が好む意見だけをもって、これを支持するとだけ言われても。
 仮にそれが正しいのだとしても、あんたの勝手な取捨選択でこの本は書かれているのかと思ったら、仮に正しいのだとしても、歴史を知る参考にならないと思ってしまう。

 その辺の軽く読める漫画でそうやって描かれているならともかくとして、千円以上払って読む「学術」的なものであるにもかかわらず、広い見識を整理提示することなく、自分の意見しか述べないのは、いや別にいい。自分の意見を言うのは構わないが、問題は、読んでいて、自分の意見しかいいませんよというその姿勢が見えてしまうから、ああなんだかな、と思うのである。
 
 へたくそである。
 という憤懣があるので、これを書いて、ああ、こうやって書いていると、なんか、余計に憤懣がたまってきている。
 まだまだ半分、重複多数の無駄な文量をまだまだ読まなければならないのに。
 いつになったら、天武天皇でてくんの? という感じである。

 アマゾンレビューでひどい文句を書いていた人が、ある思想から作者に対して一見論理的に整理した、いわゆる文句を書いていただけだと思うが、しかしそのところどころに見えた自説の云々については、なるほど、確かにそうであると思った。
 もちろん、平等的立場のために、私は思う、と書くのはいいが、だから、あなたの意見しか書いていないから、問題なのであると。別の意見をしっかりかけ、それからそうではなく云々。という書き方でないから。それでいて、自分の思いしか述べてないくせに、とにかく文量が多い。なにそれ? 読むのあほらしいけど、でも、読んでおかないと云々。と思うとなんか腹が立つので、腹いせに。

司馬懿

2020年01月16日 | もののあはれ
すげえ酔っている。

三國志14が発売になった。テストプレイのやつが、どうにもPCの要求をみたしていないので、少し悩んで、だいぶんなやんで、買うのをやめた

 ここで言いたいのは、買うのをやめたと公言したからには絶対買うな、と自分に言い聞かせていることである。この前提は、ゲーム買うとそればっかで無駄に時間を浪費するのは、人生経験、愚の骨頂であると思っているからである。

 まあ、どれだけ文章量をくしたとしても、ただの言い訳になる。ゲームするな。時間の無駄だ。ただそれだけである。

 さて。司馬懿のドラマを見ていると、前に書いたかどうか知らないが、もうすぐ40話ぐらいくる。
 あまり三國志に詳しくなくても、三國志(光栄のゲーム)をしていればなんとなくわかる。このドラマなにかおかしいと。
 別段、いわゆる大河ドラマが史実と違うと文句を言うわけではない。そもそも記録の乏しいというかあいまいな昔に対して、それこそ映像記録の残っていない昔に対して、何が史実なのか、文献が残っているから、というのは、あまりあてにならない。もちろんその残された文献からうんぬんかんぬん。

 ドラマとして飽きてくる。悪酔いしているからそう思うのか、さてはて判断基準に悩むが、この司馬懿ドラマは基本的に宮中内陰謀に焦点を当てている、というか、金がかかるからだろう。
 劉備も出てこなければ孫権も出てこない。人形劇三國志のほうがよほどおもしろい。

 そうではない司馬懿を中心にした宮廷ドラマとしてみれば、面白く思ってみているが、さすがに、宮廷内陰謀の連続は飽きてきた。
 曹仁。いいじゃん、シバイと仲良しでも。

 こういったところに、事情を感じるのは、本当に悲しい。
 最初から●●話やってください。はいわかりました。
 見ていて飽きる。
 それでもなお、●●話まで飽きさせずに見させる。

 そんなドラマがあるのだろうか。
 人間の限界を、ただただ見ているだけで、悲しくなる。

 ばくまんを見ていたというのは前に書いたか。ナニカの拍子で食戟のソーマを見た。
 これ、おもろい。というか1話目から、やべえこれ、親と一緒に見れんアニメだ、思ったが。ともかくおもしろかった。ばくまんで言う、邪流的本流だろう。格闘していておもしろい。しかし、格闘するなら、それこそ殴り合い(もしくはスポーツとか)をするのが本流であって、少年漫画として、格闘しているにしても、その内容が食事対決は、しょせん云々。くろこのバスケ見ればそっちのほうがよほどおもしろい。

 そんなことを思ったわけであるが、なんというか。おもしろい、という意味では、自分の子供時代に見ていたアニメ群については、今と比べれば、けっこう適当に、(少なくともストーリーの点において)適当に作っていたんだろうなぁという気がした。

 そんなことを思ったので記録しておく。

 しかしさてはて。むかし、信長の野望をしていて、大名とかすごいと思っていた。ある程度年数を経て、大名なんかしょせん地方のヤンキーみたいなものだ。さらに年数を経て、大名というのは一国を統治するもの、国を経営して存亡を憂いて云々。今における中小企業の社長として。

 知識不足ゆえに、自らの判断は誤ってしまう。あるいはむかしのアニメもしっかりと話を考えてつくっていたのかもしれないが、しかし、「おもしろい」かどうかについては、今のほうがだんぜんおもしろい。その意味で踏み台的として考えるべきなのかもしれない。むかしの(いまとなってはつまらない物語群)を参考にして、今のおもしろい物語展開を作成していると。

 ただ、だからといって、心に響くほどのおもしろさが、今のおもしろいアニメにあるかどうか。
 火の鳥がおもしろいのは、おもしろい「アニメ」だからではない。おもしろい「漫画」だからではない。そうではない。と思う。

 この自分の思いは、やっぱり幻想なのだろうか。

空飛ぶタイヤを見て

2020年01月07日 | もののあはれ
 テンションがある。
 1,2.3という流れがある。
 1,2、4と飛んでしまうと、調子が狂う。
 願わくば、飛んでも狂わないようにすぐさま調整できればいいのだが。

 若いころであればそれができたであろうが、年をとればとるほど、年が過ぎればすぎるほど、あからさまにそれらができなくなる。

 ああ、年初さいしょから愚痴かと思うが。

 ブログ書こうとして、まずgooのパスワード忘れていて云々。何度何度入力ミスしたか。

 はあ。もうこの時点で何かを書こうとしていた気持ちが冷めている。

 当該映画。
 前にも、戦争作品を見て、おもしろがるのは云々かんぬんと書いた気もするが、この作品を見て、「おもしろかった」と思うのは、人としてどうなの? と思った。
 しかし、おもしろくなければ誰も見てくれない。

 だって、たとえ製造会社のミスであろうが、人を殺したことには変わりないわけである。
 大企業のミスをうんぬんという話題じゃないでしょ、この問題は。
 その結果、人生を狂わされた多くの人々が、本来焦点を当てられるものでしょ?

 それを省いているように見えるから、おもしろいのだとは思っている。
 だから、面白いと思ってはならないと、思う。

 年をとったな、と。前にも書いたが。悲しいな。

 悲しいからさらにかく。
 今年2020年の正月は、なんかおもしろい一気見作品が(CS等)でなかった。唯一楽しめたのが「掟上云々」だった。それ以外、まったくもって。興味さえ惹かれなかった。確か去年は、? 記憶違いかもしれないがパトレイバーの実写版とかなかったか?
 BSで金田一をしていた。短編のもの。これは結構おもしろかった。自分の好みであった。

 詳細は省くか? 省いてもわかるか? しかし、今後同作品を見る機会はない気がする。二度と放映されない気もする。
 逆に言えば、あまりおもしろくないからである。

 現代的作品であると思った。この場合の現代的とは、「おもしろければそれでよし」である。
 もっとも、金田一作品については、やや違うか。「おもしろければそれでよし、でも、どうすれば現代的に面白いのだろうか、とりあえずこんなんどうでしょ」的で。つまり、実験的で、だからこそおもしろく、しょせん邪道でしかなく。

 邪道が好きな自分としては、大変おもしろかったわけであるが、邪道とは、マネをされると飽きられるものであり、あえて言えば、王道とは、同じことをしても、マネられても、飽きられても、それでも王道であれば、それでよしと思われるものである。
 2,3度見て、ものの真価は問われるが、現代的には、3度はおろか、2度さえ見ないというのは、現代的でなく、むかしっからの話であろうが
 みたいな。

 年の最初からストレスマッハな、いきなり休日飛ばされたり、云々。これ以上書いていると重苦しい愚痴の嵐でしかないから。
 願わくば、楽しい一年でありますように。
 
 

今年最後の休日を

2019年12月29日 | もののあはれ
ンんンんンんンんンんンんンんンンんンんンんンんンんンんンんンンんンんンんンんンんンんンんンんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん」 
 と延々に書いてもしょうがないけど。とりあえず。きろくとして、このんの数億倍云々。

 さて。
 今見ているのが、「獣になれない私たち」である。
 これの前に、「掟上今日子云々」を見ていた。
 一気見である。
 年末の、
 世の中の多くの人が休みに入るのでしょう。よかったですね、という一気見である。
 さて。
 後者を見ただけではこれを書こうとおもわなかったけど、全社尾、今、3話か。それでこれを書きたくなった。もちろん、今年最後だからという気持ちが後押ししたというのもあるかもしれないけど、しかし、やはり、「これを書こうと思った自分の気持ち」、で、物事を考えてほしい。という、この言い方について、さて、数年後の自分が、今のこの自分の気持ちを理解できるだろうか。
 これだけの前提条件では、数年たてばわからなくなると思う。だからと言って直接書くのも品がない。

 明日か、あさっては天海祐希。そういう意味で、ああ、今日は、新垣結衣か。ああ、なるほど。と。
 ま、いいや。

 で。

 具体的に書いておけば、リアルすぎるから、それについて果たして面白みがあるのだろうか、ということである。
 しかしこの場合のリアルとは、あくまでも、仮想=ノンフィクションである。
 もちろん事実は小説よりもきなりと言う言葉もある。
 だから一概には言えない。

 言いたいのは、掟上がけっこうおもしろかった。これは素直に思った。酔っているからではなく。素直におもしろかった。そのあとにタイトル作は。
 きっついなぁと思った。3話で思った。
 数年後、これを読んで意味がわからない自分がいるのかもしれないが、しかし、わかるのではないだろうか。
 いやいや。おそらく数年後、タイトル作を見返すことはないと思うから、今、考えていることは成立しないと思うが。

 ありえないことがある。ありえそうなことがある。でも、やっぱりありえない。
 この前提がフィクションであれば、嘘だからむちゃくちゃでもわかる。
 しかし前提がノンフィクション、と言わないまでも、現実的なものであれば、嘘だとあるとむちゃくちゃである。

 ドラマがきらいな理由の一つなのだろう。
 ほんとだとおもって最後まで見て疑問を思えないならそれでいい。
 しかし、途中で、あれおかしいと思ったら。
 アニメや漫画であれば、「しょせん●●だから」と言えるが、
 現実の役者が出ている。。。。
 さっきから年間えんが
変換がおかしい
これは自分のせいではなく、
キーボードが悪い。

 追記
 まあタイミングが悪かったのだろう。
 4話まで我慢してみたが、おもろないのでこれ以上は見ないことにした。 
 じつはこの後がおもしろくて最後まで見ればよかったということもあるかもしれないが、まあ、そういうこともよくあるが、それはそれで、またタイミングがあえば見ることにするとして、途中で見るのをやめたということをここに記しておく。
 あああ、さらに追記しておくが、ほんと、酒によった、この12月29日、今年最後の休み、いろいろあった最近の日常ががなければ、あるいは最後まで見ていたのかもしれない。とは、書いておく。

12国記4冊

2019年11月16日 | もののあはれ
 の、四巻目の途中でこれをかく。
 少し前に出た短編を、ほめる内容のブログを見た覚えもあるが、ともかく、先月の2冊(令和元年11月時点)、合わせて7時間かけて読んだ感想は、何も進んでいないである。まあ、無駄な労力は使わないことにするが、まあそれでも、ギョウソウでてきてやっと安心したから言えるが、この4巻だけで十分だろ。

 仮に最後までみたときに、ああなるほど、そのためにこれまでの1~3巻までが必要だったのか、と思わせられるとしたら、それは現時点における自身の浅はかさと言っておく。

 以下は無駄な労力であるが、ただ、ナニカパソコンがおそいので、そのイラつきも加算されていると思う。いや乗算か。

 10云年(18年!!!)。正直続きは出ないと思っていた。アルスラーンの10巻は何年だ? ロードス島の6巻目は、今思えばそれほどの年数は経ていないはず。あえて確かめないが、ときおり掲載するハンターハンターも対象になるが。

 結局のところ、アニメガ好きである。今となっては漫画は読まない。小説も読まない。
 読むとしたら、今は、平家物語読んでいるし、少し前は題名忘れた、だれか、ローマの長い歴史本とか、その間に読んだのは古今和歌集で、新古今は量が多すぎてまだ読めてない。
 最近WIKIで知ったが、ああ、酔ってるから説明段階悪いが、シバイのドラマを見ていて、WIKI見ていて知ったが、大学のときにせせつしん・・・調べよう。調べた。世説新語という数冊のものがあったが、なにか宗教なんだろうとおもっていたが、これは漢末からいつごろかまでの云々らしいと。しばせんの史記がおもしろくて、そういった意味ではおもしろくよめそうだと図書館に行こうとしているが、腰が重い。

 という中で、ほんと、ひさしぶりに小説を買った。それも、期待感満載で、もう、発売の数日前は、同僚の前でこれこれこんなものがあって、まさか続きがでるとはおもわなかったっぺ、と興奮度満載で、

 だからこそ、最初の2巻はがっかり感の落差はひどかった。
 いわゆる大人の事情とかは考えないにしても、読んでいてとことん重複感にさいなまれる。同じこと同じことばかりを話ししている。ただそれだけ。正直読み切るのは苦痛であった。
 と、まあ、とにかく無駄な労力になるから、ここまでにしたい。

 冒頭にもあるが、あえて4巻の四分の一のところでこれを書いている。
 これについては、ある種の期待感があるからである。また、それをナマに残しておきたいからである。
 つまり、ギョウソウが見つかってこれから物語が動く。なのにそれは4巻における4分の一もページを費やしていない。国を奪還するだけであるならばそんなに紙面はいらない。ではなぜ、まだまだ残りがあるのか。

 それは、いわゆる世の中の仕組みにたいするおのふゆみの意見があるからではないのか。
 自分は12国記に対して、その点をもって興味の対象にしている。
 天がある。世界を支配する存在がいる。
 それについての考え方とはいかなるものなのか。
 だからこそ、つまらない1,2巻も耐えて読んだ。

 と書いて、実はそうではなく、半数のページが実はほかの外伝短編載せてるだけですよ~とかだったら、明日仕事にいったとき、もう気力なく死んでいるだろうなぁ。

 ということをメモしておく。

 追記。
 上述後、流し読みをした。正直、話の流れはわからない。ただ、つまるところ、あせんがわるもので、ぎょうそうとたいきがもとにもどった。そういう結末だったということを理解した。
 酔いすぎていることもあるとは思う。酔いすぎて、読むのが面倒になったというのもあるとは思う。
 それでも思うのは、自分の期待と、作者の思いはなかなか交わらないということなのだろう。
 その意味で言えば、バクマンは、期待通りだった。
 これはつまり、自分がしょせんそういう少年漫画的方向性にしか興味がないということなのだろう。
 とか言ってしまうとやや皮肉になりそうだから、やめておこう。

 それでも素直に思うのは、小野不由美らしい終わりだったということである。
 おそらく前にも書いたと思う。終わりがあっさりすぎると。余韻もない。それが12国記であると。
 それでもやっぱり4巻は長すぎる。2巻で足りるといっておく。

 不完全燃焼ではあるが、これで終わりです、と言われるのであれば、それを受け入れるしかなく。嫌味とかではなく、ほんと、お疲れ様でしたと言いたくなる。これは自分の心に対しても、お疲れ様である。12国記に対しての自分の気持ちに対しても、お疲れ様である。
 終わってしまって、なにかもんもん、そういう気持ちがそれほど生じないのは、精神衛生上は、いいと思う。ん。愚痴になりそうだな。期待して期待通りではなかった。ただ、それに対して途中で、ああ、自分の期待したものではなさそうな話になるんだなと、事前に心構えがつくられるような、そんな作りであったから、これはこれでヨシと思う。

 ただせめて、天との会話が欲しかった。
 それについては、作者も頭を悩ませたことだと、信じたい。

キングオブエジプトを見た。

2019年07月02日 | もののあはれ
 途中からだったので最初のほうがわからないが、おもしろかった。
 簡単に言ってしまえば普通の話だが、神として描かれていること。
 神が出てくるという設定が、なんだかんだで好きなんだろうと思った。
 これは人それぞれ、なんの要素を好むかという問題である。
 神が出てくる。神々が争う。
 自分はそれを好きなんだなと。

 さて。正直それ以外は何とも言えない。
 変身するところとか、映像的には現代的に思えた。その変身した姿が、すごく滑らかで、ようはCGなんだろうなと思った。
 最近アニメのグリッドマン見ていて、特撮モノをアニメでするのは云々と書いたっけ? ああ、つい先日だな。

 しかしなにをしても、結局殴り合いかと思うわけである。
 あれ、最後のタイトルはGodsOfEgyptだったな。和訳題名なんでキングにしたんだろ。

 あと、日本語吹き替え版だが、なに? ジブリ? とか思ってしまった。
 まあ、何が言いたいかは、数年たっても、自分は意味が分かると思う。
 翻訳も現代的だなぁとは思った。

 まあ、そんなことを思ったのでメモがてら


 

SSSSGRIDMAN一話を見て。

2019年06月07日 | もののあはれ
 うむ。
 思ったのは、特撮ものとアニメとは違うものなんだなぁと。
 結局、特撮モノは、あくまでもリアル。現実の人や物が出ているわけで、仮にこれがCGであっても、云々。
 ただ、全部がCGになったときは、またそれはそれでジャンルが違うのだろうけど。
 少し前にスカパーでグリッドマンしていたので少し見た。まあ、昔の特撮ヒーローものだ。この年で見るといろいろなんとも。この年で、というよりも、現代感覚によるのだろうか。現代での特撮ものは(仮面ライダーなり)見ていないので比較できないが、単純に昔の特撮ものはちゃちいと思う。しょうがないのだろうけど。

 ある日街に怪獣が現れて大変なことになる。そこにヒーローが現れてなんとかしてくれる。ビームだしたり、特殊効果の背景をもった素晴らしい必殺技の数々。
 それをアニメで見ると、なんだかな、と思った。
 例えるなら、リアルな人間は空を飛べない。これが空を飛んでいるように見せるところに、特撮の意味がある。
 アニメで人が飛んでも、別にそれはすごいとは思わない。
 今となってはCGでなんとかできるようなことを、むかしはいろいろがんばってすごいように見せていた。それを指して特撮ヒーローものと自分が考えているようで、だから、現実ではできないような効果を、さらにはCG技術も発達した現代技術で作ったアニメで見ても、なんだかなと思うのだろう。
 
 もちろん、そういう視点(特撮ヒーローだという視点)で見なければ、普通におもしろいアニメになるわけだ。
 だって、極論すれば、エヴァンゲリオンだって、怪獣が現れて主人公がロボットにのって戦うだけという。
 ふむ。やっぱり単純に、グリッドマンという特撮ヒーローものがむかしあって、このアニメはそれを模したものという、そういう経緯をわかっているから、どうしても特撮ヒーローものとして見るのだろう。
 先入観というのは、厄介なものである。

聖戦士星矢 黄金魂

2019年05月17日 | もののあはれ
 今3話。追記4話に入った。さらに5話目

 さて、なんというか、改めてよくわかった。
 聖闘士星矢、思った以上に好きだなぁと。

 ちょっと前に、というか、もうかなり前になるのか。オメガか何かあったが、結局最初の数話ほどしか見なかった。
 それでも、アニメ版でのロストキャンバスは全部見た気がする。
 もしかしたらそのへんのことはまえに書いたのかもしれないが、覚えはない。

 とにかく、なんか燃えるな。
 しかもゴールドセイントじゃないですか。
 燃えろ、俺のコスモと叫びたくなる。まじで

 自分が一番好きなシリーズはハーデス編での12宮の戦いである。
 変な言い方すれば、ゴールドセイントラブである。

 なお、これには理由がある。漫画はどこまで読んだか覚えていないが、ハーデス編12宮はアニメが初見である(と思う)。ということだけでは意味がわからないか、つまり、大人になってから見たということであり、かつ、あのアニメ版はかなり質がよかったと思っている。
 あるいは子供の頃にみていたら、大人のゴールドセイントの活躍を楽しめていなかったと思う。大人になっていたからこそ、あの12宮編がおもしろいと感じたのだと思っている。

 というところからもわかるように、実は聖闘士星矢は、全部を見ていない。アニメではそれこそアスガルド編は見ていない。というかそれ以降見ていない。下手するとそれ以前も、全部見ていたとは言えない。一方の漫画はどこまで見ただろうか、ちょっと覚えていないが、たぶんポセイドン編を全部見ていないと思う。で、ジャンプでの聖闘士星矢はそのままうちき(rya

 ぶっちゃけ、それこそオチかもしれないが、聖闘士星矢は設定がかなりおもしろい。あまりにもおもしろすぎる。が、個々の話はそれほどおもしろくない。ネタとしては十分かもしれないが、ただただ戦うだけだから、そういうのは正直つまらない。
 そういう意味で飽きてしまって記憶のかなたにいっていた? 状態で、ハーデス編12宮アニメを見たから、衝撃を受けたわけである。では説明にならないが。

 自分の聖闘士星矢に対する思いの概要は、まあ、こんなところか。 

 つか、デスマスクはともかく、アフロディーテ最高だな(笑)
 三話目で一気にキャラ出まくったな。

 ちなみに、ゴールドセイントで主人公は間違いなくアイオリアだろう。キャラ的に当然か。
 その中で、本編敵役だったデスマスクとアフロディーテは、かなり扱いが難しいんだよな。
 これは子供のときの気持ちである。
 一番嫌いなのはデスマスクだった。死への恐ろしさではシャカと並ぶ。
 ただ、大人になって、大人の都合的に考えれば、デスマスクは、かなり偶然の産物だと思う。たまたま作ったキャラが、これ、ゴールドセイントのキャラ的に、必要不可欠だろう的な。
 ああ、言いたいことがうまくいえない。
 デスマスクって、完全に悪者扱いで、正義のセイントとして、扱いにくいものである。が、だからこそ、存在意味があるという、そういう意味で、嫌いじゃない。
 
 ああ、酔っている。言いたいこと言いたいことばかり書いているので、適当すぎるか。

 なお、ドコモのdアニメで見ている。パソコンからテレビにつなげてみている。
 最近無料動画がかなりアウトになっていて、それこそ普通には見られなくなっている。らしい(笑)
 このdアニメは、テレビで見ていても画質がいい。
 で、いろいろアニメを見ていて、シロバコを見た。リアルタイムでも見ていたので2回目ということになるが、今回はけっこうしっかり見たからなのか、いろいろと思うところが発生してしまった。

 それこそ、この作品(タイトル作)、2話目から、いきなり絵が崩壊してるだろ。シロバコ的に言えば笑えるレベル。さらに話の作りも悪い。まあ、詳しくないから適当に言っているだけかもしれないが、動き的にも、こういう流れにすべきだろ、と言いたいところが、まあ、たしかに作るの大変なんだろうなぁと思うから、しかし、シロバコ見なければ、ここまで考えなかったかなぁというアラが見えまくって気になるのは気になる。

 それでも面白いと思うは、聖闘士星矢が好きだから、なんだろうと思う。
 で、なんで聖闘士星矢が好きなのか。
 上に書いた概要とは違うレベルで言うならば。

 いや、やっぱり熱いということだろう。
 熱血なのである。

 この熱血的世代の少しだけ下った世代が自分なのである。
 熱血万歳と言える世代なのである。

ドラクエ三の音楽を聴いて

2019年04月05日 | もののあはれ
 Youtubeの仕組みをよく知らないが、著作権問題ってどうなっているのか。
 少し前に聞いてたやつとか、消されていたりとか、そうと思えば残っているのがあったりと。
 ともかく。

 たまたま聞いたやつが、ああ、これ間違いなくファミコンの音だと思った。
 その一番の理由は、低音だと思う。ウイザードリィ三、これもよくやったが、その低音部がものすごく似ていると思った。
 
 ともかく。
 本日思ったのは、どうしてドラクエⅲがおもしろいのか。
 (これの前に1や2をプレイしたのかどうか、正直覚えていないが)
 あの、話す東西南北というシステム周り、仲間固定のしかし意味不明のやる都度に名前の変わる三人での冒険。
 あるいは、ちょっと長めのロープレするのに、しっかりと紙と鉛筆を用意しなければならず、ああ、間違えた。

 ストーリーは気にしないが、どうにも展開が早いかどうか。ドラクエ2はそうでもないか。

 といった、そういうファミコンRPG黎明期を抜けたその場所で発売されたドラクエ3は、それゆえに、おもしろかったのである。
 だって正直、今ドラクエ3プレイしようかと思ったら、うーん、と思うのが正直な気持ちである。
 ゲームとして、まあ、プレイし飽きたというのもあるかもしれないが、今時としては古いでしょと。
 でも、面白いと思う気持ちはある。ドラクエ三の各種音楽を聴いていると、ああ、おもしろいよなぁと、矛盾するようではあるが、そう思うわけである。

 やっぱり、それ以前の経緯(ドラクエ1,2や、他の当時のゲーム)を知っているからこそ、ようは、「思い入れ」として、おもしろいと、無条件に思ってしまうわけだ。

 だから、やっぱり、歳をとってしまうと言うのは悲しいことで、そういう、昔の経緯を無駄に知っているから、どうしても、云々カンヌン。

 令和と決まった翌日あたりの新聞で、結構好感度高いというのを見て、個人的には驚いた。
 なんかどうにも、自分としては締まりがよくない気がしていた。
 わで終わるのが悪いのか。いやいや昭和があったろう。
 
 生まれたときにはすでに昭和だった。だからといって平成はまだ小学生中学生の頃。元号の意味さえ理解していなかった。
 無駄に歳をとって、しかも無駄な知識を、偏見的な知識を入れた今、
 令和がどうにも、変な感じがする。
 
 元号としてはありかもしれない。しかし、天皇の名前としたら、どうだろうか。
 令和天皇。
 んー、なんだかなあと。
 まあ、個人的な思いなので別段どうということではないが。

 あと、んーやっぱやめておこうかと思ったが、それでも残しておこうか。
 まあ、日本海新聞に限らないだろうけど、女性天皇、女系天皇云々の話をするときに、どうにも情報提供が正確ではないと思う。
 まあ、長くなるので云々言わないが、どうにもわざと説明せずに誤解させたままそういうのを常識にさせようというような、そういう意図を感じてしまうのは、さてどうだろうか、ドラクエ1,2を知っている身としてのドラクエ3からの意見なのか、それとも、ただのケチなのか。