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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

女系天皇について

2024年05月09日 | もののあはれ
 書いたっけ?

 少し前に日本海新聞でそういう記事を読んでもんもんとしていた。酒が覚めて冷静になると、別にどうでもいいかなと思ったが。こうやって文字を書いていて、しかもヨッパで、前述ARKアップデートで遊べずに云々。
 
 と、書いておく。

 現代的な意味(DNA)もふくめて、男系をたどっていけば、先祖は神武天皇にたどり着く。
 これが、男系天皇の日本の伝統である。

 女系になれば、それこそ、むちゃくちゃだ。
 女性天皇が立って、一般男性と結婚して、男性が生まれて天皇になって、一般女性と結婚して。
 一般男性を男親に持つ、一般女性と結婚した、一般人が天皇になっている状態。(こういうのが意図的な言い方ではある。彼の母親は天皇家の血をついでいるから、必ずしも一般男性ではない)
 ただ、彼の娘が天皇になって、一般男性と結婚して、男性が生まれたとして、その血統をたどると、母親の父親の母親が天皇家である。ということになる。
 そうなってくると、天皇家の女性と結婚した一般男性の子孫と何が変わるのだろうか。
 母親の父親の母親が天皇だったから天皇であるというのなら、母親の父親の母親が天皇の娘だったという人は、俺こそ天皇にふさわしいと言っても、それを否定できないのではないか?
 もちろん、憲法上、認められないという理由で、否定はできる。今の旧宮家のように。
 しかし、「憲法を変えて女系天皇を可能とする」というのであれば、「憲法を変えて、三代前が天皇であれば天皇になれる」と憲法を変えてしまえば、云々。
 これは憲法の問題にすり替えたような感じもしないでもないが、「男系でさかのぼると神武天皇にいきつく」という規則を絶対とするなら、三代前の先祖が天皇だったから、俺も天皇になれる。というのは、場合によっては根拠を失う。

 そもそもなんで男系なのか。
 相続の問題だったと思う。
 家観念がなくなって、家の財産が分割されて、税務署にもっていかれて、家が衰退して。
 そういう世の中になってしまったから、こういう問題はあまり考えられなくなったのかもしれないが、相続して、家を確固足らしめるために、一人に全部を相続していた。それによって、家が衰退しなくてすんだ。
 で、誰が相続するのか。そのルールとしての、男系長子。まあ、実際どうだったのかはわからないが、少なくとも、財産を残す、とりあえず納得できる根拠を探そうとしたときに、男系長子相続が、都合よかったのではないだろうか。というのは武士の話か? 奈良時代、およびそれ以前どうだったのかを知らないから。平安鎌倉時代の、武士はともかく、貴族の相続がどうだったのかを、詳しく知らないから。
 
 家の財産を相続して家を守るという観念がなくなったのだとしたら、天皇制度はいらないのだろう。
 家=国家が弱体してもかまわないという、そういう考えなのだろうから。

 そうではなく、国家は強くあるべきだ。少なくとも他国に侵略されないぐらい。と思うのだとしたら、どう考えるのか。天皇制を無くして軍事国家となればいい。そうすれば、云々。

 とか、そんなことを思った。記事を読んでいて、どうにも、女性天皇という文言から女系天皇になってもいいよね的な雰囲気を記事から読み取ってしまったから、これは何か投書でもしてガツンというべきではないか、とか思ったりを、酔った勢いで・・・。でも、上述読んでわかるとおり、まともに説得できるような文章を書けないから・・・

 とりあえず、そんなところ。
 宮家から男性を養子にして、男系を維持すれば、別に、大した問題ではないと思う。それをしないということは、天皇家を断絶させようという意図があるとしか思えず、だとしたら、反抗したいよねみたいな気持ちと、そういった悪意に対しての日本としての防衛観念というか。を勝手に思うから。
 

古代史について

2024年05月09日 | もののあはれ
 ARKしようと思ったのに、アップデートで6時間・・・。
 ケーブルの8mb?は、限りなく永遠に近い。光ならもっと早いのだろう。

 だからそもそも、時間あまって?(別のことをすればいいのだが、そういう風に機転を利かせられなくなった自分が、本当に嫌だ)。
 さっき、ふりーでんでくだらないことを書いたわけだ。
 とりあえず、・・・タイトル忘れた最近の作を面白く思ったのは、人が死ぬからか? 人が死ぬからいい作品なのか? 別に人がしななくてもリアリティーは生じる。

 話がそれるな。

 この前見たのは、阿波が古事記だというもの。
 少し前からそういう動画があがっていたが、よく見る都市伝説系が挙げていたのでしっかりみたところ、なるほどな、と思った。まあ、あえて言うなら、自分の考えが絶対正しいのだという考えのもとに言動するのは、見ていて気分が悪い。こういうのは、歳をとればとるほど、頭が固くなるのでしょうがないことではあるが、言葉の使い方もあるだろう。イラっとくるのは、その人間性にあると思う。ここでしっかり描いておく。イラっとくるのは、その人の言動にある。その人に、責任がある。それダメでしょと言う人がいないこと。それダメでしょと言われるような性質でないこと。それが、その人の限界なのだと思う。

 別の話になるが、史記列伝買ったので改めて読んでいるが、再度読んでいて(前は図書館から借りた)、思った。司馬遷だ。
 忠臣であろうとしているが、暴君(別の言い方が思いつかない。愚王か?)だから、正義を貫いても正当に評価されないのだ。
 という考えから作られた作品なのだなぁとしみじみに思った。まあ、原文よまず、訳文でしか読んでいないから、訳した人がそもそもそういう考えから訳しているから、そう読めてしまうのかもしれないが。

 で、史記はBC2世紀ぐらいか。そのときにはすでに、孔子や、春秋戦国。云々。文字による記録が残っている。
 自分が見る限り、いわゆる「神武天皇」は、1世紀あたりと思われる。
 で、最初の日本の記録が日本書紀で、それが7世紀8世紀。それまで文字がなったのか? そんなことはない。日本書紀の前の云々、蘇我とともに燃え尽きた云々。

 同じことを言うかもしれないが、中国から移民してきたとしたら、どうして、語順が違うのに、日本語語順を今に残すのか。その言語的な観点から、どうしても、よくわからない。

 中国から来た人々が文字を使って、日本でも文字を記録していてもおかしくないのに、なぜそれが見つからないのか。
 奈良時代の木簡は多数見つかったが、それ以前のものが見つからない理由はなんなのか。

 さてはて。
 あったのに消滅してしまったとしたら、云々。

 だいぶん話がそれてしまった。

 阿波を舞台にして古事記が描かれているというのは、よしんば認められるとして、しかし、それはどこまでか。
 姿を現さない神々、いざなぎいざなみ、三神、天孫降臨、神武東征。その後はいったん措くとしても、古事記ではこの5段階が最低限、時系列としてある。(あれ、東征の話あるっけ・・・覚えていない)

 話はそれるであろうが、どうして姿を現さない神々がいるのか。
 そのくせ、たかみむすびかだれかは、天孫降臨に口をだすっけ? ああ、うろおぼえ。
 どういう意図で古事記が書かれたのか、が、やっぱり一番重要なのだろう。

 日本書紀は、天武系政権による独立国の由来を、対中国政権圏に認めさせるために作られたものだと思う(これ自体が考え違いであれば、以下はすべて破綻するわけだが)
 そこには、納得させられる歴史経緯。
 そもそも、日本書紀でもいわゆる神話時代のことは、おそらく、当時でも、7世紀8世紀でも、夢物語でしょ、と、まともに物を考えられる人には思われたことではないだろうか。
 神がいかなるものか。年齢を重ねていけば、わかってくる。
 万物を動かすような、あるいは、万物にやどるような、人に影響を実際あたえるような、そういう存在はいない。
 しかし、なんとなく、影響あたえるかも、今日5円拾った、ラッキー、神様いるね、みたいな感覚はあるとしても、本当に神様がいて、自分に5円を拾わせるような幸運をあたえてくれたかどうか。
 科学的にありえないと思うのと同じく、当時でもやはり、普通に考えれば、そんなことありえないと思ったと思う。
 神なんていない。しかし別段、いても問題ない。みんながいるというから、いてもいい。でも、まじめに思うなら、いない。それが知識人の考えかただったと思う。
 今の自分よりはるかに頭のいい人がいっぱいいたのだから。
 世間的に神はいないというと、体裁悪いから言わない。それだけのことだと思う。

 で、そういう土台で考えてみると、なんで神がいたのか? 違うか。
 神々が(いざなみいざなぎ)が世界を作った。は少し違う。もともと世界はあって、いざなみいざなぎが、いわゆる日本を作った。なんで世界があるの? いざなみいざなぎが作ったから。で、それ以前の世界は、神々がいて、その神々の世界に創生については何も言わない。
 中国神話とかでは、巨人の云々とかかもしれないが、古事記、日本書紀にはそれがない。
 よくいわれるが、人間が生まれた理由もない。
 古事記日本書紀では人間はいつの間にかいる。

 論理的に考えて、(今は古事記に限るが)創生問題ではないことになる。
 だとしたら、古事記の問題点は何か、よくいわれるのが(さっきも同じ文言書いて思ったが、誰がよく言うのか)。
 これは天皇の系譜を書き連ねたものであると。

 古事記が天皇の系譜を記したものであるならば、それが阿波を舞台にしているとしたら。
 だとしたら、なぜ、「阿波である」ことを名言しないのか、が問題になる。

 阿波でないから。
 意図的に阿波を排除した。

 意図的とは何か? 血縁が意図的に改ざんされるならともかく、地域が意図的に改ざんされる必要性があるのだろうか。そこが問題になる。あまり、こういった点から読んでいないから想定できないが、「やまと」(という地域)を起点として歴史を改ざんする意味があるのかどうか。ん? 神武東征は古事記にあるのか? 神武が東征したのだとしたら、そこに、「やまと」を起点とする必要はなく、結果としての「やまと」であるならば、出発点はどこでもよくなる。

 ああ酔っている。ぐだぐだ益のないことを。

 風呂に入ってきた。
 入りながら、いろいろ考えた。
 しかし、忘れるだろうと思った。案の定忘れた。
 一つだけ覚えておこうと思ったことがある。

 改ざんするのは、何らかの意図がある。

 古事記をあまり覚えていないので何とも言えないが、「阿波」でない、九州等として読めるのであれば、それは、九州等を設定することで、利益を得る人がいたということである。

 改ざんされたのだとしたら、意図があり、改ざんされていないのだとしたら、素のままである。
 どこが改ざんされ、どこが素なのか。
 わかるわけがないが、改ざんする意図があるのかどうか、という点から逆説的に考えていくとしたら・・・どうなのだろう。できるのだろうか、そんなこと。

 ともかく、いろいろ動画を見て思うことは、
 天皇の名前は700年ごろにつけられたものであること。神武やら継体やら、後世的に意味はあるとしても、当時においては、なんら意味をもたなかったこと。
 古事記は、実際、いつごろ世の中に出たのか、判別つかないこと。ひえのアレイがいたかどうかも、わからないこと。日本書紀は歴史書として編纂されたが、古事記は、国家による作ではないこと。だから、中身を改ざんされたとしても、是非を判別できない(元文章を確定できない。日本書紀は(中身の真偽はともかく)多数による決定で、文書が公的に確定していること。認められいていること。作成以後の改ざんが、おそらくないこと。史書だから)

 あと、偽書といわれるもので、文法が江戸時代だから、というのは正論ではないこと。口伝を江戸時代の人が文書にしたら、そうなるでしょと。文書は、書いたその当時の世界観に影響される。口伝であっても、やはり同じだろう。完全にコピペしてくことが、人間の限界としてできないと思われるのだから、云々。
 
 その辺のことを思ったことのみ、とりあえず記しておく。
 酔いすぎだな。

 あと、文明、もしくは文化は、「文」の字が入る。文字が存在して初めて「文明」「文化」といえる。
 それが言葉の定義になる。
 文字がなくても文明はある。文化はある。
 そのとおり。
 だが、「文字」を厳密に突き詰めるならば、「文字」があってはじめて云々である。

 ここで、文字を口伝可能な観念として云々ということもできる。
 ただし、そうなってくると、文字とはなにか、言語とは何か。話し言葉とは何か、という検討に入っていくので、難解である。
 にゃあとなく猫は文明文化を持っているか。
 持っていないと思うなら、なぜ人間にはあるのか。
 文字をもたない民族もある。彼らと猫と、何が違うのか。

 考えることはいっぱいあるが、自分にできるのは疑問を呈するのみで、とても頭が動かないので、それ以上のことができない。
 悲しい。
 肉体すべて機械に入れ替えて、改めて、昔のようにいろいろ考えられるようになれば・・・
 銀河鉄道999は、偉大だな。と少し思った。


 

 

そうそうのふりーでんを見た

2024年05月09日 | もののあはれ
 某岡田なんとかのゆーちゅーぶを(まとめなのかな?)を見ていたりする時もあるが、タイトル作がおもしろいというのは見ていない。そういうのがあるな、数分程度見た。
 ただ、この作品はおもしろいものだというのが世間的だということで、気になっていることは気になっていたが云々。

 酒に酔っている上に、将棋しながら。
 いろいろごめんなさい。

 さて。
 
 別の話をするが、転生物は多い。で、鑑定スキル云々を見始めた。1話はおもしろかった。が、奴隷等の身分制云々。盾の勇者でも思ったが、なんで、奴隷制のない現代において云々。

 最初の一人が差別民であり、それを云々はおもしろさが見いだせるが、その後も、いわゆる劣等民を、云々するのは・・・。自分より身分等が低い人間を云々と思うと、うーんと思う。平等の問題からしっかり話を作るならいいかもしれないが、そうしようとしているのかもしれないが、なんか違うと思う。
 アニメ業界云々 
 まあ、しょうがない話なのだろう。なにかを作らなければならないのだろう。
 もう少しやりようがあれば、もっといい作品になるのだろうに。
 時間と、「優秀な」人がいないのが現代なのだろう。どこの業界でも。

 よっぱのたわごとだ。

 さて、タイトル作については。
 旅物だとおもった。
 旅物は、のんびりしすぎて、はまらないと面白くはない。
 岡田某はアニメの視点で話をしていたが、自分はどうしても、アニメでしか物語を見ないが、アニメ視点よりは、物語視点で面白さを判断してしまう。

 勇者一行と10年ぐらいしかいなかった長命のエルフだから、一瞬のことに感慨を持たないというのを起点にしているとしたら、そもそも、その後に人間と冒険しつつ、しんだ勇者たちとの冒険を思い返すとか、そもそも設定としてありえない。長命なら、その後の話も、ほんの少しでしかないわけだ。
 少なくとも、最初に、長命のエルフが10年ぐらいのつきあいでしかないのだからといっているわけで。
 そこで、話の設定がそもそも破綻していると思ってしまった。
 だから、その後、勇者の過去の話を思い返しつつ、「良い話」をされようとも、構成として、矛盾でしょ? と思ってしまうと面白く感じられない。

 そんなことを思わなければ、十分おもしろい、のんびりとした旅物語だと思うのだが。
 まあ、戦闘づくめで終わらざるをえないのは、しょうがないところだとは思う。

 別に、多くの人が評価しているものをけなしたいわけではない。「この自分」にとっておもしろいか否か。

 長命のエルフが、特に感慨もなく一緒に冒険して魔王を倒したという勇者一行との記憶を云々。
 エルフにっとてどうでもいい程度。わずかな時間。しかしそこに「意味があった」
 それは別に長命のエルフでなくていいんじゃね?
 逆に長命のエルフだからこそ、わずかな時間の出来事なんてどうでもいいんじゃね?

 同じことを書いたかもしれないが、とにかくそこについて反論されない限り、矛盾でしかない。
 まあ、漫画やアニメや、ありえない設定で初めて十分にいいが、ありえないと思ってしまったら、極限まで楽しめない。だから残念に思う。
 もう少し、矛盾を解消するような設定、展開をしているのであれば・・・
 それを求めるのは、優秀な人物を求めているということになるのだろうか。

 飯をくってきた
 相当酔っている。

 もう人生どうにでもなれ、みたいな状態なので、それはよくないと思っている。というのが、最近だ。

 途中を省く。

 当該作品は、旅物してノンビリシテいればいいと思ったのに、なんか最後とかバトル物していて、これ違うんじゃね? と思った。
 バトルしないとお金入らないからそうなったのかもしれないが、作品としては、バトルしたゆえに、駄作である。
 じゃあ、バトルしなければおもしろかったのか?

 おもしろいおもしろくないはともかく、旅物としての一貫性は保てる。
 おもしろいおもしろくない、お金が入る入らないではない。

 面白い作品というのは、しっかりとした一貫性をもった作品であることが、基本であると思う。
 そんなことを思った作品だったということ。


 

 

 
 

 
 

R6.4.30

2024年04月30日 | もののあはれ
 酔っている。
 最近身体の調子が悪くて、少し前は少し酒を飲むだけでやばかったが、酒を飲む量、日を減らしていたら、少しマシになって、しかしそうなると、調子にのって飲んだり・・・
 今日は調子に乗っている。

 ようは、あれだ。気持ちが大きくなっている。よくない話だ。

 さて。
 隠語とか、まわりくどい言い方だと、数年経ったらわからなくなるだろうから、できるだけわかるように、なんとかしよう。

 なお、どうでもいい話だ。
 某Vtuberの話だ。

 イミフな行動理由で卒業でなく解約になった人の話だ。
 もともと人気があったし、その後もそこそこ、食っていけている人の話だ。
 何かをしようとして、それが結局できなくなったらしい。
「プライベートの係争が原因ではないと明言」
 と書いてあったが、プライベートが理由でしょ。と思った。
 人格的に問題がって、やっぱ周囲が一緒に仕事したくないと思ったのではないか?
 とかってに推測する。
 ちがうかもしれないが。

 まじどうでもいい話をしてしまったな。

 
 
 

むかしのこと(音楽の記憶)

2024年04月21日 | もののあはれ
 Youtubeで適当に音楽を流していた。
 シャ乱Qが出てきた。
 むかしから・・・それこそ当時から思っていたが、なんでシャ乱Qは流行ったのだろうか。
 今聞いても、独特な音楽をしていると思う。

 それはおくとして、

 シャ乱Qを知ったのは、(詳しく調べないのでやや適当だが)TVで素人バンドのコンテストがあって、それで見た(多分優勝していたはずな)のを、覚えている。多分間違いはない。それがいつだったかは覚えていないが、当時バンド活動に興味があったので、そういった番組はすごく貴重だった。
 なお、鳥取からもあるバンドが出ていた。シャ乱Qのときと同時かどうかは覚えていないが、女性がボーカルで他は覚えていない。鳥取「市」出身ではなかったと思うが、あるときアコヤでちょっとしたライブがあって、そうそう、チケット買わされたような覚えがある。誰もこないような音楽スタジオでバイトしてたときに、もう一人のアルバイトから買わされたような。浪人時代のことだ。
 テレビで見た彼女がすぐそこで、座って煙草を吸っていた。そしてニットのような上着で胸ポチしていた。
 今でも覚えている。
 でもどんなジャンルの曲だったかはまったく覚えていない。

 なお、もう一人のアルバイトの彼は、SHOW-YAのコピーバンドのギターとしてライブにでていた(と思う)。
 エックスとルナシーと、その程度しかロックやメタル風を感じられなかったところに、ショーヤが加わったのは、そういう理由だ。
 バンドといえばロック。
 という感覚だったから、バンドのコンテストのシャ乱Qは、何か違うと思った。
 そういう、どうでもいい、むかしの話だ。
 

トップをねらえを見た

2024年02月09日 | もののあはれ
 まあ、最初のぐちぐちは略そう。いつものことだ。

 さて、少し前にYotubeで無料放送していた「攻殻機動隊(笑うなんちゃら)」と「ナデシコ劇場版」を見た。それらはそれらで言いたいこともあるが、別にどうでもいいやと思えば、どうでもいいやと思う。今タイトル作も同じことだが、奮起しようと思った。何もしないより、何かしたほうがいい。
 結局最初のぐちぐちだった。

 さて、なんというか、「なんだこれ?」が感想である。
 最初の、あまりにもアホらしい絵づら(ロボットが体操しているアホらしさ)、から、なんかしらんうちにシリアスになっていくという、なんだこれ、である。
 一貫性を求めるなら、破綻しているとしか言いようがない。まあ、アニメだから別にいいじゃん、と言ってしまえばそれまでだが、破綻していると言えば破綻している。ナディアとか、エヴァのTV版での「ええかげんさ」は、もともとからの遺伝子的な確定要素なんだな、と思わせる。おそらく反論はできないだろうまでの、ああ、ガイナックスだね感なんだろう。

 ちょい調べたが、タイトル作は、オネアミスの翼が赤字だったから、その借金返済のために作られた、とあった。
 まあ、ここから何も言えないわけだが、オネアミスの翼は、実際、それなりにおもしろい。まあ、当時代的には、売れなくてもしょうがないかなとは思う。アニメファンが何を期待して、何を求めていたのか、しょうがない話である。

 さて、OVAだからということなんだろうが、Oっぱいがよく出ていた。最後とかも、なんか無駄にチチさらけだしていた。脈絡はないが、正直、とてもイイと思う。エロに関しては脈絡なしでいいと思う。それが「さりげなさ」だと思う。
 べつに、おっPいが出ているから、これを書いているわけではない。勘違いしないでもらいたい。

 しかしなんというか。特段感想はない。
 ナディア、エヴァと、かなり似通っている。ただそれだけである。
 Wikiではウラシマ効果とあるが、じゃあ、これがなければ感慨ないよね、というシナリオも、うーん。である。むりやりとっつけたよね感は強い。
 書けば書くだけ悪口になりそうでアレだけど。

 しかし、結構まとまっていて、おもしろいのは確かだ。ロボットが準備運動や体操をするというシーンさえなければ、結構おもしろい、といったかもしれない。
 とにかくとことん、ロボットが体操するという、シュールなパクリが、後半のシリアスをダメにしていると、自分みたいな人間は思う。自分みたいな人間でなければ、別に気にならずに、おもしろいと終えることができるだろう。

 しかしなんというか、いわゆる現代、もしくは当時の少しあとぐらいに流行る言葉、「オタク」向けを思えば、現代的な観点からは全然不十分だと思う。「萌え要素」が見いだせない。片鱗はあるのだとしても、明確な自覚はない。それが90年代前半~00年代弱の、「萌え黎明期前」ということだろう。
 おっぱ愛だしときゃいいだろみたいな安直な感じが、当時の時代性の限界なんだと思う。

 そんなことを思った。

 〇ッ〇〇万歳。

 
 

青の六号を見た

2024年01月27日 | もののあはれ
 時系列では前の記事に先す。
 これまたdアニメだが、まもなく配信終了に見えたから、見た。
 1998年作(~2000年)。
 当時はCMをよく見た。おそらくWOWOWだったのかな。
 たー、たっ、たらーーー、たらら、たらたらたっ、たらーーー。
 98年のWOWOW無料アニメは何があった?
 調べた。
 やっぱビバップだった。

 青の六号を見て、早い段階で思ったのは、これビバップに似てるな、だった。
 雑然とした雰囲気の絵柄が似ていた。これは、パトレイバーの映画よりもビバップの方がより似ていると思う。
 ま、製作会社やら監督までは調べないから、云々だが。(おそらく何かしらの関連はあると確信できる程度に作風が似ている。ただ、効果音については、ビバップと違うと思った。上記のたーたったらー、はビバップ感はあるが、でも、作品全体としては、違うと思った)

 また、アルペジオを見たときに、やや、青の六号を思った覚えがある。ただ、青の六号は当時、1話見たことがあるかどうか。だったので、アルペジオとのこの辺の記憶は、後付けかもしれない。

 なお、青の六号は、すっごい昔に同名タイトルの漫画があって、それを、同作者が改めてリメイク、それを原作(といってもそれほど準拠してないらしいが)として、アニメとして作成。しかも当時としては、自分の記憶としても、初めての3DCG作品(これは謡い文句であったはず。CMでも聞いたはず)。

 3Dだからこそ(かつ海に関するから)、アルペジオを見たときに、青の六号に関連するのかなと思ったものだ。この辺の関連については調べてない。
 
 バーチャファイターが自分にとっては最初の3Dだったかな。
 この前、何かFFの動画で知人Fと話したが、2000年代に、自分の記憶にはなかったが、FFの映画を一緒に見たらしい。一緒に見たという覚えはなかったが、当該FF映画についてはボロクソ言った覚えはある。一番の問題は、人間らしくない表情等、まったく感情移入できないという。
 それがいつの間にか、それこそFF16など、あまり違和感なく云々。

 話を戻そう。
 世紀末時代のアニメである。エヴァンゲリオンの臭いもぷんぷんする。残り香ではなく、直の臭いである。しかし、そのエヴァ的な意味で、青の六号とアルペジオの差異がなんであるかは、なかなか区別が難しい。
 少なくとも、アルペジオにはエヴァの臭いはあまり感じられなかった。

 ブログの最初のころに世界系とか話題にしたと思うが、(はるか昔だが)
 世界の命運を懸けた戦いという世界観の作品を世界系とした場合、エヴァもアルペジオをそれほどかわらない? いや、実際変わるか。
 エヴァの場合、確実に世界が終わる感があった(実際終わっていた?)。アルペジオでは、論理的にはそうなのかもしれないが、それが感じられなかった。青の六号は、エヴァ寄りである。

 つまるところ(?)、青の六号は、アルペジオと違って、昭和寄りの作風だということだ。
 アルペジオは昭和作とは言えない。
 一番のわかりやすいところは、まあ、キャラか。および、女性が多いところ。てか、アルペジオはほぼほぼ女か。話の流れも、そういった意味では、シナリオ自体は、世界の崩壊ではなく、仲良しこよしの話だ。
 エヴァだって世界云々よりもシンジ君の気持ちの話だ、と言えてしまうが、シンジ君の気持ちの問題がじかに世界の終わりにつながっているから、うむ、アルペジオとは違う。金剛と心が通じ合わなければ、あるいは武蔵と心が通わないならば世界は終わる、という感が、アルペジオでは薄い。設定的に世界が終わるのかもしれないが、その辺の描写が薄い。もちろんそういった意味では、エヴァも薄いかもしれないが、かじくんが畑に水をやっていたあたりで、エヴァでの、負ければ世界は終わる感はすごく出ていたから、やはり、エヴァとアルペジオでは違う。
 で、青の六号は、もう一度言うが、世界の終わり感ではエヴァの側に類する。

 そういった雰囲気が描写されている。
 これは、パトレイバーの映画で見る、何か、絶望感も類似している。だから上記にパトレイバーの映画を話題に出した。

 さて、それこそ本題に戻るが、青の六号はどうだったか。
 CMで見ていた女の子がヒロイン、のわけだが、思った感じと違った。
 自分の中では、あれはヒロインじゃないというのが結論である。まあ、6話程度の作品だと、詰め込めばそうならざるをえないのか。という思いではある。
 敵側の女の子のほうがよほどヒロインになってしまうわけだ。
 少し前にケモミミに人権なしとかあったが、ヒロイン要素には外見は関係ない。

 で、しかしなんというか、
 正直ゲームしながらだったから、実はよく見ていなかったが、世界の危機を招いたラスボスがいたのだが、「人類に絶望して」みたいな動機は、今現在はともかく、当時も、陳腐だと思ったと思う。まあ、当時は見ていなかったが。
 この辺のつくりが甘いと思った。これを補っているのが、そのほかの雰囲気である。これをうまく説明できないのが、やや情けない。老化と済ませるには云々。
 ただ、結論としては面白かったという。少なくとも、最近の、これ見飽きた感はなかった。
 思い出補正、と言ってしまえばそれまでだ。当時見ていなかったとしても、当時の作品であるという事実が、思い出補正として働ている。
 が、それでもなお、現在作品とは「違う」と思う。
 それが、時代性の違いなのだと思うわけだが、この感覚は、この、いま生きている自分たちしか感じられないのだと思う。100年後に分析しようとしても、そうとう、それこそ1000年以上の分析が必要になるのではないだろうか。いまだに源氏物語がどういうものなのか、云々。

 

 

 
 

メジャーセカンドとナンバリングについて

2024年01月26日 | もののあはれ
 前略。
 最近アニメをあんま見ようとしなくなった。どれもこれも「これ見たわ」感にさいなまれるようなってしまった。以前書いたか他で書いたか、大学時に先輩が見飽きてアニメみなくなったと言っていた。といっても当時は1999年ごろだったか? ともに(?)20代のころである。
 ともかく。

 dアニメでメジャーセカンドがみられるようになったので、タイミングが合ったので見ている。まだ途中。
 一番思うのは、花沢さんが主役食うぐらいの声をしているので、ちょっとお控え願いたいと思ったところか。少し前にYoutuぶで八犬伝やってて、敵側の悪女している人が(名前覚えてないが)作品食うぐらいの演技で云々と。見たらすぐわかるが、まじ演技パないと。

 また、さいきん昔ゲームボーイで始まったゲームで今でも人気の作品に類似したゲームが話題になっている。ぱくりで訴えられないのかと。類似性やらうんぬんやら、法律上は、セーフらしく、くわしくしらんが、とにかく(今のところ)問題ないと。何をもって模倣というのか、そういう概念の、法律上の問題というか、なんというか。

 それと、たまたまだが、FF16の実況動画を見ていて、まだまだ序盤かもしれないが、おもしろ作りをしていると思う。この場合のおもしろいは、シナリオについてであるが。
 で、その実況者曰く、FFは12から失敗していると。まあ、もちろん鵜呑みにするわけではないし、そもそも自分が12は途中まで、13以降はいっさい知らないから云々だが。

 ついでだが、最近なんとかのシレンが10数年ぶりのナンバリングとか。
 言い出すときりがないが。

 ここまでだらだら書いてしまったが、言いたいのはつまるところ、「ナンバリングは安心できるが、場合によってはコケるし、縛りが増える」

 前回がおもしろかったから、今回もという期待を持ってみる。
 期待通りであればおもしろく、そうでなければおもしろくない。
 ただそれだけのことである。
 縛り、とは、そういった期待にこたえられるかどうか、という点と、そうではなく、それこそ、ポケモンやガンダムやら、似たものを(ナンバリング以外のものとして)みてしまうと、アレっと思ってしまうこと。あるいは作れないこと。
 逆にナンバリングでなければ、おもしろかったのかもしれないが、というのもあるが、なかなかに難しい問題であろうか。

 ちなみに、今現在でいえば、メジャーセカンドは、「期待どおり」でおもしろい。
 としやの家庭をなんでまた不幸環境にするのか、というところは、なんか嫌だ。さすがにかわいそ過ぎると思う。
 
 

歴史の勉強で少し

2023年11月22日 | もののあはれ
酔ったついでだ。
酔ったついでだ。
酔ったついでだから。ね。

 日本の歴史の本を、二度目、読んでいる。
 今は、頼朝あたりだ。
 1度目、ほんとに読んだの? と思うほど記憶にない。
 が、先日というか、去年? だっけか。鎌倉殿を見たおかげで、ずいぶんと読んでいて頭に入りやすくなった。
 自分は、文字よりも動画の方が、結局のところ頭に入りやすい性質なのだと思う。

 義時、時政、政子、泰時、三村義村、武田だれだっけ、梶原だれそれ、頼家、実朝。。。
 ただ、これを京都側から描いていないから、実際どうなのかはわからない。

 というのは、全国の流れを、鳥取から見た描写をしていても、全国の流れは見えてこない。

 結局のところ、日本の中心はなんだったのか、である。

 いやいや、まあ、なんつーか。前に書いたうんぬんかんぬんか。
 立場、視点の違いでしかないから、「たまたま」武家の立場でこの時代を描写した作品を読んだ、ということだけなのだろうが。
 なんというか。

 江戸時代を知りたくて、このシリーズを見たが、歴史勉強としては役に立たないと思った。あれ、天保の改革書いている? 田沼意次かいてる? その他もろもろ。あれ?

 まあいい。話を1100年代にもどそう。

 適当にしか歴史を知らなかったころ、清盛とか義経とか、漫画的にしか知らなかった。
 ある程度知ったのは、それこそ大河清盛ぐらいか。そのあたりで、ちょうど、以後、歴史シリーズを読んだ気もする。
 あるいはWikipediaも充実し始めて。

 少しかじった程度のときは、清盛が武家の世の発端だ! すごいことを成し遂げたんだ! とか思っていたが、さて、どうだろう。結局清盛は、武家ではなく、公家よりでしかなかったと思う。頼朝が武家政権を作ったのだ! となるが、しかしその前提として清盛が・・・。

 流れとしては、藤原摂関家? 天皇家をうまく牛耳ろうとした藤原時代が、「外戚としての立場」をうまくつなげることができず、タイミングよく白河天皇が権力を手中に収め、藤原氏も手中におさめようと、既存のシステムに手を加えて、むちゃくちゃにして、そうやって世の中のシステムが混乱した時代に、「たまたま」、あるいは「時勢を見据えて」清盛が世の中を手中に収めようとした・・・

 まあ、実際見ていないからわからないが、「本を読む限り」偶然なのかなぁ、とは思う。
 もし清盛が平凡以下の人物であれば、どうなっていたのか。

 「たまたな」混乱していた時代に、「たまたな」優秀な人が「たまたま」うまく世情を握った。

 これは本当にそうなのか。
 しかし、ただ、それだけのことだった。

 たまたまであるといえばたまたまであるし、
 力をもっていた、才能のある者が時宜にかなって行動した必然といえばそれまでのこと。

 しかし、清盛が頼朝を殺さずに伊豆に流したこと。
 これによって鎌倉幕府が始まったという、なんというか。
 仮に頼朝を種子島に流していたら、おそらく鎌倉幕府(ようは頼朝政権は)生まれなかったのだろうとか。
 清盛がもう少し長生きしていれば、うんぬんかんぬん

 なんというか、結局、長生きした者が勝つ、とまではいわないが、長寿が勝利の秘訣とは、思ったりする。
 一番わかりやすいのは家康だろうが。

 ちな、義時も泰時も60代で死んでいる。昔だからそのぐらい? とか思うかもしれないが、がんばれば70代は行けると思う。その時代でも。おそらく彼らは過労だと思う。
 過労で若死にするか、長生きするか、どちらが、自身にとって幸せなのか。
 世の中の正義が、おのれの寿命か。
 なんというか。
 なんというか。

 ちなみに長生きで語るなら、毛利元就、今川氏真、真田信之だろうか。
 ゲンアンも長生きだが、北条はあんま詳しくないし。

 しかし、いやまじ、今川氏真の人生は、意外とおもしろいのではないかと、知れば知るほど思う。
 彼自身にエピソードはなくても、戦国から江戸初期まで生きながらえるという、観察者的立場として、これほどおもしろい視点はないと思う。
 そろそろ、誰かすごい人が、氏真主人公の物語を作ってくれると思う。
 傍観者として、面白い作品ができると思うが、いかに。
 

最近みたもの

2023年11月21日 | もののあはれ
 ん。すげえ酔っているな。
 と思う。
 オレオがおいしい。

 さて。直近の話で、なんで直近というというと。
 記憶力がないからだ。もしかしたら直近以上前に何かを見たのかもしれないが、覚えていない。

 で、直近見ている現在進行形は、なんだ。
 探偵はすでに死んでいるか。

 3話目ぐらい。
 何年製作だ? 調べるのがめんどい。
 なんか、どこかに所属している、きつねと、あー、例えがないか。最近うんぬんかんぬんで、うんぬんかんぬんの理由はしらないが、うんぬんかんぬんでうんぬんかんぬんが泣くという。
 いやこれ数年後意味不明というか、二日経っても意味不明か。
 
 酔っているなぁ。

 さて。
 消滅都市をたまたま見た。
 昔のゲームのアニメかと思ったが、2014年ごろはじまったスマホのゲームが最初らしい。
 へぇ。

 なんつーか、ぶっとんでいない声優誰それはつまらない。イケメン役してもつまらないと思うのはなんだろう。期待感に沿っていないのが悲しいが、ああ、これも数年したらわからなくなる? そんなことない。調べればだれが声優かわかるだろう。酔っている。

 さて。一度しか見ていない状態で何かを発言するのは、適当な理解で適当な発言をしているだけだと思う気がして、多少なりとも嫌な感はある。適当なことを言っているのだろうと。

 話はそれるが何だったか、何だったかで何だったかで、・・・
 酔っているな。

 その放送を見たこともない人が、タイトル(題字)だけを見て、クレームをしたということがあって、以来、その放送は放映禁止になった云々とかいう。ジュワッチ。

 なんというか。なんというか。
 せめてその放送を見て、これダメだろというならともかく、見たこともないのに間接的に見知ってクレームを言うなんて、なんというかなんというか。
 腹ただしい。

 さて。
 消滅都市の素直な感想は、おもしろくない、である。
 作業しながら見ていたから、集中できずに、理解できずに、そういう意見になったのかもしれないが、だとしても、たぶん、おもしろくない。
 ダイジェストすぎる。

 24話ぐらいつかって丁寧に扱えば、あるいは、いろいろのめり込んでおもしろかったのかもしれないが12話だけでは、足りなかった。いやしかし。12話あれば結構いけるんじゃね? という2000年代以降の考えで行けば、それでもなお、説明しきれないほど容量多すぎ、ということか。
 いわゆる、昨今の説明で言うなら、情報量が多すぎた。である。
 そういう類でいうなら、ふと、Fateが思い浮かんだ。
 設定が複雑すぎる場合、短い話数だと困る。

 それでもFateはシリーズ化しているし、1stでも24話ぐらいあったから、まだなんとかなったが、消滅都市に関しては、ちょっと無理だったと思う。
 まあ、そもそも絵が嫌いだから、というのもあるか。ヒロインもなんか嫌いだし。
 
 酔ったタワゴトだ。

 何がいいたいか。もう少しうまくやればかなりおもしろくできたのだろうが、いまいちうまくいかずに、中途半端のダイジェストで感情が入らない。おもしろくない。
 そういう作品だ。
 惜しい。まことに残念だ。

 という思いが強い。

 さて。そのあとに見たのが上述云々で、これのそれ。それこそ、おいおいしらがみとまつりじゃんとおもったのでこれを書いた。それがなければこれは書かなかったと思う。
 つい最近、あずきがハワイに来たらしい。なんというか。
 なんというか。
 
 探偵云々はまだ見はじめだから、最後まで見てから書くべきなのかもしれないが、なんというかなんというか。

 ありえない設定の作品は、そもそもありえない時点で興が覚めるからそもそも見ない。
 というのが自分である。
 異世界転生はありえないが、それをありえると受け入れて面白く思おうとしているから許せる。
 しかしどうだろう。見たことはない。「見たことはない」、らっきーすけべのうんぬんかんぬんみたいな?

 あり得るのだろうか、その状況。その現実。
 それを受け入れたとき、「まあ別にいいんじゃね?」とおもうわけだ。

 それさえ受け入れれば、まあおもしろい。
 おもしろい・・・が、それでもなお、変じゃね? と心の奥底で思い続ける。
 個々人のリアリティーの問題だろうが。

 うーん。
 こうやって書いていて、自分がいかにアホになりつつあるか実感している。適当なことを、まとまりもなく、まとめようもなくただ書いているだけだなぁと思っている。
 その自分が、面白いと思いつつ、変だよな、おかしいなと思う。
 なんというか。
 なんというか。

 自分が14.5歳であれば、とんでも設定でも気にせず見ているだろう。
 あほだから。世間をしらないから。
 しかしそれでも、いくらあほでも、世間を知らなからとうとも、それでもなを、
 やはりこれ、あからさまに非現実な初期設定だよな、と思うのが探偵は云々、である。

 そのちょっとした非現実をうまくカバーできる設定にすれば問題ないのに、なんで、あからさまにありえない設定にして、せっかくのおもしろい根本を無味にするのか、もったいない。

 もったいない、もったいない。
 もったいないお化けがでるほどに、無駄な消費が行われている気がした。
 2021年か。
 こんなんだから、業界は苦しいままなのだと思う。
 外から見ていても。言える。