酔っているというのを一番の理由にあげる。
あえて言うなら、酔っていることを理由にしてこんなことしても許されるだろと言わしめている。
酔っている。
また、なんだかんだ、怠惰な自分の性格も悪い。
以前も書いたかも知れないが、誰も見ていないとしても、見られる可能性のある場所として、他人の目を気にして文章を書くことで、それなりの見栄え、緊張感をもてる、のではないか。少なくとも、今の気持ちのメモがてら、ワードなどに文章を残そうとしても、テンションがあがらない。という意味において。
さて、6月末にFE聖戦の小説を書こうと宣言してすでに4ヶ月ちかくがすぎた。
何をしていたのだろうか。
7~8月ぐらいまでは、まだいろいろと考えていたが、どうにも9月からはだらけはじめたようだ。9月の中ごろからはほんとうに飲んで寝るだけの生活になってしまっていた。
ここであえて、題名どおりのことを、真面目に考えたい。
酒を飲んではいるが。
一番は、物語が作れない。それに尽きる。
いやいや、もっと分かりやすく言えば、小説が書けない、である。
おもしろいとはなんなのか、自分にとっておもしろいのはなんなのか、そういったことを考え始める。が、これは実際逃避になる。
それこそ「おもしろい」とは理屈ではない。
適当に言った。
まあ、酔っていることを理由にして以下をだらだらと書く。
まず、聖戦について、辻褄のあわないことがどうにもきになって設定をつめようとした。が、最初から作られている世界観にたいして、矛盾があるから、といって世界観を作り直すのは、最初から世界観をつくることよりも難しい。これは別段言い訳でもなんでもなく、当たり前の話である。それを分かっていてなお、聖戦で小説を考えようと思ったのだ。
が、思った。
仮にリアリティーのある設定に改装できたとして、では読んでおもしろいと思えるのか?
単純に言えば、現実の話よりも現実にはありえないような展開のほうがおもしろい。
現実にはいないような行動のできる人物、それこそ涼宮ハルヒのような「キャラ」のほうがおもしろい。
のではないか。
さきほどセンゴクについて書いた。
それこそあの中の信長は、仙石と初めて顔を会わせたシーンでの信長は、めちゃくちゃ好感度UPの展開をしている。
が、逆にそういう作りだからこそ、わざとらしい、どこかで見たことのあるような話だ、と自分に思わせたわけでもある。が、そう思ったとしても、「おもしろい」と思うことのほうが数万倍も自分にとって利のあることで、ようは、おもしろいと思えたのだとしたら、それが一番である。
そういった意味で、自分におもしろいと思わせるような「何か」は、逆説的な言い方をすれば、「こんなん現実じゃありえないだろ」という人物、あるいは展開である。
早い話が、少年漫画的展開、ということになる。
良い話にしろ悪い話しにしろ、「都合がいい」のである。
話を戻すが?
聖戦の序章を考えるに、最初にぶちあたった壁は、中世なのか近世なのかという時代設定である。
大陸面積をどうするかも問題であるが、単純に、仮にグランベル王国領土をフランスと同じ程度にすると、イザーク遠征はけっこうな大遠征となる。
たしかに中世、十字軍は大々遠征だったが、それが行われたのは特別すぎる特例だろう。
ああ、こういった話を書く前にどうしても書いておかなければならない話もある。
まったくもって、めんどくさい自分の性格だ。
しょせん自分は一般人レベルでしか歴史を知らない。
先日というか8月以来、図書館から借りた中世西欧の歴史本を3ヶ月かけて読み終えた。
で、次にとりあえず日本の中世も読んでおくかと、一冊借りた。
思った。
当たり前だが、同じ中世の研究にしても、日本のもののほうがより詳しい。
当たり前である。
ここは日本である。
自国の研究をさしおいて外国の歴史のほうがより詳しく研究されるとか、ありえない。
ほんと、当たり前の話である。
それとまた、自分が歴史を好きだといっているのは、しょせん信長の野望というゲームレベルの話なんだなと実感したことである。そういったレベルの知識と学問は違う。
うまく書けないので単刀直入に言えば、学問として歴史をより詳しく知ったからといっておもしろい話が作れる訳でもなく、逆に言えば、ゲームレベルの知識でもおもしろい小説は書ける。
普通にそう思えた。
たしかに学問として歴史を知ることで、当時の雰囲気、それこそ世界観は見えてくる。どんな生活をしていたのか、どうだったのか。
が、「現代」の人間がもとめるエンターテイメントはどこにあるのか。
8月から読んでいた中世西欧の本の序章だったか、中世の世界に思いを馳せる風潮があるが、実際の中世は云々というくだりがあった。
中略。酔っているがこれは自制しておいた。数日したらなにを自制したのか忘れるだろうが、何を自制したかは書かないでおく。
ああ、話はそれているのか? 何を書きたかったのか忘れている。
そう、つまり遠征とは何かである。
一般人レベルをちょいとレベルアップして、しかししょせん学問的にはなにもわからない一般人レベルでの話だが、遠征をするとして、では食糧はどうやっているのか? である。
めんどくさいので具体的な数値はださないが、行軍するとしてどの程度食糧を所持できるのか。
それこそ食糧を輸送する輸送隊、人、馬の分も食料は消費されるのである。食糧のなくなった部隊に長距離の輸送をするとしても、輸送隊が部隊に追いついたときにはすでに輸送するはずだった食糧すべてが消費されているという事態も考えられる。
酔っているのでさらに続けるが、そういった意味で戦争があると村は略奪されるわけである。現在でいう輸送部隊はいなかった。それこそこの「現在」は、かなり現代の範囲にあてはまる。第二次大戦ですら輸送の問題を極端に言えば中世の域をでない。というのは少々極端にすぎるか。
詳しく知らない。
が、最近読んだ、そういった本によれば、現地調達が結局のところ最大の進軍速度を保てたとか。
あえて言うなら、酔っていることを理由にしてこんなことしても許されるだろと言わしめている。
酔っている。
また、なんだかんだ、怠惰な自分の性格も悪い。
以前も書いたかも知れないが、誰も見ていないとしても、見られる可能性のある場所として、他人の目を気にして文章を書くことで、それなりの見栄え、緊張感をもてる、のではないか。少なくとも、今の気持ちのメモがてら、ワードなどに文章を残そうとしても、テンションがあがらない。という意味において。
さて、6月末にFE聖戦の小説を書こうと宣言してすでに4ヶ月ちかくがすぎた。
何をしていたのだろうか。
7~8月ぐらいまでは、まだいろいろと考えていたが、どうにも9月からはだらけはじめたようだ。9月の中ごろからはほんとうに飲んで寝るだけの生活になってしまっていた。
ここであえて、題名どおりのことを、真面目に考えたい。
酒を飲んではいるが。
一番は、物語が作れない。それに尽きる。
いやいや、もっと分かりやすく言えば、小説が書けない、である。
おもしろいとはなんなのか、自分にとっておもしろいのはなんなのか、そういったことを考え始める。が、これは実際逃避になる。
それこそ「おもしろい」とは理屈ではない。
適当に言った。
まあ、酔っていることを理由にして以下をだらだらと書く。
まず、聖戦について、辻褄のあわないことがどうにもきになって設定をつめようとした。が、最初から作られている世界観にたいして、矛盾があるから、といって世界観を作り直すのは、最初から世界観をつくることよりも難しい。これは別段言い訳でもなんでもなく、当たり前の話である。それを分かっていてなお、聖戦で小説を考えようと思ったのだ。
が、思った。
仮にリアリティーのある設定に改装できたとして、では読んでおもしろいと思えるのか?
単純に言えば、現実の話よりも現実にはありえないような展開のほうがおもしろい。
現実にはいないような行動のできる人物、それこそ涼宮ハルヒのような「キャラ」のほうがおもしろい。
のではないか。
さきほどセンゴクについて書いた。
それこそあの中の信長は、仙石と初めて顔を会わせたシーンでの信長は、めちゃくちゃ好感度UPの展開をしている。
が、逆にそういう作りだからこそ、わざとらしい、どこかで見たことのあるような話だ、と自分に思わせたわけでもある。が、そう思ったとしても、「おもしろい」と思うことのほうが数万倍も自分にとって利のあることで、ようは、おもしろいと思えたのだとしたら、それが一番である。
そういった意味で、自分におもしろいと思わせるような「何か」は、逆説的な言い方をすれば、「こんなん現実じゃありえないだろ」という人物、あるいは展開である。
早い話が、少年漫画的展開、ということになる。
良い話にしろ悪い話しにしろ、「都合がいい」のである。
話を戻すが?
聖戦の序章を考えるに、最初にぶちあたった壁は、中世なのか近世なのかという時代設定である。
大陸面積をどうするかも問題であるが、単純に、仮にグランベル王国領土をフランスと同じ程度にすると、イザーク遠征はけっこうな大遠征となる。
たしかに中世、十字軍は大々遠征だったが、それが行われたのは特別すぎる特例だろう。
ああ、こういった話を書く前にどうしても書いておかなければならない話もある。
まったくもって、めんどくさい自分の性格だ。
しょせん自分は一般人レベルでしか歴史を知らない。
先日というか8月以来、図書館から借りた中世西欧の歴史本を3ヶ月かけて読み終えた。
で、次にとりあえず日本の中世も読んでおくかと、一冊借りた。
思った。
当たり前だが、同じ中世の研究にしても、日本のもののほうがより詳しい。
当たり前である。
ここは日本である。
自国の研究をさしおいて外国の歴史のほうがより詳しく研究されるとか、ありえない。
ほんと、当たり前の話である。
それとまた、自分が歴史を好きだといっているのは、しょせん信長の野望というゲームレベルの話なんだなと実感したことである。そういったレベルの知識と学問は違う。
うまく書けないので単刀直入に言えば、学問として歴史をより詳しく知ったからといっておもしろい話が作れる訳でもなく、逆に言えば、ゲームレベルの知識でもおもしろい小説は書ける。
普通にそう思えた。
たしかに学問として歴史を知ることで、当時の雰囲気、それこそ世界観は見えてくる。どんな生活をしていたのか、どうだったのか。
が、「現代」の人間がもとめるエンターテイメントはどこにあるのか。
8月から読んでいた中世西欧の本の序章だったか、中世の世界に思いを馳せる風潮があるが、実際の中世は云々というくだりがあった。
中略。酔っているがこれは自制しておいた。数日したらなにを自制したのか忘れるだろうが、何を自制したかは書かないでおく。
ああ、話はそれているのか? 何を書きたかったのか忘れている。
そう、つまり遠征とは何かである。
一般人レベルをちょいとレベルアップして、しかししょせん学問的にはなにもわからない一般人レベルでの話だが、遠征をするとして、では食糧はどうやっているのか? である。
めんどくさいので具体的な数値はださないが、行軍するとしてどの程度食糧を所持できるのか。
それこそ食糧を輸送する輸送隊、人、馬の分も食料は消費されるのである。食糧のなくなった部隊に長距離の輸送をするとしても、輸送隊が部隊に追いついたときにはすでに輸送するはずだった食糧すべてが消費されているという事態も考えられる。
酔っているのでさらに続けるが、そういった意味で戦争があると村は略奪されるわけである。現在でいう輸送部隊はいなかった。それこそこの「現在」は、かなり現代の範囲にあてはまる。第二次大戦ですら輸送の問題を極端に言えば中世の域をでない。というのは少々極端にすぎるか。
詳しく知らない。
が、最近読んだ、そういった本によれば、現地調達が結局のところ最大の進軍速度を保てたとか。