相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

与謝野晶子 (連載―510号)

2023年11月16日 | 経験・体験
昭和39年は、第1回目東京オリンピックが、東京で開かれた。オリンピック景気と日本では景気がよかった。

 白と赤のお揃いのベレザーを着て、国立競技場を一糸乱れず行進する
日本選手。正面に来ると、右手をかかげてハツラツと行進する光景は私の目に焼き付いている。

 私は、田舎育ちで、その当時、女性と並んで歩いていると不良と白い目でみられた。

   明治37年と言えば、日露戦争の当時、与謝野晶子が「みだれ髪」を世に出した。晶子が、不倫の末、与謝野鉄幹と結ばれた。
 今の世でさえも、週刊誌のネタに大きく取り上げられるのに、恋は女は強い。なんとかなるだろう!

 「君、死にたもうことなかれ」
24歳の弟を戦争に向かう、姉の気持ちを詩に発表した。
全文を紹介しよう。
  ああ、おとうとよ、君を泣く
  君、死にたもうことなかれ
  末に生まれし君なれば
  親のなさけはまさりしも
  親は刀をにぎらせて
  人を殺せとおしえしや
  人を殺して死ねよとて
  24までを育てしや
   
(つづく)
堺の町のあきびとの
  旧家をほこるあるじにて
  親の名をつぐ君なれば
  君、死にたもうことなかれ
  旅順の城はほろぶとも
  ほろびすとても、何ことぞ
  ・・・・・・・・

何を言いたいか理解できるだろう。
日本は大国のソ連(ロシア)と戦った。あの乃木神社にお祭りしている乃木将軍が旅順にある敵の陣地のある丘を征服に日本兵が何万人も犠牲になり、弾も使い果たした。
 旅順が、どこに?

  ロシアはロシア革命で社会主義国家にと変わろうとしていた。国内はクーデターで、アメリカの仲介で日本が大国ロシアに勝利した。
こんなうわさも聞いた。日比谷公園で日本戦勝記念日が行われていた。日本はロシアに勝ったのだから、多額の賠償金と領地を頂くべきとも声があったようだ。

 晶子は堺の名高いお菓子問屋の長女として生まれた。
「明星」の創始者、与謝野鉄幹との赤裸々な愛の表現は世を驚かせたが、非難もすごかった。


  時は過ぎ、「明星」も廃刊となり、晶子は気分転換で鉄幹をヨーロッパに連れ出すのだがその旅費もくめんした。

  栄枯盛衰、誰しもあるだろう。
昭和24年、64歳でなくなられたが、いつの世も与謝野晶子はなんとかしたに違いない。

コメント
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