ドラマのERでこんな場面が有りました
老人ホームで暮らす、意思疎通のはっきりできるおばあさんが肺炎で運ばれてきました
酸素を投与されながら苦しそうにしているおばあさんと、ERの医師(カーターだったかな?)は話し合い、「酸素以外何もしない」という選択をしました
おばあさんはそのままERで息を引き取りました
どのように感じましたか?
私は違和感を覚えました
「人工呼吸器にはつながないかもしれないが、点滴と抗生剤はやるかも」と思ったのです
微妙に話がかわりますが、
「ターミナル(定義としては1ヶ月以内の死が予想される状態)の患者さんに対してどのレベルまでの治療をするか?」
というのはよく議論になります
下記の1~5のどこまでの治療をするのでしょうか?
1.止まった心臓を動かす為に心肺蘇生をする
2.蘇生で心臓は動き出したが意識が無いので人工呼吸器につなぐ
3.意識もあり意思疎通もできるが,肺炎になったので抗生剤(ばい菌を退治する薬)を使う
4.食べられなくなったので点滴をする
5.痛みがひどいので痛み止めを使う
患者さんが終末期状態と判断されると、治療のモードをがらっと切り替えることがあります
Palliative care(緩和治療)といいますが、延命よりも痛みのコントロールなどの生活の質に関わる治療を優先します
Palliative careがある程度浸透してきましたので、5が最優先されるという事に異論は無いと思います
1, 2は患者さんと話し合って控えることも一般的となりました
問題は、3,4です
抗生剤,点滴は入院中の末期がん患者さんによく行われています。「延命や蘇生はしない」と話し合ったにもかかわらずです。
勿論、苦痛を取り除くという目的や、質の高い時間をさらに過ごせると見込んで抗生剤や,点滴をするということがあるかもしれません
ただ在宅診療では抗生剤をひかえることも行われている事を考えると、
「病院にいるのに全く治療しないのは何となく気が引ける」
という何となく、感情的な問題で抗生剤や点滴を使っていないでしょうか?
最初のERのおばあさんの治療に私が感じた違和感も、日本での医療の中で培った、何となくの反応だったようです
総合病院の救急に来たのに、酸素だけ?ということです
在宅だったら、何の違和感も感じなかった事でしょう
末期がん患者さんが、「総合病院に入院しているから」という理由で、死の間際に点滴や昇圧剤,抗生剤につながれている状況が当たり前であるのはおかしいのです
希望した人が入れるだけのホスピスの供給が無い以上、やむなく一般病棟で息を引き取る末期がん患者さんはたくさんいます
場に惑わされずに、純粋にどんな治療が適切か考えたいものです
では、どのレベルまでの治療が妥当なのでしょう?
「境界に線を引くのは不可能であり、あくまでもケースバイケース。本質的に、倫理的には差異は無い。」
ということをミシガンでは研修医に強調していました
つまり「人工呼吸器につなぐのも、抗生剤を使うのも、点滴をするのも」違いが無いという事です
問題は「何の為にするのか?」ということです
緩和医療として、「苦痛を取り除くため」の治療を最大限行うのが大事で、
「延命だけを目的とした治療」は控えるという基準が大事なのです
まさに正論だな~と思いました
在宅死が増えて、在宅で患者さんをみとる機会を初期臨床研修の間に研修医が持てれば、自然に教育されるかとも思います
ただ病院で患者さんをみとる機会しか無い臨床医は、一度深く考えるべき事柄だと感じています
老人ホームで暮らす、意思疎通のはっきりできるおばあさんが肺炎で運ばれてきました
酸素を投与されながら苦しそうにしているおばあさんと、ERの医師(カーターだったかな?)は話し合い、「酸素以外何もしない」という選択をしました
おばあさんはそのままERで息を引き取りました
どのように感じましたか?
私は違和感を覚えました
「人工呼吸器にはつながないかもしれないが、点滴と抗生剤はやるかも」と思ったのです
微妙に話がかわりますが、
「ターミナル(定義としては1ヶ月以内の死が予想される状態)の患者さんに対してどのレベルまでの治療をするか?」
というのはよく議論になります
下記の1~5のどこまでの治療をするのでしょうか?
1.止まった心臓を動かす為に心肺蘇生をする
2.蘇生で心臓は動き出したが意識が無いので人工呼吸器につなぐ
3.意識もあり意思疎通もできるが,肺炎になったので抗生剤(ばい菌を退治する薬)を使う
4.食べられなくなったので点滴をする
5.痛みがひどいので痛み止めを使う
患者さんが終末期状態と判断されると、治療のモードをがらっと切り替えることがあります
Palliative care(緩和治療)といいますが、延命よりも痛みのコントロールなどの生活の質に関わる治療を優先します
Palliative careがある程度浸透してきましたので、5が最優先されるという事に異論は無いと思います
1, 2は患者さんと話し合って控えることも一般的となりました
問題は、3,4です
抗生剤,点滴は入院中の末期がん患者さんによく行われています。「延命や蘇生はしない」と話し合ったにもかかわらずです。
勿論、苦痛を取り除くという目的や、質の高い時間をさらに過ごせると見込んで抗生剤や,点滴をするということがあるかもしれません
ただ在宅診療では抗生剤をひかえることも行われている事を考えると、
「病院にいるのに全く治療しないのは何となく気が引ける」
という何となく、感情的な問題で抗生剤や点滴を使っていないでしょうか?
最初のERのおばあさんの治療に私が感じた違和感も、日本での医療の中で培った、何となくの反応だったようです
総合病院の救急に来たのに、酸素だけ?ということです
在宅だったら、何の違和感も感じなかった事でしょう
末期がん患者さんが、「総合病院に入院しているから」という理由で、死の間際に点滴や昇圧剤,抗生剤につながれている状況が当たり前であるのはおかしいのです
希望した人が入れるだけのホスピスの供給が無い以上、やむなく一般病棟で息を引き取る末期がん患者さんはたくさんいます
場に惑わされずに、純粋にどんな治療が適切か考えたいものです
では、どのレベルまでの治療が妥当なのでしょう?
「境界に線を引くのは不可能であり、あくまでもケースバイケース。本質的に、倫理的には差異は無い。」
ということをミシガンでは研修医に強調していました
つまり「人工呼吸器につなぐのも、抗生剤を使うのも、点滴をするのも」違いが無いという事です
問題は「何の為にするのか?」ということです
緩和医療として、「苦痛を取り除くため」の治療を最大限行うのが大事で、
「延命だけを目的とした治療」は控えるという基準が大事なのです
まさに正論だな~と思いました
在宅死が増えて、在宅で患者さんをみとる機会を初期臨床研修の間に研修医が持てれば、自然に教育されるかとも思います
ただ病院で患者さんをみとる機会しか無い臨床医は、一度深く考えるべき事柄だと感じています