ぐるぐる自転車どこまでも

茨城県を自転車で散歩しながら,水戸藩の歴史について考え,たまにロングライドの大会に出場,旅する中年男の覚書

歴史ポタリング~額田城址

2013-03-22 06:21:25 | 自転車
暖かくなったので近場の中世の城跡をめぐるポタリングをしてみた。
茨城県には、意外に中世の城跡が多いが、一般にはあまり知られていない。というのは、おそらく城というと天守閣を思い浮かべ、そのような城は見当たらないから、城はないと思い込むからだろう。
かくいう私もつい最近まで神社のある自宅の裏山が城跡だとは気づかなかった。
で、茨城県北部の中世の城を知るためには、徳川がやってくる以前の佐竹氏の歴史を知らなければならない。
 額田城は、鎌倉時代中期(1250年頃)佐竹氏が築き、ここにその一族を城主にしたところから始まった。佐竹氏の本拠地は常陸太田だが、南には久慈川が流れる。額田は久慈川の南に位置する。南側の防御を考えて築いたのではないだろうか。
さて、佐竹本家と佐竹氏傍流である山入氏とは一族であったのに百年近く争った。山入の乱である。額田氏は本家ではなく山入氏側についたため、1423年に佐竹本家により額田城は落され額田氏も滅ぼされた。この後、佐竹氏の家来である小野崎氏や江戸氏の一族が額田城に入り、額田氏を名乗る。
しかし、1591年に佐竹義宣による攻撃を受けて落城する。義宣は常陸国内の統一支配を目指し、目障りな者を次々に滅ぼしていったのだ。
それ以降は城は作られずに放置されたのだろう。城址を歩くと、木が生えているだけで建物などはなく堀跡があるだけである。


阿弥陀寺と額田城跡入口の看板


阿弥陀寺参道


阿弥陀寺の境内


案内版


額田城跡 外周


本丸跡


本丸跡から南方向に田


空堀





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