ぐるぐる自転車どこまでも

茨城県を自転車で散歩しながら,水戸藩の歴史について考え,たまにロングライドの大会に出場,旅する中年男の覚書

天狗党を追う~田中愿蔵の終焉の地

2013-01-07 19:11:55 | 自転車
天狗党の中には、闘いの途中で分派した者たちがいる。
私が興味を持っているのは、田中愿蔵である。
田中愿蔵は、栃木宿、真鍋宿を焼き討ちにしたとされており、他の天狗党の多くが明治になり名誉回復されたにもかかわらず、現在も汚名をきたままである。
なぜ興味を持っているのかというと他の天狗勢が討幕まで考えていなかったのに彼だけは討幕を考えていたからである。水戸藩の者であればほとんどが尊王攘夷を唱えながらも佐幕の立場であったが、彼だけは水戸藩という枠を越えて討幕まで考えていたのだ。
また、田中愿蔵の部隊は、散切り頭であったためザンギリ隊と言われていた。チョンマゲ無しにしたのは、身分を問わないという発想からだ。士農工商が尊王攘夷が当たり前の時代に身分を問わないという発想には凄いものがある。
田中愿蔵は、郷医の養子となり、江戸の昌平黌にも学び、野口の郷校の校長にもなっている優秀な人であり、生徒達にも慕われていた。
そのような彼が栃木の商家を焼き討ちしたというのはなぜだろうか。どういう経緯があったのだろうか。
吉村昭の天狗争乱では田中愿蔵の栃木焼き討ちが取り上げられているが、どうも腑に落ちない。
今後も考えてみたいテーマである。

ところで
田中愿蔵の終焉の地は、福島県の塙町の久慈川の河川敷である。
現在は道の駅に碑が残っているが、道の駅に立ち寄るほとんどの人は田中愿蔵のことは知らない。

この河川敷の辺りで処刑されたのだろう。


愿蔵の石碑。
後ろに辞世の句が刻まれている。