イマカガミ

こころにうつりゆくよしなしごとを・・・

一日中

2006-01-15 23:46:43 | 
家にいました。

小笠原喜康著「議論のウソ」を読む。amazonの該当ページ
これ、講談社現代新書だそうです。
大分体裁が変わったので気づきませんでした。

面白い本です。
新聞やテレビの報道などで繰り返されがちな
議論の中にある、危ういものを指摘している。
例えば、少年犯罪、携帯電話と医療機器、ゲーム脳。
それなりに正しく、なるほど、と思わされるのだが
足りないと思われる議論もある。
それはこの本が主として議論の構造を扱っているためであって、
内容について議論をしようとするものではないからである。

少年犯罪の件数自体は増えていないという指摘がなされている。
ただし、実感として動機が特異な事件が増えているように思える。
これはどのように考えるのだろう。

携帯電話についても、電波やそれが引き起こす誤作動についての
知識が著者にはあまりないのであろう。
また、何をもって「有意」とみなすかについて考慮されていない。

大部分は痛快な議論がなされており、楽しい。
ただし、残念なのは学力低下についての章だ。
OECDの学力調査と学力低下の関係性について議論している。
学力低下に基づくゆとり教育批判のうち、
OECDの調査に基づく議論は一部に過ぎないと断った上、
「OECDの学力調査で測られているのは
日本が目指してきた学力とは無関係である。」と
結論している。
しかし、後書きでは
「学力低下を根拠にしたゆとり教育批判は妥当ではない。」
「iPodを産み出せるような人材を育てるにはゆとり教育がよい。」
と述べている。
実際にはゆとり教育批判の一部しか議論していないのに、
あたかも全ての批判について述べたかのような書きぶりだ。

これは、著者の専門が教育学(教育ではない)であることを考えると
納得がいく。

ちなみに、本書で触れられたOECDの調査の問題というのは
非常に常識的な問題だ。
グラフを読めますか、とか、割り算ができますか、と言った類だ。
学力と無関係というか、基礎やね。

また、学力低下の声は、大学で授業をしている先生たちが、
自分の学生を見た上での意見であって、
OECDの調査とは関係ないし、その前からありますけど。

さらに、ゆとり教育の「成果」が出るのはこの先何年も後のことであり、
OECDの調査を受けたのは
野菜になりきってお手紙を書いた」世代ではないのだよ。
ゆとり教育の影響はこれから出るのであり、いわば微分係数だ。
一方でOECDの調査が反映しているのは現在値だ。
その辺もごっちゃにしてますな。

ちなみに、基礎学力がない人は、iPodを思いつけても
作れないと思いますよ。
いや、思いつけるのかすら怪しい。
どんな技術があるのか知らなければ、
世界がどうなっているのか知らなければ、
何ができるか何をしたいのか考えることすら難しい。
海や湖や川を見たことがない人が
船を考え付くだろうか。