旧西海町、武者泊(むしゃどまり)にある、砲台跡です。
第二次世界大戦(太平洋戦争)の末期、地元の住民が徴用されて、米軍の本土上陸に備えて造られたらしい。
木立の合間から、目の前には宇和海から続く太平洋方面が眺められ、由良砲台(旧内海村)と共に、米軍の進入路への警戒網の一つであった。実際には、米軍は四国西南からでもなく、九十九里浜からでもなく、沖縄上陸を敢行するのだが、従って、例の話題の戦艦大和が特攻出撃をする際も、この目前の海を南下したのだった。
(写真の人物は、地元案内の方と、愛南町職員の方々)
第二次世界大戦(太平洋戦争)の末期、地元の住民が徴用されて、米軍の本土上陸に備えて造られたらしい。
木立の合間から、目の前には宇和海から続く太平洋方面が眺められ、由良砲台(旧内海村)と共に、米軍の進入路への警戒網の一つであった。実際には、米軍は四国西南からでもなく、九十九里浜からでもなく、沖縄上陸を敢行するのだが、従って、例の話題の戦艦大和が特攻出撃をする際も、この目前の海を南下したのだった。
(写真の人物は、地元案内の方と、愛南町職員の方々)