この建物は、さてナンでしょう。
知らない人がこれを見たら、きっとどこかの城の城門だと思うに違いない。ところが、これは戦前期の擬洋風建築。設計者はJ.H.モーガン。
タネを明かせば、コレは松山にある東雲学園の正門入り口。建築当時のホイテ校長によって、松山城の東麓に立地することから、周辺の環境に合わせた設計意匠が求められ、このような外観の建物となった。もし日本人校長なら、ミッション系の学校であれば、逆にきっと洋風然とした建物になっていたに違いない。そう思うと、外国人ならではの環境配慮、つまりはランドスケープの考え方が教育環境として構想されたことが、とても重要に感じられる。
現在の建築家に求められる、周辺との調和、そういう意味ではとてもレアな歴史遺構なのだ。
モーガンの建築は、昨年の夏に藤沢市において、モーガン自邸が「旧モーガン邸を守る会」などの市民運動によって、(財)日本ナショナルトラストの取得するところとなり、保存された。
その意味では、まだこの東雲学園の建物は全く無名で、その価値が知られていない。実は図面も残っていて、その史料価値も高い。日本人妻をめとったモーガンではあるが、彼の設計作品の中でも特異な建築であることは間違いない。
知らない人がこれを見たら、きっとどこかの城の城門だと思うに違いない。ところが、これは戦前期の擬洋風建築。設計者はJ.H.モーガン。
タネを明かせば、コレは松山にある東雲学園の正門入り口。建築当時のホイテ校長によって、松山城の東麓に立地することから、周辺の環境に合わせた設計意匠が求められ、このような外観の建物となった。もし日本人校長なら、ミッション系の学校であれば、逆にきっと洋風然とした建物になっていたに違いない。そう思うと、外国人ならではの環境配慮、つまりはランドスケープの考え方が教育環境として構想されたことが、とても重要に感じられる。
現在の建築家に求められる、周辺との調和、そういう意味ではとてもレアな歴史遺構なのだ。
モーガンの建築は、昨年の夏に藤沢市において、モーガン自邸が「旧モーガン邸を守る会」などの市民運動によって、(財)日本ナショナルトラストの取得するところとなり、保存された。
その意味では、まだこの東雲学園の建物は全く無名で、その価値が知られていない。実は図面も残っていて、その史料価値も高い。日本人妻をめとったモーガンではあるが、彼の設計作品の中でも特異な建築であることは間違いない。
和風の家で、玄関を入ると直ぐに畳の部屋で、そこにオルガンが置いてありました。
女性お二人で住んでらっしゃり、初老のキリッとした方に教えて頂いた、のに、お名前思い出せないんです…ん?萩森先生?
いえ、別に東雲卒ではないのですが、20歳の頃に毎週この門をくぐり登った所の先生の家でオルガンを教えてもらっていたことがあるんです。
今度帰ったら行ってみます。