昨日は、「おおず赤煉瓦館」主宰の煉瓦ツァーだった。
先月も、旧保内町川之石地区を探訪したが、今回は五十崎・新谷・八多喜方面へ。
この写真は、旧愛媛鉄道の河内トンネル内部。大正7年に開通した煉瓦造のトンネルだが、やがて旧国鉄に移管の際、肱川沿いに線路を移したので、以後は道路トンネルとなり今も使われている。
もう一つの八多喜トンネルの方は、旧国鉄の路線付け替え以降、使用されずに廃墟のように山中に佇む。(と言っても現在のJRの線路から、こちらは、ほど近くに存在するが)
軽便鉄道サイズなので、トンネルも今のJRのものに較べれば、少し小さ目。
また、河内トンネルは、大洲市当局の側では、将来的に拡幅の計画もあるようで、そのことを知る大洲市民は稀である。そうならないよう、市民意識を高めてもらうようガイドの際に力説したのは言うまでもない。
現に、春賀(はるか)トンネルの方は、路線はそのままかつての愛鉄を利用しているが、既に拡幅済みで、何の変哲も無い普通のコンクリートになってしまっていて、ここをただ通る分には、元の鉄道トンネルだと気づく人は地元の高齢者以外、殆ど居ないに違いない。
先月も、旧保内町川之石地区を探訪したが、今回は五十崎・新谷・八多喜方面へ。
この写真は、旧愛媛鉄道の河内トンネル内部。大正7年に開通した煉瓦造のトンネルだが、やがて旧国鉄に移管の際、肱川沿いに線路を移したので、以後は道路トンネルとなり今も使われている。
もう一つの八多喜トンネルの方は、旧国鉄の路線付け替え以降、使用されずに廃墟のように山中に佇む。(と言っても現在のJRの線路から、こちらは、ほど近くに存在するが)
軽便鉄道サイズなので、トンネルも今のJRのものに較べれば、少し小さ目。
また、河内トンネルは、大洲市当局の側では、将来的に拡幅の計画もあるようで、そのことを知る大洲市民は稀である。そうならないよう、市民意識を高めてもらうようガイドの際に力説したのは言うまでもない。
現に、春賀(はるか)トンネルの方は、路線はそのままかつての愛鉄を利用しているが、既に拡幅済みで、何の変哲も無い普通のコンクリートになってしまっていて、ここをただ通る分には、元の鉄道トンネルだと気づく人は地元の高齢者以外、殆ど居ないに違いない。
また新しい肩書きが増えましたなぁ。どんどんお忙しくなるご様子。体だけは大事にしてください。
おおず赤煉瓦倶楽部の人たちが頑張っていて、引っ張られてます。
体はともかくですが、頭の方が心配。言おうとする言葉が出ないことがあり、冷や汗モンですワ。