ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

教えない「教育」

2005年11月28日 | 学習一般
「教育」とは「教え育てる」ことである。
それを「教えない」とはどういうことか?
「教えない」塾なんて存在できるのか?
今回はそんな話である。

今日の信濃毎日新聞教育欄に、数学者の秋山仁氏の寄稿が載っていた。
「教えすぎる日本」というタイトル。
副題として「効率優先より試行錯誤を」とある。

秋山氏の教育論には共感する部分が多い。
特に「教えない」こと、試行錯誤を重んじることについての主張には全く同感である。
私のブログの記事の根底に共通してあるのは、効率優先より手間暇かけてじっくり勉強し、ゆったり生活することを良しとする考え方なのだから.....。

氏は記事の中で、元横浜ベイスターズ監督の権藤博氏が大リーグにコーチ修行に行ったときのことに触れている。
右方向に打つ練習を課された新人選手が一向にうまくできないので、権藤氏が見かねてコツを教えたら簡単にできるようになった。
ところが、それを知ったアメリカのコーチに怒られたというのである。

「教わったことはすぐに忘れるんだよ。彼は何となくできているだけなんだ。調子が悪くなったら行き詰まる。だけど、自分で試行錯誤してコツをつかめば、技術は彼のものになる。」
これを聞いて権藤氏はハッとしたそうだ。

秋山氏は日本の今の教育を、権藤氏の「コツの伝授」と同じだと批判している。
「生徒たちが自分で取り組んで自分で何かをつかむまで待っているのはジレッたいと、大人がおぜん立てし、「こうすればいいんだ」と教え込み、あとはテスト。」
「日本の学校では〝なぜ、そうなのか〟〝他に方法はないのか〟をあまり考えさせていない気がする。」


多くの学校や塾がこのパターンに陥っているのではないだろうか。
たくさん教えてあげるのがいいこと、時間をかけさせないで速く処理できるようにすることが善だと信じて実践している。
解き方のコツや便利な「公式」などを教えることが親切だと思っている。
そんな教師、講師が多いのではないか。

そういう教育を受け続けていると、やがて子どもの側もその方が楽だと考えるようになる。
自分で苦労してあれこれ考えるより、大人に楽なやり方を速く教えてもらいたい。
以前にも書いたが、考えるのを面倒がり、すぐに解法を知りたがる子が増えている気がする。
親も「たくさん教えてくれる先生」や「手取り足取り指導してくれる塾」を求める傾向が強いようだ。

実は教える方にとっても、はじめから丁寧に一つ一つ教え込んでしまった方が楽なのである。
秋山氏の指摘のように、子どもに試行錯誤させるには十分な時間、待ってやれる姿勢が必要だ。
その過程で正しい考え方に至る道からそれてしまった子を、もとの道に戻すにもその子に応じた対応が必要で手間がかかる。
だったら最初からすべて与えてしまった方が手っ取り早い。
そう考える教育者が圧倒的に多いのが現状であろう。

だが私は非効率でも泥臭くても、教えない教育を追究したい。
この子にはどういう課題を与えれば自分で道を切り開いて行けるか、一人ひとりに応じて考えていきたい。

そのためには、それを実現できる教材が欠かせない。
市販の教材も利用しているが、なかなかこれといったものがないので自作教材で補っている部分も多い。
体系化はまだできていないが.....。

全く説明がなければ講師に聞かなければ試行錯誤さえできないし、かと言って説明を詳しくしすぎれば、自習はできるかも知れないが「なぜ?」「他の方法は?」を考える機会は大きく奪われる。
その兼ね合いが難しい。
万人向けのものなどできないのかも知れない。
私自身も試行錯誤の森の中を歩き回っている最中である。


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