ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

いただきます&ごちそうさま

2005年11月15日 | ことば・国語
朝日新聞の「声」欄にこんな投書が載っていました。
「いただきます言わせない親」というタイトルです。
北海道のある中学校で、生徒の母親から「学校側に給食費を払っているのだから、うちの子に『いただきます』を言わせないでほしい」という要望があったと知り驚いたという話。
私もこれを読んで唖然としてしまいました。

金を払っているんだから「いただきます」は必要ない.....なんと貧しい発想なのでしょう。
お金を貰う側のときはペコペコしているくせに、払う側になるととたんに態度が大きくなり上からものを言う.....私が一番嫌いなタイプの人間です。
ウェイトレスや料金所のおじさんに横柄な口をきく奴、よくいませんか?

本来「いただきます」は、食卓に上ってくれた動物や植物に対して「あなたの命をいただきます」という感謝の言葉です。
もちろん食事を作ってくれた人に対する「ありがとう」の気持ちも含まれます。
よく英語では「いただきます」にあたる言葉がないと言いますが、その代わりに神に対する祈りを捧げることが一般的ですね。
洋の東西を問わず、今日も無事食事を摂ることができる感謝の気持ちを自然や人すべてに対して表しているのです。

ところで「いただきます」に比べて語源がわかりにくいのが「ごちそうさま」です。
調べたところ、「馳走」というのは漢字からもわかる通り、馬に乗って走り回ること。
何のために走り回るかと言えば、食べ物を得るためですね。
それが、客のために走り回ることから「もてなし」の意味になった。
で、もてなされた側がそのことに感謝する言葉として「ご」「様」が付いた形に変化し、江戸時代後半頃から今のように食後に使う習慣ができたようです。

結局、あたりまえですが、「いただきます」も「ごちそうさま」も根本にあるのは「感謝」の思いですね。
合掌して言う人も多いせいか、仏教色を強く感じてそれを嫌う人も多いようですが、言葉自体は宗教を越えて日本人の生活に根づいているのではないでしょうか。
いや、根づいてきたと言うべきか.....。
伝え残したい日本語の一つですね。

冒頭の話のような、お金を払えば感謝は要らないとうのが資本主義の究極の考え方だとしたら、あまりにも淋しい.....。
物を買うためにお金は必要だけど、売った側だけでなく買った側にも「ありがとう」の気持ちはあると思うし、あるべきだと思います

そう言えばアフリカのある部族では、プレゼントを貰った方ではなく、あげた方が「ありがとう」と言う習慣があるそうです。
小学生の国語教材で読みました。
「もらってくれたお陰でいい行いができた。ありがたいことです。」という意味だそうです。

今の殺伐とした世の中を少しでも変えられるのは、日常の何気ない感謝の一言かも知れませんね。


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