「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

六十年安保から50年、樺美智子の問いかけに想う―『樺美智子 聖少女伝説』

2022年10月23日 | Life
☆『樺美智子 聖少女伝説』(江刺昭子・著、文藝春秋、2010年)☆

※この記事は、2020年1月12日付けで「ブクログ」に掲載してあった記事を本ブログに移行した上で若干修正加筆し、新規投稿しました。

  1960年6月15日、日米安全保障条約改定をめぐる反対運動の最中、国会議事堂へ突入した学生たちの中にいた樺美智子さんが亡くなった。当時東大文学部国史学科在学中で22歳だった。
  彼女の死の数日後、安保条約は自然承認され、それを機に岸信介内閣は総辞職した。彼女の死は岸首相退陣の一因になったとされ、「樺美智子」の名前は六十年安保闘争の象徴として祭り上げられた。その後さらに過剰な美化や「伝説」が生まれ、いまで言うフェイクニュースも流布したという。
  本書は、1960年当時、早稲田大学に入ったばかりだった著者が「彼女が死んだあの日、国会を取り巻いた群衆のなかの一人だった」ことに思いを馳せ、あらためて樺美智子さんの短い人生をたどり、彼女の実像に迫ろうとした力作である。
  彼女の死因(「人なだれによる圧死なのか、首を絞められた扼死なのか」)についても詳細に検証し、彼女の死によって否応なしに人生の変曲を迫られた、樺美智子さんのご両親のその後についても一章が割かれている。
  記述は可能な限り当事者や関係者からの聞き取りやさまざまな資料に基づいており、いわゆる政治的立場も左右に偏ることなく中立に徹しているように思われ、その点も好感が持てる。
  評者は六十年安保当時すでに生まれていたが、まだ幼く地方に住んでいたこともあり、この事件については全く記憶がない。東大安田講堂事件や浅間山荘事件など七十年前後の学生運動は明らかに記憶に残っているが(学生運動と女子学生の絡みで言うと、当時非常に感銘を受けたのは高野悦子の『二十歳の原点』だった)、まだ樺美智子さんのことは知らなかった。
  政治や社会運動・学生運動に関心を持ち始めたのは、自分自身を含めた「弱者」に対する認識が育まれた二十代(後半?)以降のことである。本書は2010年に、六十年安保から(すなわち樺美智子さん没後)50年を契機に出版され、直後に購入したのだが長らくツンドク状態だった。
  樺美智子さんの真面目でひたむきでストイックな姿が自分のこころを刺してくるようで怖くなり、ずっと重い読書を避けていた。昨年(2019年)末あらためて手に取り読み始めたが、やはり第二章で止まってしまっていた。昨夜意を決して最後まで読み進め、今朝ようやく読了した。
  彼女は大学教授の父と感情豊かな母との間に生まれ、恵まれた環境の中で育ったが、その境遇が逆に罪悪感となり、早くからの人間や社会への関心と相まって、社会変革に関心を持ち始めたようである。本書に記載されている彼女が購入した社会科学系の本の数々には驚かされるばかりだ。彼女の聡明さと問題意識が窺い知れる。
  6月15日へ向けての記述はやはり胸の高まりを覚えたが、彼女の死についての記述は目撃者がいない(明らかにされていない)こともあって意外に淡々と描かれていた。一方で、彼女の死後、死因を巡る対立や、政治的プロパガンダに利用されていく様子、学生運動内でのセクト間対立などには違和感や嫌悪感を覚えずにはいられない。
  昨今、香港での学生運動などを見ていると、暴力的な破壊活動は容認できないものの、ある程度ラディカルな活動をしないことには政府を動かすことができないというジレンマを感じるし、香港の学生たちの純粋さに対して日本の学生の保守化(ある調査によれば、東大生の支持政党は、六十年安保当時は社会党支持が多かったが、現在は自民党支持が圧倒的だという)に危機感も持たざるを得ない。
  樺美智子さんの死を自己責任という人もいるし、いまの日本の学生を見て時代がちがうと一蹴する人もいる。しかしながら、彼女の死によって投げかけられた問いは、いまの時代においても生きているのではないだろうか。
  奇しくも1960年の前年(1959年)現上皇と上皇后美智子妃が結婚し、1960年2月に今上天皇徳仁が誕生した。著者の江刺昭子さんは最終章で「樺美智子の死は政局を動かし、岸信介内閣を退陣に追い込んだ。(中略)大衆の力を恐れ、以後、自民党政府は憲法改正や軍備増強を言わなくなった」と書いている。
  しかしそれから10年が経ち、歴史の巡り合わせというべきか、岸元首相の孫にあたる安部晋三首相(2020年1月現在)は憲法改正に執念を燃やし、防衛費も増加の一途をたどっている。その是非はともかく、時代がちがうという言葉で片付けることなく、樺美智子という女子学生の真摯な思いに、いま一度思いを馳せるべきではないだろうか。

  


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