「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

統計学的人間観の隘路―『他者と生きる』

2023年02月16日 | Life
☆『他者と生きる』(磯野真穂・著、集英社新書、2022年)☆

  本書は昨年(2022年)の今頃アマゾンで購入し読み終えていたのだが、当時メモってあった感想を文章化して掲載してみた。
  一見、語り口は平易で、例示も日常的で身近なものが多いが、その思索は深い印象を与える。「序論」で著者の問題意識が書かれているにもかかわらず、読み始めると、(文化)人類学的なエピソードが問題意識とどのように関わってくるのか、いまひとつ見通せなくなる。
  しかし、先を急ぐことなく著者の筆運びに沿って読み進めていくと、抗血栓療法とレトリック、HIV(エイズを引き起こすヒト免疫不全ウイルス)やBSE(牛海綿状脳症)に関わる情報経験の不気味さの指摘、新型コロナによる志村けんさん・岡江久美子さんの「痛ましい死」報道の「消費」など、思索の輪郭が徐々に露わになってくる。
  ここまでが「第一部」で、「第二部」では、その本丸とも言える3つの人間観(「統計学的人間観」、「個人主義的人間観」、「関係論的人間観」)について語られる。目次には出てこないのだが、最近にわかに注目を浴びている「人生会議」(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)と「自分らしさ」との関わりについての論説は示唆に富むように思う。医療に関わる人たちは、いま一度「自分らしい死」「その人らしい死」について問い直してみてほしい。と同時に、いずれ死を迎えるわれわれ一人ひとりも同様である。
  「第一部」「第二部」を読み終えて迎える「終章」は、最も抽象度が高く、「第一部」「第二部」以上に理解できているか心許ない。しかし、ここで初めてタイトルの「他者と生きる」意味について知ることができる。それは「偶然」や「出会い」とは何か、そして時間との関わりについての思索である。
  科学や医学は「統計学的人間観」(「統計学的時間」)に基づいているとは、すでに言い古された言説であろうが、それでは、そのどこに問題があるのか、明瞭に指摘することは難しい。本書は著者の問題意識に、自らの問題意識を重ね合わせて読み進むことが必要かもしれない。統計学は言うに及ばず、社会学や科学哲学とも関わりが深い。
  著者の磯野真穂さんは(もちろん実際にお会いしたことはないが)数年前ツイッターを見ていて「偶然」「出会った」人である。磯野さんのサイトは時々読んでいたが、著書はこれが初めてである。本書を読了後(本書でも何度か出てくる)『急に具合が悪くなる』(宮野真生子さんとの共著)もすぐ購入し、やはり昨年の春頃に読み終えた。磯野さんと哲学者である宮野真生子さんの往復書簡をまとめた書籍だが、その語り口と裏腹に内容は相当重い。いずれまた触れることがあるかもしれない。
  外部的要因からも内部的要因からも、「死」について想うことの多い昨今、深い思索へと導いてくれる書籍であった。

  


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