「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

ホーキングが「創り上げたもの」―『博士と彼女のセオリー』

2018年08月10日 | Life
☆『博士と彼女のセオリー』(ジェームズ・マーシュ・監督、エディ・レッドメイン&フェリシティ・ジョーンズ・主演)☆

  シーザーの「来た、見た、勝った」ではないが、買った、見た、良かった! 今年(2018年)3月14日(奇しくもアインシュタインの誕生日!)にこの世を去ったスティーブン・ホーキング博士。彼の半生を描いた映画『博士と彼女のセオリー』をDVDで視聴(少し前アマゾンにて927円也で購入)。原題は『The Theory of Everything』(2014年イギリス制作、2015年日本公開)。直訳すれば「万物の理論」だが、このままのタイトルでは科学や哲学を扱った小難しい映画と誤解されてしまうと思ったのだろうか、日本でありがちな邦題に変わっている。とはいっても、科学と神の相克がちょっとしたモチーフになっていて、哲学っぽい(?)セリフも出てくる。ジョディ・フォスターが女性天文学者を演じた大好きな映画『コンタクト』もそうだったが、科学(宇宙)に宗教(神)が絡んでくるのは、やはりキリスト教の国ならではだろう。
  それにしてもホーキング博士を演じたエディ・レッドメインの演技はすばらしい。ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんを身近に見たことはないので、本当の病態はわからないが、症状が徐々に進んでいく様子を見事に演じていたように思う。体調が悪化して倒れ、気管切開により人工呼吸器の装着を選択する場面も、こころに迫ってくるものがある。その後、意思伝達装置の合成音声による会話が始まり、われわれがよく知っているホーキングの姿のルーツがそこにあったと理解できる。また、たぶん多くの人が内心思っていても口に出すことを憚ってしまう性的機能の問題も、あからさまではないが夫婦関係との関わりで描かれている。『博士と彼女のセオリー』というタイトルは、日本の配給会社が特異な夫婦の物語として配給したかった表われなのかもしれない。もちろん一つのラブストーリーとして楽しむとしても、十分な感動を与えてくれると思う。
  エリザベス女王に招待された後、王宮の庭園で遊ぶ3人の子どもたちを見ながら「見ろよ、我々が創り上げたものを」とホーキングは妻(正確には元妻)に話しかける。その後、シーンは過去へと遡っていく。ホーキングが「創り上げたもの」は、もちろん3人の子どもたちだけではない。講演会で「神を信じないとおっしゃった。人生哲学は何ですか?」と問われ、ホーキングは答える―「我々は1000億の銀河のうちの1つの端で、平均的な恒星の周りを回る小さな惑星上の、霊長類の中の高度な種の1つでしかありません。しかし、文明の夜明け以来、人々はこの世の潜在的秩序について理解したがっています。宇宙の“境界条件”に関しては、特別な何かがあるのでしょう。そして、さらに言えば境界などないのです。人間の努力にも境界はありません。我々は皆違います。いかに不運な人生でも何かやれることはあり成功できるのです。命ある限り希望があります」―と。ホーキングは宇宙論に大きな貢献をしただけではなく、『ホーキング、宇宙を語る』などの著書を通じて宇宙論の啓蒙にも力を尽くした。そしてさらに、ALSの患者さんのみならず、多くの障害者たちに夢と希望を与えてくれたことを思うと、ホーキングは“宇宙”を超えて大きなものを「創り上げた」といえるだろう。

  

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