「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『柿の種』

2009年04月12日 | Science
『柿の種』(寺田寅彦・著、岩波文庫)

  ここにいるのは“詩人”としての寺田寅彦である。だからといって“科学”が脇役というのではなく、背景となっている。背景は主題を浮き立たせる重要な役割を担っているのだが、とくに前半は淡い存在で気に留まらない。寺田寅彦のことを知らずに読めば、科学者の書いたものとは気付かないだろう。寺田の文章からまず聞こえてくるのは、古き良き時代の東京の息遣いだ。曙町、銀座、新宿、根津、白山下などなど、いまもある地名の当時の情景が思い浮かんでくる。三越や白木屋といったデパートでの見聞もよく出てくる。食堂で家族が食事をするところなど、子どもの頃、田舎のデパートへ行くことが最高の贅沢だったことを思い出す。ネコを飼っていたらしく、ネコの観察も多い。ネコの尻尾の動きと感情との関わりなどは、さすがに科学者らしい観察眼のように思える。風呂桶で一本の女の髪の毛が腕にへばりつき、「風呂の中の女の髪は運命よりも恐ろしい」と書いたりもする。もともと寺田寅彦と裃は似合わないと思うが、普段着の寺田のまた別の一面を見た思いがする。
  寺田寅彦が活躍した時代は関東大震災の前後であり、日本が戦争へと突入していく時代でもあった。けっして明るくはなかった世相を反映してか、寺田の眼は社会批評へも向けられている。「天災は忘れた頃にやってくる」とは寺田が残した言葉としてよく知られているが、一方で天災後の野放図な開発にもくぎを刺しているかのようなところがある。「解説」で池内了さんも触れているが、震災前と復興後の銀座を比較して、寺田はあまり変化がないという。「してみると、銀座というものの『内容』は、つまりただ商品と往来の人とだけであって、ほかに何もなかったということになる」のか、「それとも地震前の銀座が、やはり一種のバラック街に過ぎなかったということになるのかもしれない」と書き、なかなか辛辣である。もちろん震災や風水害などの天災に関する科学的知識の普及が進んでいないことにも警鐘を鳴らしている。秀才が先生になることの弊害を論じたり、議員候補者の「建て札」と商品の「建て札」との共通性を「売り物」と断じて、「どちらにも用心しないと喰わせ物があるかもしれない」など、批評の矛先は縦横無尽の感がある。『柿の種』は文章もやさしく、とても読みやすい。しかし、寺田寅彦の多面的な人間性を反映して、内容も多面的であり、いろいろな読み方ができるように思う。
  渡辺政隆さんの『一粒の柿の種』はこの『柿の種』に由来しているし、「解説」を書いている池内了さんは、『疑似科学入門』などの著書にも見られるように、寺田寅彦の思想を引き継いでいる現代の科学者の一人であることを付記しておきたいと思う。

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