「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―第2回 花嫁』

2009年04月05日 | Yuko Matsumoto, Ms.
『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―第2回 花嫁』(松本侑子・著、光文社『小説宝石』2009年4月号掲載)

  小説誌というものを買ったことはほとんどない。もちろん小説を読まないわけではないが、小説誌に掲載されたものを読んだことはあまり記憶にない。『小説宝石』に連載されている『恋の蛍』を読むために、小説誌を毎号買うのは初めての習慣だ。一冊の本になったものを自分のペースで読むのとちがって、小説の続きを心待ちにするのも新鮮な経験ではある。松本侑子さんのホームページに掲載されている「ときどき思い出し日記」には『恋の蛍』の執筆や取材の裏話がタイトルどおりときどき載っている。日記の方が小説よりも一歩先を行っているのだが、取材が小説にどのように活かされていくのか楽しみになる。『恋の蛍』の表と裏の両方を読んでいるような感じで、楽しさも倍化されるというものだ。
  第2回も緻密な取材に裏付けられて、松本さんの筆が冴えているのはいうまでもない。評伝小説はまったくのフィクションとは異なり、確固たる現実が存在するはずだ。山崎富栄も太宰治も架空の人物ではないし、二人が生きた時代も歴史的なタイムスパンから見ればついこの間のことだ。だから評伝小説は一見容易なように思えるが、逆に資料に基づいて現実を組み立てていく難しさがあるように思う。資料の収集に限度はないだろうし、その正否や整合性も問われるにちがいない。その上で時代背景を細部にわたって描写し、さらに人物の心情にまで肉薄していかなければ単なる年譜に終わってしまう。素人目に見ても、その困難さに気が遠くなる。取材のためにさまざまな関係者と会い、縁のある場所へと松本さんは足を運ぶ。国内のみならず海外へも足を延ばすフットワークの軽さにはただただ驚かされる。いや、取材を支える涸れることのない情熱に敬服するというべきだろうか。
  ところが評伝小説は小説である以上、これだけではすまない。プロットや描かれる人物が読む者を魅了しなければならない。そこで発揮されるのが作家としての想像力であり、創造力だろう。第2回で少女期から若い女性へと成長していく富栄はますます魅力的になっていく。富栄の聡明さが、太宰との情死という結末と対比されてか、より輝いて見えてくる。富栄の資質を見抜いて愛情深く育て上げていく父親の晴弘もまた魅力的である。震災や戦争にもめげず美容学校に情熱を傾ける晴弘は、閉塞感にあえぎながら現代を生きるわれわれを元気づけてくれるかのようだ。目隠しをしたり左手だけで結髪する実習のエピソードにも驚かされる。日本の美容学校の黎明期を知るだけでも実におもしろい。
  つい先日、所用で北の丸公園近くへ出かけた。そのすぐそばに一目で歴史的建造物とわかる九段会館がある。完成当時は軍人会館と呼ばれたそうだが、富栄と奥名修一が結婚式を挙げた建物である。晴弘は建設にあたって高額寄付をしたため特別功労者でもあったという。所用の数日前、すでに『小説宝石』4月号は買っていたが『恋の蛍』第2回はまだ読んでいなかった。富栄と九段会館との関わりを知っていたら、近くでゆっくりと眺めたのにと少し悔やまれた。富栄が太宰を知るずっと以前に津軽を訪れていたエピソードも語られている。富栄は津軽富士と呼ばれている岩木山に魅入られるのだが、個人的な思い入れを重ねて読んだ。自分が生まれた直後から十数年前まで、ときには親以上にお世話になった女性が津軽の出身で、岩木山の名前はよく聞かされていた。いまは津軽の地で眠っているが、一度墓参に伺いたいと思いながら不義理を重ねている。『恋の蛍』には新たな知る楽しみだけでなく、個人的な懐かしい出会いも隠されているかもしれない。毎月20日すぎがますます楽しみになってくる。

☆『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―第1回 父の愛娘』の感想はこちら

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