「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

科学不信大国に学ぶ―『ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から』:「ブクログ」より移行

2019年12月05日 | Science
☆『ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から』(三井誠・著、光文社新書)☆

  久しぶりにサイエンスコミュニケーションに関連した本を読んだ。半年くらい前に出版された新しい新書本である。
  著者は2015年にアメリカへ赴任した読売新聞の科学記者。著者が最先端の科学大国であるはずのアメリカで目を引いたのは、最先端科学技術の現場ではなくむしろ社会に広がる科学不信であり、その象徴であるかのようなトランプ政権の誕生だった。
  その実態と原因を探るべく取材を続け課題を取り上げていく。フィールドはアメリカであり、題材としては創造論(神が生物を創ったとする説)と地球温暖化懐疑論が中心となっているが、日本人にとっても、科学一般にとっても耳を傾けるべき内容である。
  ここでもやり玉に挙げられているのは「欠如モデル」であるが、よくありがちな「欠如モデル」批判では終わっていない。科学を伝える立場の人たちは「わかりやすい説明」を金科玉条のように掲げるが、その限界あるいは逆効果を思い知らされるはずだ。自らの政治的立場や信仰までもが科学(科学不信)にいかに影響を与えているか、深く考えさせられた。
  アリストテレスは演説に重要な要素として「論理」(事実)・「信頼」・「共感」を挙げたという。トランプは「事実」を軽んじても「信頼」と「共感」で支持を得て大統領の地位を得た。一方で科学者は「事実」ばかりを重視し「信頼」と「共感」を得る努力を軽んじている。
  一度なりともサイエンスカフェのようなイベントを企画した人は、来場者の属性が想定されていない場合、スピーカーやコーディネーターが果たして「信頼」され、「共感」を得ているか自問自答してみてほしい。もちろんこれは自戒の言葉でもある。いずれにせよ科学を伝えることに興味を持つならば、ぜひとも一読してほしいと思う。

  


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 照明に活かす和のあかり―『新... | トップ | 松本侑子訳「赤毛のアン」新... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Science」カテゴリの最新記事