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「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

後悔と羨望―『出雲 古事記のふるさとを旅する』

2012年11月03日 | Yuko Matsumoto, Ms.
☆『出雲 古事記のふるさとを旅する』(瀧音能之・監修、平凡社)☆

  松本侑子さんが寄稿したエッセイ「わたしの愛するふるさと、そして出雲古事記」目当てで少し前に買ったもの。出雲出身の友人をたよって、もう一人の友人と出雲を訪れたのは5年前の秋だった。2泊したが実質的には中1日だけの旅で、出雲では出雲大社、古代出雲歴史博物館、日御碕灯台、出雲科学館くらいしか行けなかった。出雲大社の堂々たる木造建築や古代出雲歴史博物館の出土品の展示などは見事だったが、その歴史的背景や意義を理解するにはあまりに知識が乏しかった。
  歴史をはなれて、出雲というか島根の気候風土や風景を眺めてみると、自分のふるさとである北陸と同じ匂いが感じられ、あらためて親近感を抱いた。友人の当時の勤務先である出雲科学館を訪ねるのが表向きの目的であり、松本侑子さんのふるさと出雲の風土を肌で感じてみたいというのが個人的な隠れた目的だったので、旅の目的は一応達せられたのだが、旅立つ前に出雲の歴史や古代史についてもう少し学んでおけばよかったと、いまになって悔やんでいる。
  そもそも、スサノオノミコトなどの有名な神々の名前くらいは知っているものの、神々の親子や姻戚関係さえも怪しいという有様である。瀧音さんの解説やこうの史代さんのマンガを読んで初めて知ったことも多かった。松本侑子さんは出雲神話の物語を父君から聞かされて育ったという。そんな家庭環境も羨ましいが、古代史上の特異な地である出雲に生まれ育ったこと自体が、松本侑子さんの作風や作品に少なからぬ影響を与えているはずである。出雲と北陸が風土的に似かよっているとしても、歴史的な深さではやはり羨望を抱いてしまう。先頃まで『小説宝石』に連載され、遠からず(2013年1月に)単行本化される予定の『神と語って夢ならず』もその延長線上にあるように思う。

  

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