「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

「雨の星の雨の神さま」からの贈り物を追体験―『空の絵本』

2012年11月03日 | Life
☆『空の絵本』(長田弘・作、荒井良二・絵、講談社)☆

  この歳になっても雷が嫌いである。何らかのトラウマがあるのではないかとさえ自分では思っている。雷鳴や雷光もさることながら、にわかに黒雲におおわれてあたりが薄暗くなってくると、言い知れぬ不安を感じてしまう。やがて大きな雨粒が落ちはじめ、周囲の音はかき消されていく。他の人たちといっしょにいたり、街中で雨宿りをしているときはまだいいのだが、狭いアパートの一室にひとりでいると、雷雲が通り過ぎるまで身体を固くしてじっと待つしかない。こんなとき気象学の知識などはほとんど役立たない。積乱雲の下降気流云々などどうでもよいという気持ちになる。古来「雷」は「神鳴り」だったというが、神の怒りの前では平伏すしかない、というほうがよほど実感に合っている。
  幸いにも雷雲の寿命はそう長くはなく、雷鳴が遠ざかるにしたがって空は白みはじめる。降り出す前の淀んだ空気は雨に洗われ、草木などの緑も生気を取り戻したかのように輝きを増す。もし夕方ならば、黒雲の去った後に鮮やかな夕焼けを目にすることができるかもしれない。やがて澄み切った空に星々が輝きはじめ、月が出ていれば、その光で地上をやさしく照らしてくれる。星々と月光につつまれて床に就くと、深い安心感とともに心地よい眠りへと誘われる。
  ここに書いたような情景は、多くの人が経験しているはずである。『空の絵本』はそんな情景の一コマ一コマを切り取って、空の移り変わりをドラマチックに見せてくれる。近づく黒雲の不気味さ、激しい雷鳴雷光、雨が降りやんだ後の光が満ち空気が澄みきっていくさま、山並みの夕焼け、星々の煌めきや丸い月の輝き。荒井良二さんの色使い筆遣いはただただ見事である。長田弘さんの「だんだん」を多用したことばのリズムもとても効果的だ。
  雷雨は日常的な気象現象だが、ドラマチックな自然現象の一つでもある。「雨の星の 雨の神さま」からの贈り物ともいえるだろう。この絵本はそんなドラマを追体験させてくれる。見る人によって感じ方はちがうだろうが、このドラマの視点は自然現象の側にあるというよりは、自然現象を見る人間の側のこころの揺らぎに当てられているように捉えることもできると思う。個人的に雷雨に対する不安感が強いからかもしれないが。

  

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2 コメント

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雷の世界 (kumasuke)
2012-11-29 11:39:41
久々に覗いてみました。
空は面白いですよね。
特に雷は劇的です。
自分は、晴れているとこから入道雲が、どんどん大きくなって、それが近づいて真っ暗になっていく過程、その独特の空間、なんかワクワク感があります。
天にエネルギーが満ち満ちているような、厳かな空間、うまく表現できないけど…
絵本でどう描かれているか、見てみたいですね。
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コメントありがとうございます♪ (euler)
2012-12-01 20:33:21
たしかに雷はエネルギーの源でもありますね。周囲の環境が劇的に変化していくワクワク感もわかります。ただ、わたしの場合は冷静な自分と不安な自分とに分裂しがちです。子どもの頃は本当に怖がりでした。でも、それが反面で気象現象への興味につながったところもあります。
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