「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『みんなの9条』、『憲法を変えて…18人の発言』≪in 憲法9条の会つくば≫

2008年10月09日 | Yuko Matsumoto, Ms.
『みんなの9条』(『マガジン9条』編集部・編、集英社新書)、『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレット)≪in 憲法9条の会つくば≫
  憲法―とりわけ9条―を守るとはどういうことなのか。わかっているようでわかっていない。自分は護憲派だと思っているが、自分の立場を論拠を示して他者に説明するのは意外とむずかしい。もちろん憲法前文や9条の条文は読んだことがあるはずだが、たぶん字面を追うだけで終わっていたのだろう。憲法制定に関わる歴史的事実もごく表面的にしか知らず、憲法の文言に込められた正確な意味内容や高邁な理想も読み取ることができなかった。これではスローガンを叫ぶだけで終わってしまうようなものだ。何事につけ自分の熱い思いを伝えるには情に訴えるだけでなく、理性的な判断に基づいた説得力が必要である。
  先日「憲法9条の会つくば 3周年記念のつどい」に行ってきた。筑波へは数年前にも行ったような気がしていたが、よくよく考えてみたらそれは土浦だった。だから筑波は1985年の「科学万博」以来ということになる。このつどいの目玉は松本侑子さんの「記念講演―憲法9条を変える日本、変えない日本」と庄野真代さんの「歌とトーク」。自分のお目当てもこの二つ。会場の国際会議場大ホールには開演40分前くらいに着いた。会場はまだ閑散としていて人は数えるほどしかいなかった。やはり「9条のつどい」などに人は集まらないのだろうか。そんな思いがよぎった。しかし開演とともに席が少しずつ埋まりはじめ、終わるころには大ホールでもさほど恥ずかしくない人数にまでなっていた。主催者側の発表によると約400人が集まったということだ。
  松本侑子さんの憲法や9条に関する話を聞くのは今回が初めてだ。以前にも同様な機会があったのだが、そのときはどうしても予定が合わずとても残念な思いをした。松本さんが憲法や9条について護憲派の立場から積極的に発言していることはもちろん知っていた。『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』や『みんなの9条』に登場しているのもその具体的な行動の一つだろう。講演の内容は上記の本での松本さんの主張と基本的に変わるところはない。しかし肉声による主張は印刷された文章を読むのとは異なり、直接こころに届くような気がする。松本さんの話が情緒的だったわけではない。むしろ論理的で理性に訴える説得力があった。ただ、肉声には無味乾燥で骨ばった論理を肉付けしてくれる作用があるように思う。
  筑波大学で国際政治学を専攻した松本さんが憲法に関心をもち、国際関係にも関わる9条について発言するのは当然のように思える。しかし憲法や9条について深く考えるようになったのは、むしろ作家になってからだったようだ。松本さんは現在、日本ペンクラブの常務理事である。日本ペンクラブは1935年に設立された作家たちの集まりであり、表現の自由と反戦・反核を標榜して活動を続けている。松本さんはペンクラブでの活動を通じて平和への意識を高めていったという。
  「そもそも憲法というのは誰に向けての法なのか」(『みんなの9条』)、憲法を守るべきなのはいったい誰なのかと松本さんは問う。憲法前文の「日本国民は(中略)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」を示し、憲法(9条)を守るべきなのは国であると松本さんはいう。正直なところ、これは目から鱗だった。国が戦争を起こさないように国民が監視するのである。『みんなの9条』で「憲法は、国民の義務は最低限にとどめているのであって、むしろ国に対する義務が書かれている」とも述べている。自分を含めて多くの人たちは主語(主語にあたるもの)が誰であるのか(国なのか国民なのか)も意識せずに憲法を読んでいるのではないだろうか。主語に注目するあたりは―失礼ながら―さすがに作家・翻訳家の視点だと感心したのだが、よく考えてみれば、文章を読むときに主語を判別するのは基本中の基本である。そう思うと、基本も踏まえずに文章(憲法)を読み流していた自分が恥ずかしくなってきた。
  「9条は形骸化している」とか「憲法は現実に合っていない(だから変えるべきだ)」というのは改憲派の常套句である。そうならば24条(両性の平等)や25条(健康で文化的な最低限の生活)も実現しているとは言いがたいのだから条文を変えるべきではないのか。松本さんのこの反論もなかなか論理的である。さらに「そもそも憲法は、国が目指すべき理想ですから、現実との乖離があって当然なんです」(『みんなの9条』)という。この主張も憲法がもつ理想主義的な基本的性格を的確に表現していて説得的である。「私たちは理想をかかげ、それを果たすよう努力しなければならないの。たとえ一度もうまくいかなくても。理想のない人生は、空しい営みでしかないわ。理想があるからこそ、人生は偉大ですばらしいものになる。アン、あなたの理想をしっかり持ってね―アラン牧師夫人の言葉」(『アンの青春の明日が輝く言葉』より)―理想を失った国や国民もまた空しい。
  松本侑子さんは講演の最後をやはり『赤毛のアン』で締めくくった。『赤毛のアン』シリーズも最後には戦争文学的になったことを語り、文学もまた平和・戦争と無関係ではありえないと続けた。時間が迫っていたこともあって、残念ながらエピローグのメッセージはやや不明確だったが、『赤毛のアン』の翻訳や作家活動を通じて平和の重要性を伝えていくことが使命であるというように聞こえた。松本侑子という作家の良心に今日あらためてふれた思いがした。自分の思いを何らかのかたちで伝えていくことは、作家にかぎらず平和を求める人々にとってかかすことのできないことだ。口をつぐんでいてはいてはならない。伝えていかなければならない。このメッセージは次の庄野真代さんのトークにも通じていたように思う。松本さんも庄野さんの「飛んでイスタンブール」をよく聴いたとのこと。お二人が同時にステージに立つことはなかったが、舞台裏で思い出話に花が咲いたりしたのだろうか。そんなことを思いながら会場を後にした。つくばの街はちょうど夕日に照らされていた。この平和なたたずまいは憲法9条によって守られている。「改憲=戦争ではなく、日本国軍ができると私たちの暮らしは、どう変わるのか?(中略)もっと現実的に考えるべきだと思うのです」(『みんなの9条』)と松本侑子さんは語っていた。理想とともにこの現実こそ忘れてはならない。

10月10日 一部修正

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