或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

ある意味、統計の面白さ、かもしれない

2013-05-07 13:26:33 | 日記
これまた批判のようで、あまり書きたくはないのだが、

一般視聴者から見ても、明らかに、

「おかしい」、

と思えるような、統計的手法が使われたので、

ちょっと書いておく。


その番組は、社会的弱者の社会参画、として、

就労状況などをベースに、皆平等に就労できるような社会でなければならない、

ということを訴えているものである。

確かにそれは正しいと思う。

しかし、ちょっとおかしい手法でデータを出してきたので、

日本にはまだまだ男女差別がある、

というテーマが、かすんでしまうのではないか、

というおそれがあった。


まず、各国の女性の雇用比率が、パーセントを単位として棒グラフで出た。

基本的に、パーセント、が単位の場合、円グラフか折れ線グラフで出すのが普通である。

でもまあそこまでは、まだ許容範囲、と言えるかもしれない。

問題は、その後にあった。

今度は、その各国の女性の雇用比率にくっつけて、

女性の管理職比率を出してきた。

もちろん感覚的に、雇用比率より、管理職比率の方が下回るだろう、

ということは、想像に難くない。

しかし、いくつかの国の棒グラフは、

最初に出た雇用比率よりも、管理職比率のほうが、高くなっていた。

これは一体どういうことだ?

雇われている比率より、管理職に就いている比率の方が高いなんて。

私の方が間違っているのか?

などと思った。

しかしすぐに対処できた。

ほとんど「○○しながら」、で見ていたので、実際は違うのかもしれないが、

これは、単純に、母数が違うのではないか、と。

雇用比率は、多分労働人口を母数としているだろう。

そして、管理職比率は、「被雇用者」を母数にしているのではないか、と。

もしそうなら、同じグラフで、しかも一般的ではないパーセント棒グラフで、

母数が違うものをくっつけて示す、という誤解を招きやすい、というか、

誤解させて、危機感をあおる、日本の後進性を示す、というミスリードをしていることになる。

番組内容やその方向性は立派なのに、裏付けるデータが、故意にせよただのミスにせよ、

自分たちに都合の良い形で出されたことは、

非常に残念である。

夜中に叫んでいるやつ

2013-05-07 00:43:03 | 日記
まず前提として、私を取り巻く環境から類推すれば、

私の個人情報は、かなり知れ渡っていると考えられる。

そして、本当のガキ、思春期の奴ら、大人になりきれていない奴ら、

ガキのための物語として、わかりやすくするための、

善悪二元論、勧善懲悪、を未だに信奉している奴ら、

「アウトサイダー」と言えばかっこいいと思うかもしれないが、

既に子供の頃に「落ちこぼれ」「落伍者」となってしまい、

そういう奴らが屯し、仲間内で、「おぉ、おまえやるやん」、

と他人から自己を承認をされたい、ただの淋しがりや、

といった輩たちが起こす、馬鹿げた言動、

というものが、私の周囲ではよく起こる。

さっきも、夜中だというのに、

「クズー、クズー、どクズー」、と叫んでいる奴がいた。

こういう手合いは、基本的に、こういう風に取り上げてもらって、

それで自己満してしまう、精神的に未発達な奴であると言える。

そして、仲間内で、「成功」などと思い、言い合うのである。

基本的に、こういう奴らには、「リアクションをしないこと」、

で収まることがある。

ただ、昔からの問題である、「いじめ」、といったものに参画する奴たちの病理として、

リアクションをしなければ、「こいつには何をしても大丈夫」、と考え、

どんどんとエスカレートしていくことが多い。

逆に、何らかのリアクションを起こせば、それを面白がって、

繰り返したり、エスカレートしていく。

じゃあ結局解決策はないのか?と言われれば、

「私は、そんなつまらん奴らの相手をする必要性は、全くない」、

との考えから、基本的に、リアクションを起こさない。

そうすると、エスカレートの可能性が出てくるが、

それさえも、何の反応も示さなければ良いだけの話。

最終的には、そういう奴たちが、暴行、傷害、名誉毀損、侮辱、殺人などといった、

刑事罰を受ける事件を起こすだけの話。

「少年院帰りがかっこいい」、とか、「俺には前科があるんや」、とか、

一般生活を送る人たちから見れば、「そんなことで威張ってどうする」、

「逆にみっともない」、といった印象を受けるだけ。

最近の刑事罰の傾向を見ていると、「矯正的」なものから、

見せしめや、被害者及び関係者の感情的なものを汲み取った、

「とにかく重罰を」、というものに変わってきているように感じる。

まぁ私に何らかの危害を加えようとするのならば、

「逆にお前たちが『勧善懲悪』の、『悪』として裁かれる」、

ということを、覚悟しておいてもらおう。

上述のように、仲間内では賞賛されても、一般社会に於いては、

「みっともない」とか、「ちゃんと矯正されたのか?」とか、

「こいつは何をやるかわからん」とか、単純に、怖がられたり、

結局、再犯や、その手のプロへと進む道しかなかったりする。

まぁ未熟か馬鹿ですわ。そういう奴らは。