或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

「SS」及び支持者は、イスラム過激派と同類~その2

2013-01-02 20:47:59 | 日記
ちょっと書き足りなかったもので、書いておこうかと。


シー・シェパードのメンバー、および支持者たちは、

全員「聖書」を「聖書の通りに世界ができた」、

と思って読んでいるのだろうか?


まぁ「多宗教徒」と言える日本人である私には納得できないが、

基本的に、キリスト教文化圏では、どのような形であれ、

「キリスト教の神」が信じられているという。


しかし、進化論も認める人が多数であるはず。

科学を否定していれば、シー・シェパードも用いる、

「科学により生み出されたもの」、高速艇なんかもそうだけど、そういうものも、

「神により与えられたもの」との理解になる。本気でそう思ってる?

科学を否定しないのであれば、「食物連鎖」ぐらいは知っているだろう。


植物を草食動物が食べ、草食動物を肉食動物が食べ、

肉食動物の死骸が分解されて土にかえり、植物を育てる。


まぁ簡単に言えばそんな感じ。


そして、その食物連鎖の頂点にいるのが、私たち「人間」。

雑食性で、草も根も食べれば果実も食べる。もちろんあらゆる肉も。

これは人間が手にした、「文明」「文化」によって、

全く安全なすみかを得、食物も簡単に調達することが出来るようになったから。


「捕鯨」に反対するのは、「鯨油」を使っていた欧米諸国が、

代用品である「石油」にシフトしたから必要としなくなった、

という「彼らの文化」に於いて、「必需品でなくなった」、

ということも理由の一つである。


そんな「鯨油」だけとって、他を捨ててしまっていた「彼らの文化」、

とは違い、「私たちの文化」では、クジラは「食料」であり、

「必需品の一つ」、であった。

他にもヒゲクジラの系統では、ヒゲも利用していたし、

他にも活用される部位があり、「鯨油」だけとって他は無用、

としていた「彼らの文化」とは、一線を画する。

実際に、欧州であっても、捕鯨を続けている国もある。


日本は単に、「反捕鯨国」の言いなりになっているだけであって、

「はい。今日から捕鯨を解禁します」と宣言してしまえば、

クジラに対する問題もなくなる。

変に「反捕鯨国」に並び、「調査捕鯨だけ、ちょこっとやらせてね」、

なんて立場を続けているから、シー・シェパードも図に乗る。


もし日本が、「国防上、捕鯨船には自衛隊艦船を伴わせ、

危害を加えられれば、その艦艇やボートを撃沈させることもいとわない」、

と宣言すればどうなるであろうか。シー・シェパードのメンバーも、

「命がけの行動」になるのである。


ちょっと極論に走ってしまったが、シー・シェパードの行動だって、

「極論」の上に成り立っている。「自然を守る」という大義名分を錦の御旗として。

私がもうちょっと勉強して、ちゃんと科学的、論理的に、

シー・シェパードを否定する文章が書けるようになったら、

また書かせてもらうこととしよう。


最後に。

実際には、ある種のクジラは既に、「絶滅」が危惧されないほど棲息しているそうである。

「一定レベルの知能を持っているから」ということについては、それこそ逆に、

人間の「エゴ」であると私は思う。人間が食用に供する他の動植物に対して、

「こいつらは低能だから食べてもいい」と言っているのと同じ、と感じる。

「SS」、および支持者は、イスラム過激派と同類であることを分かっているのか?

2013-01-02 17:34:03 | 日記
「さんタク」でさんまさんが言っていた、

「クジラ対シャチ」の番組が、NHKでやっていました。

「なるほど」と思えました。


以前私は「環境テロリスト」として、「SS」のことを書きました。

もうさんまさんが放送で言ったのだからいいでしょう。

もちろん、「シー・シェパード」のことです。


この番組では、「クジラが子供を守るために、シャチの攻撃をはね返す」、

という映像が主題として描かれていました。

そして、子供を守り抜いた後の行動が続きます。

クジラたちの食事です。


大量発生している動物プランクトンの、「オキアミ」がごはんです。

一口で、数百とも数千とも思える「オキアミ」を、食べてしまいます。

これに対してさんまさんは、

「シー・シェパードも、クジラだけじゃなくて、オキアミも守ったれよ」、

と言っていたのです。


「シー・シェパード」側の反論はすぐにわかります。

「クジラは人間と変わらない知的な生き物だから、むやみに殺してはいけない」、

そして、

「オキアミは、ただのプランクトンだから、私たちが守るべき必要などない」、

とでも言うのでしょう。


ですが、「人間と変わらない」のなら、クジラたちの、

「殺生」、

というものはかなりの大罪になるはずです。


そんな罪深いクジラたちに、ただただ食べられてしまうオキアミ。

何の感情も抱かないのでしょうか?自分たちがしていることへの違和感を抱かないのでしょうか?

キリスト教文化圏に於いては、このような考えはないのでしょうか?


「ただただ食べられるために生まれてきたのがオキアミ」、

という理屈なのでしょうか?「神」がそうなさった、という理屈でしょうか?

もしそうなら、彼らは私たちとは違う異文化の中に生きる、

「過激派」、

にしか過ぎない、と言えるでしょう。

更に言えば、アメリカ人をはじめ、世界中を敵に回した、

「アルカイダと同類」、

とも言えるでしょう。


やはり、

「シー・シェパードは、環境テロリスト」、

との烙印を押さずにはいられません。

支持者たちも同罪でしょう。