或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

そうそう、忘れていたので追記

2011-04-12 23:52:30 | 日記
わたしたちは、「天国」へは行けません。いくら善人であろうが。

かといって、必ず「地獄」へ行くわけでもありません。

一応仏教徒として考えると、行けるのは、「極楽」です。

「地獄」という概念は洋の東西を問わず、同じもののようですが。

いずれにせよ、来世を考えず、今このとき、を考えるのならば、

「現世利益」にあずかるしかないでしょう。

密教的ではありますが、仏教の場合、日本の各宗派には基本的に、

「現世利益」を求めるからこそ、参拝すると言えるでしょう。

そうそう、「参拝」という言葉は、基本的には「神道」の言葉のようです。

「参詣」と言った方がいいのかもしれません。


まだまだ書いていたいような気もするのですが、かなり夜も更けてきました。

もう真夜中ですね。そろそろ筆を置くことにしましょう。

日本は、なんでもあり、だもんね

2011-04-12 23:18:48 | 日記
日本人って、「無宗教」「葬式仏教徒」「キリスト教結婚式」、とてんでバラバラな民族なんだよね。

「加工貿易」だったかな?材料を輸入してきて、製品を輸出する、という構造(だった?)のはず。

江戸時代までは、ある程度「神道」とか「仏教」に帰依していたのが、

明治になってから、「キリスト教的世界観」をベースにした文化が流入してきた(第二次大戦敗戦後かな?)。

「クリスマス」はかなり早い時点で始まっていたと思うけど、他の行事も日本流にアレンジして、取り込んでいる。

よく言われるのは、「クリスマス」と「正月」の違い。

キリスト教圏では、「クリスマス」は聖なるもの。だから日本のようにはしゃいだりしない。

逆に「正月」は日本では厳粛に迎えられる。キリスト教圏では、逆にお祭り騒ぎ。

元はと言えば、日本は「八百万の神」の国であるから、何にでも「神性」が備わっていると言える。

本地垂迹やら、神仏混淆やら、余計に日本には国教というものが無い事がうかがえる。

「無宗教」の人たちも、「お食い初め」やら「七五三」やら「初詣」やら「葬式」やら「結婚式」やら、

ごちゃまぜの宗教的行事を経験してきているのではないだろうか?

「政教分離」とか言いながら「靖国参拝」とか「冠婚葬祭」やら「公○党」なんかが政治家たちの中でも行われているしね。

一応一般市民レベルでは、「神道」の氏子、「仏教」の信徒、などが自らの宗教に属している、

として、日本の人口を超える、宗教の「信者」にカウントされていて、公表もされている。

「自分は無宗教だ!」と思っていても、知らぬ間に「神道」や「仏教」に属していることになっているんだな。

日本はいろんなものを取り込んで、自分なりに加工したりして

(一番の例は、この文章。漢字・ひらがな・カタカナを使い分けてる)、

うまく世の中を渡っていき、自国の独自な文化として作り上げたと言える。

なんだかんだ言って、これが「自由」なのかな?

一応は「アメリカの傘の下」にいることに変わりはないだろうけど。

タイトル下もダメという事は、タイトルもダメなんやろうな

2011-04-12 15:00:29 | 日記
以前、ちょっと実験をしたことがあるが、

本文では、ドイツ・アルファベートが使えた。

でも、エントリ名ではダメだった。

で、今回、タイトル下の文に、ドイツ・アルファベートを使ってみたら、

エントリ名と同じ結果。

こりゃ多分、自己紹介欄もダメなんやろうな。

と、言うわけで、ドイツ式のラテン・アルファベット表記に甘んじた。

でも最近、一切ドイツ語で書いてないんやけどね。

自己流書評&思想っぽくなってるし。

そういう文章は、さすがにドイツ語で書いていくには時間がかかりすぎる。

ということで、最近はずっと日本語で書いているわけだが。

ま、manchmal werde ich einige Sätze auf Deutsch schreiben。

光文社古典新訳文庫版「クロイツェル・ソナタ」

2011-04-09 05:44:19 | 日記
この作品は、トルストイファンでも、好き嫌いが分かれるという。

私はまだ読んでいる途中なので、結論としては出せないが、

主人公(多分そう思うんやけど)の語りで、「性」に関する部分が、ちと辛い。

あまり女性にはおすすめできないかな、と言うのが今のところの感想。

舞台が19世紀末ロシア、という全くかけ離れた世界なので、一歩引いて見ないといけないかもしれない。

でも、意外と普遍性があるのかも、とも思えてくる。

とにかくこの作品は、光文社古典新訳文庫の「イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ」に所収の2作品のうちの一つ。

どちらも心が痛い。

ただ、これを反面教師にして、「ちゃんと生きる」、という事ができるかもしれない。

終わりなき理論構築

2011-04-07 17:17:45 | 日記
なかなか自分の中で、理論構築が終わらない。

複数の理論が、関係していたり、無関係であったり。

とにかく、一時思考停止する。その前に、自分の中に想起されるモノどもを、できるだけ羅列しておく。


個人主義、全体主義、自由主義、絶対王政、立憲君主制、

民主主義、社会主義、社会民主主義、資本主義、共産主義、

直接民主主義、間接民主主義、利己的、利他的、主観的、客観的、

自己満足、自己中心的、自律的、他律的、権利、義務、主体的、客体的、

「緩やかな社会主義」、自己愛、博愛、愛情、唯一論、二元論、

一神教、多神教、無宗教、無党派、独裁政治、恐怖政治、

完全自由、部分的自由、無自由、多数決民主主義、

愛、恋、好意、厚意、原始共産主義、束縛、嫉妬、放置、

神話、歴史、宗教、科学、現実的、非現実的、理想主義、

空想、夢想、妄想、脳科学、神秘主義、確率統計、

死、生、欲、性欲、生存欲、睡眠欲、知識欲、物欲、欲望、野望、

社会的死、存在、神、仏、現人神、権現、誕生、意識、無意識、

理性、性格、人格、ペルソナ、道徳、法、秩序。


とりあえず、こんなところかな。

重複していたり、既に解決していたりするものもあるだろうが、

とにかく、あまりに考え込みすぎると、現実生活が損なわれるので、

ここらへんで。

ちょうど、ハヤカワ演劇文庫版「カリギュラ」が届いたところだし。

まずは読書でベースを作っておかないと。

光文社古典新訳文庫版「イワン・イリイチの死」読了

2011-04-06 20:16:59 | 日記
私はそれほど「死」を恐れていない。

誰でもいつかは召されるのだから。

ただ、これほどの苦しみを通り抜けていく「死」を迎えるのならば、

その時にはイワン・イリイチほどではなくても、恐れるかもしれない。

続いて、「クロイツェル・ソナタ」を読むことになるが、

がらりと変わった作品であると聞いている。

早く「イワン・イリイチの死」の解説を読みたいのではあるが、

「クロイツェル・ソナタ」読了後、そうしようと思う。

岩波文庫版「イワンのばか」読了

2011-04-04 20:40:59 | 日記
「人はなんで生きるか」と、この「イワンのばか」で、

(多分)トルストイの「民話」は読み終えたはず。

色々と考えさせられる。

これからは、トルストイの中編、長編を読んでいくことになるが、

普通に本編を読むだけでなく、解説も読むことによって、

一層トルストイを理解することができるように思う。

いわゆる「トルストイ主義」も。

ただ「教会的宗教否定」が提示されたことにより、

伝統的キリスト教会へ行けなくなってしまった。

そこがちょっと困ってしまったところではある。

原始共産主義についてもう一つ

2011-04-01 16:21:57 | 日記
今になって思い出した。

「原始共産主義」を徹底しようとした国の事を。

「カンボジア」である。

いわゆる「ポルポト派」であるが。

農民たちは勿論のこと、知識人まで全て、地方での強制農作業に従事させた。

その結果は、みなさんご存知の通り。

今となっては、もう「原始共産主義」ではたちいかないのである。

農作業にも「モノ」が必要となった時代なのである。

やはり少し前までの日本のような、

「緩やかな社会主義」が次善の策なのであろう。

しかしもうこの日本も「自由競争主義」に入ってしまい、元には戻れないだろう。

「グローバリゼーション」の中、次代をどうするのか。

元号は「平成」でも、平静ではない現在。次代に何を託せばよいのであろうか。問題は山ほどある。