亡母後の時期の夢を見た。
「亡母が抱いていた夢」や「その時期私が抱いていた夢」などを書きだすと、
多分遅刻するぐらいの長さは打鍵しなければならないと思うので、
いわゆる、「睡眠中に見る夢」にのみついて言及する。
今より勤務状態は悪かったと思うが、一応仕事をしていた。
それでも馘切られることはなく、何とか続いていた。
それが、亡母の入院から、ちょっと考え直して、
少しは真面目に仕事に取り組むようになった。
結局、マシになった私を退院して、日常から見ることなく、
そのまま去っていった。
しかしそれでも、勤務状態が悪化することはなく、
多分勤務状態は良好だと思う形が続いていた。
そんな頃の話が、今日の夢見であった。
何か懐かしくもあり、あの頃の方が良かった、
とも思ったのではあるが、それは結局、
「昔はよかった」と述解する老人と同じであり、
少し考えてみると、「男子校で部活に励んでいた」、
と同義のような感じもする。
それも「青春」ではあろうが、現在のように、
今の彼女と楽しく過ごすこともまた、
「青春」ではある。
それを考えると、やはり、「今の方がいい」。
この夢見は、私が自分自身で、何か意味するところを見つけたのか、
ただの「夢見」であり、「記憶の整理」の一つ、
に過ぎないのかは、わからない。
ただ一つ確実に言えることは、
「夢見は、どれだけインパクトがあろうとも、時間経過によって、薄れていく」、
ということである。既に詳細は忘れつつある。
やはり「記憶の整理」だったのであろうか。
それでも、少しは考えさせられる部分がある。
「青春」、とブログタイトルに銘打ったのは、ほんの少し前であるが、
実際にはそれより以前も、青臭いことを書いているし、
更には、亡母頃にまで、もしかすると更にそれ以前にまで、
遡れるのかも知れない。
庵野監督が、「宮崎駿監督は大人になった」、と評したそうであるが、
流石にそんな巨匠のように、72歳まで大人にならないでいられる、
というのは稀有な例だろう。
勿論、私もそうである。
漸く「大人」へと移行していくのであろうか。
庵野監督流に言えば、
「エヴァの呪縛」がなくなった、
とでも言えばよいのであろうか。
とにかく、ちょっとは「考える種」、となった夢見であった。
「亡母が抱いていた夢」や「その時期私が抱いていた夢」などを書きだすと、
多分遅刻するぐらいの長さは打鍵しなければならないと思うので、
いわゆる、「睡眠中に見る夢」にのみついて言及する。
今より勤務状態は悪かったと思うが、一応仕事をしていた。
それでも馘切られることはなく、何とか続いていた。
それが、亡母の入院から、ちょっと考え直して、
少しは真面目に仕事に取り組むようになった。
結局、マシになった私を退院して、日常から見ることなく、
そのまま去っていった。
しかしそれでも、勤務状態が悪化することはなく、
多分勤務状態は良好だと思う形が続いていた。
そんな頃の話が、今日の夢見であった。
何か懐かしくもあり、あの頃の方が良かった、
とも思ったのではあるが、それは結局、
「昔はよかった」と述解する老人と同じであり、
少し考えてみると、「男子校で部活に励んでいた」、
と同義のような感じもする。
それも「青春」ではあろうが、現在のように、
今の彼女と楽しく過ごすこともまた、
「青春」ではある。
それを考えると、やはり、「今の方がいい」。
この夢見は、私が自分自身で、何か意味するところを見つけたのか、
ただの「夢見」であり、「記憶の整理」の一つ、
に過ぎないのかは、わからない。
ただ一つ確実に言えることは、
「夢見は、どれだけインパクトがあろうとも、時間経過によって、薄れていく」、
ということである。既に詳細は忘れつつある。
やはり「記憶の整理」だったのであろうか。
それでも、少しは考えさせられる部分がある。
「青春」、とブログタイトルに銘打ったのは、ほんの少し前であるが、
実際にはそれより以前も、青臭いことを書いているし、
更には、亡母頃にまで、もしかすると更にそれ以前にまで、
遡れるのかも知れない。
庵野監督が、「宮崎駿監督は大人になった」、と評したそうであるが、
流石にそんな巨匠のように、72歳まで大人にならないでいられる、
というのは稀有な例だろう。
勿論、私もそうである。
漸く「大人」へと移行していくのであろうか。
庵野監督流に言えば、
「エヴァの呪縛」がなくなった、
とでも言えばよいのであろうか。
とにかく、ちょっとは「考える種」、となった夢見であった。