或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

亡母の夢

2013-09-09 04:55:51 | 日記
亡母後の時期の夢を見た。

「亡母が抱いていた夢」や「その時期私が抱いていた夢」などを書きだすと、

多分遅刻するぐらいの長さは打鍵しなければならないと思うので、

いわゆる、「睡眠中に見る夢」にのみついて言及する。


今より勤務状態は悪かったと思うが、一応仕事をしていた。

それでも馘切られることはなく、何とか続いていた。

それが、亡母の入院から、ちょっと考え直して、

少しは真面目に仕事に取り組むようになった。

結局、マシになった私を退院して、日常から見ることなく、

そのまま去っていった。

しかしそれでも、勤務状態が悪化することはなく、

多分勤務状態は良好だと思う形が続いていた。

そんな頃の話が、今日の夢見であった。


何か懐かしくもあり、あの頃の方が良かった、

とも思ったのではあるが、それは結局、

「昔はよかった」と述解する老人と同じであり、

少し考えてみると、「男子校で部活に励んでいた」、

と同義のような感じもする。

それも「青春」ではあろうが、現在のように、

今の彼女と楽しく過ごすこともまた、

「青春」ではある。

それを考えると、やはり、「今の方がいい」。


この夢見は、私が自分自身で、何か意味するところを見つけたのか、

ただの「夢見」であり、「記憶の整理」の一つ、

に過ぎないのかは、わからない。

ただ一つ確実に言えることは、

「夢見は、どれだけインパクトがあろうとも、時間経過によって、薄れていく」、

ということである。既に詳細は忘れつつある。


やはり「記憶の整理」だったのであろうか。

それでも、少しは考えさせられる部分がある。


「青春」、とブログタイトルに銘打ったのは、ほんの少し前であるが、

実際にはそれより以前も、青臭いことを書いているし、

更には、亡母頃にまで、もしかすると更にそれ以前にまで、

遡れるのかも知れない。


庵野監督が、「宮崎駿監督は大人になった」、と評したそうであるが、

流石にそんな巨匠のように、72歳まで大人にならないでいられる、

というのは稀有な例だろう。


勿論、私もそうである。

漸く「大人」へと移行していくのであろうか。

庵野監督流に言えば、

「エヴァの呪縛」がなくなった、

とでも言えばよいのであろうか。


とにかく、ちょっとは「考える種」、となった夢見であった。