エスペラントにもいわゆるネイティブがいる。親が国際結婚で、家庭内ではエスペラントを使っているような場合である。成長するにつれて社会とのつながりが広がって住んでいる場所の言葉で生活するようになるから、ネイティブだからといって必ずしも優れたエスペランティストではないらしい。
2000年のNASKでは、2人のネイティブがいた。そのうちの一人に聞いてみたが、彼は「自分にとって、エスペラントは自然だが、得意ではない」というのだ。実際、彼のエスペラントはアメリカ人の英語のようにものすごく流暢で聞き取るのがたいへんである。そのくせ、私でも知っているような基本的な単語で詰まったりする。実に奇妙な感じで、「エスペラントの趣旨から、ネイティブは作るべきではない」という意見にも一理あると思った。
大学では様々な夏期集中講座が行われていて、エスペラント講座もそのひとつであった。したがって、希望すれば正規の単位を取得できる。私も希望しておいたら、スポメンカに「あなたには単位なんて必要ないでしょう。それとも今から修士号でも取るつもりなの?」と言われてしまった。「いや、まあ、その、単なる記念にと・・・」
というわけで、別に必要はないのだが、サンフランシスコ州立大学の語学単位を「優秀な成績で」(と信じておこう)3単位取得した。どこかの元議員がうらやましがるかも。
講習最終日の14日(金)は、中級・上級と入門・初級がそれぞれ合同で3時間の授業を受けて、午前中ですべての日程が終了した。中・上級の前半はスポメンカの指導で「エスペラントとは何か?」をテーマにした討論。いいたいことがなかなか口に出せないもどかしさを感じた。後半はゴダールによるエスペラント音楽の紹介。非英語圏のアーティストがメジャーになるためにエスペラントで歌う例があるとか。
15日、早朝に軽い地震があった。日本人にとっては何でもないのだが、地震のない国から来た人にとっては、かなりいやな気分のものだったようだ。
宿舎と食事は16日(日)の昼までだったが、金曜日の午後から少しずつ帰っていく。15日の朝、M.K、N.N、H.Y、スポメンカなどを見送った後、私も10時半頃に大学を出た。
そしてこの年が十数年続いた州立大学でのNASKの最後の年になった。大学の計画のためにエスペラント講座が開けなくなって、翌2001年はサンフランシスコ市立大学で行われ、2002年からアメリカの東部、バーモント州のブラトルボロ(Brattleboro)という町で行われている。
写真はヤーバグエナ・ガーデン 正面の壁にエスペラントのメッセージ
2000年のNASKでは、2人のネイティブがいた。そのうちの一人に聞いてみたが、彼は「自分にとって、エスペラントは自然だが、得意ではない」というのだ。実際、彼のエスペラントはアメリカ人の英語のようにものすごく流暢で聞き取るのがたいへんである。そのくせ、私でも知っているような基本的な単語で詰まったりする。実に奇妙な感じで、「エスペラントの趣旨から、ネイティブは作るべきではない」という意見にも一理あると思った。
大学では様々な夏期集中講座が行われていて、エスペラント講座もそのひとつであった。したがって、希望すれば正規の単位を取得できる。私も希望しておいたら、スポメンカに「あなたには単位なんて必要ないでしょう。それとも今から修士号でも取るつもりなの?」と言われてしまった。「いや、まあ、その、単なる記念にと・・・」
というわけで、別に必要はないのだが、サンフランシスコ州立大学の語学単位を「優秀な成績で」(と信じておこう)3単位取得した。どこかの元議員がうらやましがるかも。
講習最終日の14日(金)は、中級・上級と入門・初級がそれぞれ合同で3時間の授業を受けて、午前中ですべての日程が終了した。中・上級の前半はスポメンカの指導で「エスペラントとは何か?」をテーマにした討論。いいたいことがなかなか口に出せないもどかしさを感じた。後半はゴダールによるエスペラント音楽の紹介。非英語圏のアーティストがメジャーになるためにエスペラントで歌う例があるとか。
15日、早朝に軽い地震があった。日本人にとっては何でもないのだが、地震のない国から来た人にとっては、かなりいやな気分のものだったようだ。
宿舎と食事は16日(日)の昼までだったが、金曜日の午後から少しずつ帰っていく。15日の朝、M.K、N.N、H.Y、スポメンカなどを見送った後、私も10時半頃に大学を出た。
そしてこの年が十数年続いた州立大学でのNASKの最後の年になった。大学の計画のためにエスペラント講座が開けなくなって、翌2001年はサンフランシスコ市立大学で行われ、2002年からアメリカの東部、バーモント州のブラトルボロ(Brattleboro)という町で行われている。
写真はヤーバグエナ・ガーデン 正面の壁にエスペラントのメッセージ