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エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて28年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

大晦日

2014-04-07 | ベトナム旅行その3


1月30日
 今日は旧暦の大晦日である。正月に向けて1週間ほど前から準備が進められ、線香や様々な飾り物・花などの店が出て街は華やかである。
 Mai Anh の自宅でお昼をご馳走になる。手作りの春巻きはソースが美味しかった。カレーを作ってくれたが、これが辛くなくて甘かった。ちょうど居合わせた Ora という女性に缶入りの飲物を6本いただいた。彼女は薬局を経営していて、なにやら特別な飲み物だという。ほとんど砂糖水のような味だが、ゼリーのようなものが入っている。「ツバメの巣」らしい。
 夜は中国人街(チョロン)を散歩。にぎやかだがかつてハノイで経験したほどの人出はない。市の中心部へ行けばもっとにぎやかで、深夜には花火も打ち上げられる。テト大晦日の様子はこのブログの「ベトナム旅行その2」を見てほしい。
 深夜、Kieu の家の裏のお寺に行ってみた。お参りに来る人がひっきりなしに入ってくる。入り口では大きな線香の束や巨大な線香を売っている。
 家々では祭壇を祭り、お供え物をあげ、線香を焚く。玄関先ではお金(もちろん本物ではない)を燃やしている。故人があの世で使えるようにというわけで、最近は車や冷蔵庫などの絵や模型も燃やすらしい。我々のホテルのベランダにも祭壇が作られていた。

   
写真は自宅にしつらえた祭壇を拝む人たち。3本の大きな線香が見える。
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チャンパ遺跡とクチトンネル

2014-04-04 | ベトナム旅行その3
 

 今回のベトナム旅行の目的の一つがチャンパ遺跡を見て回ることだった。チャンパというのはベトナム中部から南部にかけて2世紀から17世紀に存在したチャム族の王国である。最大のミーソン遺跡が世界遺産に登録されている。前回のベトナム旅行(このブログのベトナム旅行その2)でもミーソンとニャチャンのボーナガールを訪れたが、もっと見てきたいと思ったのだった。
 ホーチミンから北西へ約100km行くとタイニンという町がある。有名なクチトンネルがあるところで、観光コースにもなっている。この近くに2つのチャンパ遺跡がある。
 タクシーを頼んで早朝にホーチミンを出発。Kieu が同行してくれた。タイニンに着いて、まずカオダイ教本山を見学。この極彩色の派手な教会は、話の種に一見の価値はある。
 次いでチャンパ遺跡のチョップマットへ行く。運転手が何カ所かで道を尋ねて、やっと田んぼの中にぽつんと立つ遺跡が見つかった。見知らぬ土地で言葉も分からず、エスペランティストの同行者がいないと遺跡巡りはかなり難しいと思わされた。
 チョップマットは7~8世紀に建設された、チャンパ遺跡では古いものである。ほぼ完全な形に修復されていたが、そのすぐ横には崩壊したもう一つの塔が残っている。
 もう一つの遺跡ビンタンへ。これも探すのに少し手間取った。同じように修復された塔と崩壊した塔が並んでいた。内部には立派なリンガがあった。リンガというのはヒンズー教のシンボル、男性器と女性器で生命の原理を象徴している。
 最後はクチのトンネルへ。南ベトナム解放戦線がアメリカとそのカイライ政権と戦った有名な戦場である。全長200kmに及ぶという地下トンネルのほんの一部を見学できる。落とし穴や使われていた武器の展示もあり、ベトナム人民が如何に戦ったかを示す博物館の一つとも言える。
 18:30、ホーチミンに帰着。Kieu がパックに入ったドリアンを買ってきてくれた。トロ~リとしてとても美味しい、果物の王といわれるこの果物は強烈な悪臭も放つ。食べた後(大きな種が残る)はホテルのおばさんに頼んで捨ててもらった。

   
写真はチャンパ遺跡チョップマット
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ホーチミンの新市街

2014-04-02 | ベトナム旅行その3


1月28日
 今日は Mai Anh が一日ホーチミンの街の案内と昼食の招待するという。彼女は横浜のエスペラント世界大会(2007年)に日本エスペラント学会の招待で来日、大会後は私の家にも泊まった。達者なエスペランティストである。
 ベンタイン市場の近くで待ち合わせ。13年前に来たとき、この辺りは工事中でフェンスが立ち並びひどく小便臭かったが、今はかなりきれいになっている。やってきたのは Mai Anh の他に2人の女性、一人は13年前に知り合った Nhan である。近くの公園を歩く。盆栽や花などを売っている。ベトナムの盆栽の特徴の一つはグロテスクな根である。
 バスで「新市街」へ。この10年くらいの間にできた街である。新しいアパートが建ち並び、建設中の建物もあちこちに見受けられる。財政難で工事がストップしているとか。コカコーラの宣伝をやっていて、よく分からないままにコンピュータゲームをやって缶コーラを一本もらった。
 新しい大きなショッピングセンターに入る。きれいで立派なマーケットだが客は多くない。とくに店の中には客があまり入っていない。たぶん一般のベトナム人には手が出ないような高級な店が多いのではないかと思う。とりあえず買い物ではなくてここを見るためにだけ来る人も多いのではないかと思う。都市の「中間層」を増やそうという政策が背景にあるのかもしれない。わざわざこんな所を見せたいというベトナム人の気持ちも分からないでもない。実はこのあとも同じようなショッピングセンターを「見学」することになる。
 ショッピングセンターの前には大きな池があり、公園のようになっている。カメラマンとモデル、若いカップル(デートコースになっているらしい)や女性のグループなど。
 バスでベンタイン市場前に戻り、このにぎやかで雑多な、見てきたショッピングセンターと全く対称的な古い市場を通り抜けてフエ料理の店で昼食。三種類の麺料理、葉に包んだ肉、発酵させた豚肉、米の幅広麺の上に挽肉のようなもの、小さなお皿に丸い麺と乾燥させたサケ。いわゆるフエの宮廷料理、どれも美味しかった。米で作ったベトナムの麺は、コシはあまりないがそのつるんとした感触がいい。とくに幅広な麺を様々に使う。
 歩いて広い公園に入る(入場料50円)。ミニ水族館、チャム塔(チャンパ遺跡)の模型、花屋盆栽の展示など。
 最後は Kieu がバイクで迎えに来た。ちょっと疲れた一日だった。

   
写真は新市街のショッピングセンター。
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メコンツアー2日目

2014-03-30 | ベトナム旅行その3


 ホテルでバイキング方式の朝食。ベトナム料理・中国料理・西洋料理と種類は豊富である。
 7:40頃、船に乗って水上マーケットの見学に行く。途中で小さな船から大きな保温ケースを担いだ子供が飛び乗ってくる。我々観光客にジュースや椰子の実を売りに来るのだ。これが結構商売になっていた。
 こちらに来る直前にテレビで見た風景が広がる。水上ガソリンスタンド。農産物を大量に積んだ船の群れ、扱っている野菜や果物を竿の先にぶら下げている。小さな船は買い付けに来る人たちである。
 支流を遡って果樹園へ。ジャックフルーツ、ドラゴンフルーツなどの実がなっているのを見学して、試食。すごく甘いジャックフルーツ・美味しいマンゴー・パパイヤ・パイナップル・ミルクフルーツなど。
 雄大なメコン川の風景を見ながらホテルに戻り、バスでビン・ロンへ。1時間ほどの自由時間に市場などを見学。市場の中で食事。麺料理や生春巻きなど2人で250円。おいしかった! サトウキビジュースは50円。
 これでメコンデルタ一泊ツアーは終了。ホーチミンに戻ったのは夕方の5時半頃。Kieu と Thien Thu という陽気な女性が待っていて、4人で夕食。Thien Thu はエスペラント名を Auxtuna といい、現在の KAEM(Komisiono pri Azia Esperanto-Movado) 委員である。

   
写真は水上マーケットでキャベツを売る船
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メコンツアー

2014-03-29 | ベトナム旅行その3


 1月26日
 1泊のメコンデルタツアーに出発である。13年前に日帰りのツアーに参加したときはバス1台すべて日本人で、ガイドも日本人だった。当時の記録を見ると、貧弱な昼食付きで1000円程度だった。今回は1泊だが約7,300円で、食事の質はかなり良かった。
 早朝にバイクに乗せてもらって市の中心部にあるシンツーリストへ。7:40頃出発。24人のツアー客はほとんどが欧米人でガイドは英語である。約2時間半で Ben Tre(ベン・チェー)、ここから船で蜂蜜の村へ(果物を食べ、民族楽器の演奏を聞く.ニシキヘビはいなかった)、次がココナツキャンディー工場。オートバイでひく車で村を走り、4人乗りの手こぎボートに乗り、上陸したところで昼食。名物の魚料理「象の耳」も食べた。少し歩いて、船で Ben Tre の港に戻る。ここまでは日帰りツアーとほぼ同じだった。以前のこのブログ記事にもう少し詳しく書いてある。
 バスでカン・トーへ。途中で大渋滞して、ホテルに着いたのは8時過ぎ。近くで夕食。パンフレットでは一つ星ホテルだったが、四つ星のなかなかいいホテルである。

   
写真はメコン河畔に建つ住居
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第1日

2014-03-26 | ベトナム旅行その3


 1月25日
 近くの店で「フォー・ボー」の朝食。フォーは米の麺。ボーは牛肉である。ベトナムの麺にはずいぶんいろんな種類があって、まず大きく細いものと平たいものがある。細い麺の代表がフォーとブンである。この2つはまず製法が違い、味も微妙に違う・・・のだが、私にはあまりその違いが分からなかった。要するに美味しければ何でもいいのだ。
 このあたりには食べ物屋が多い。朝から大きな肉を焼いている店もある。Com(コム)というご飯の店である。Kieu によれば、働く人は Com を食べる。フォーに比べてカロリーが高くて腹持ちがするからである。
 Kieu の家に行く。大きな通りに面した4階建て(だったと思う)で、ベトナムでは普通のことだが大家族ですんでいる。1階ではパンク修理とか喫茶などの仕事をしている。喫茶といっても小さなプラスチックの椅子が数個あるだけで、とくに看板とかもない。知っている人だけがコーヒーを飲みにやって来るという感じである。こんな店がベトナムにはたくさんある。ここで飲んだ濃いベトナムコーヒーは美味しかった。
 この家の裏にお寺がある。お坊さんがずいぶん沢山いて、横には大きな宿舎があった。Kieu はここで毎日奉仕活動をしている。ちょうど正月の準備をしている最中だった。日本語を勉強しているという若いお坊さんに会った。日本のお寺についていろいろ聞かれた。日本の坊さんは結婚できると聞いたが本当なのか、とか。
 昼食は別の店で「バイン・セオ」。ベトナムのお好み焼きとかベトナム風クレープなどと呼ばれる。薄い卵焼きかと思ったら、米粉とココナツミルクで作ったものらしいが、これで野菜や肉などを包んで焼いたもの。
 夜は Kieu の家で夕食をご馳走になった。友人を一度は自宅に招いて食事を振る舞うというのも習慣の一つらしい。このあとも何人かの人に招待された。
 日本円からベトナムドンに両替。銀行でももちろんできるが、金銀を扱う店でもできる。レートはほとんど変わらないという。とりあえず4万円を両替、8,160,000ドンになった。50万ドン札が16枚。13年前に来たときは 1,000~ 2,000ドン札をよく使い、5万ドン札を出すと店の方がお釣りに困ることがあったが、今は1万~5万ドン札が中心である。さすがに50万ドン札は日常的には使いにくく、ホテルの支払いやツアー代金などに使う。
 というわけで、帰国してからネットで調べたことも織り交ぜながら、ベトナム第1日が終わった。

   
写真は正月準備で色とりどりの提灯で飾られたお寺.左が本堂、右は宿舎。
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出発・いきなりの大失敗

2014-03-24 | ベトナム旅行その3


 今日から新しいカテゴリー「ベトナム旅行(3)」を立ち上げる。話題がエスペラントから全く外れることもあると思うが、基本は「エスペランティストを頼っての旅」なので勘弁して欲しい。実際に今回の旅行では多くの現地のエスペランティストの世話になった。頼りにしすぎて自分自身が準備不足だったと反省している。
 往復の航空機を出来るだけ安くあげようと調べて、大韓航空を使った。1月24日朝9:30出発、仁川空港で7時間の乗り換え時間があって、ホーチミン着が22:35とかなり遅くなる。帰りはハノイから中部空港である。
 恵那を早朝に出れば間に合うのだが、万一に備えて中部空港前のホテルで前泊した。ベトナムの知人の電話番号や、チャンパ遺跡の資料とエスペラントの小説などを収めた iPad をこのホテルに置き忘れてしまった。これがこの旅行最大の失敗になった。
 仁川空港での長い待ち時間では携帯していた文庫本の小説を読んだ。他に空港内では韓国の伝統音楽の演奏や拓本などの伝統工芸が無料で体験できる。韓国王朝時代の儀式の実演も行われていた。それでも7時間は少々長すぎた。
 約1時間遅れてホーチミン到着。荷物が出てくるのに少し時間がかかったが、関税書類の提出もなく、入国はすんなりすんだ。外に出ると Kieu が待っていた。彼女は2004年に日本に来たことがある。もうベテランのエスペランティストである。タクシーで彼女の家の近くのホテルへ。現地時間深夜2時頃(日本時間では明け方の4時)にやっと就寝。海外に行くときは常にその初日が長いのだ。

   
写真は仁川空港で見た韓国王朝時代の儀式。
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