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エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて28年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

うららかな朝

2021-07-25 | 読書ノート


 最近読んだ本である。Julian Modest のエスペラント原作の「犯罪小説」、以前紹介した同じ作家の「Amo kaj malamo」と同じ探偵(警視)が登場するが、とくに名探偵というわけではない。推理小説によくある、初めの方から登場している、最も犯人らしくない人物が真犯人だったといったプロットもなく、途中で突然登場する少々怪しげな人物が実際に真犯人だったりする。探偵が真犯人を徐々に追い詰めるとか、思いがけない証拠を突きつけるとかいったシーンもなく、真犯人があっさり自首してくる。最後に明かされる真犯人と被害者の関係がいくらか衝撃的ではあるので、被害者の少女の生活や人間性についてもう少し掘り下げてあるとよっかったかも知れないと思う。
 文章は易しく、難しい単語も使ってなくて、ストーリーもわかりやすいので、エスペラント初心者にはお勧めの一冊である。
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謎の宝物

2021-07-15 | 読書ノート


 久しぶりの読書ノートは、Julian Modest の原作小説 La enigma trezoro である。Julian Modest については、このブログで作品とともに紹介したことがある。
 相変わらず、平易なエスペラント文で、難しい単語も使われていないから初心者にもお勧めである。
 ブルガリアの黒海に面した都市 Burgo に近い Marino という小さな町 が舞台である。14歳の Georgo は、大人たちの話から、海岸から見える Sankta Nikolao という小島に、多額の財宝が隠されているといううわさを知る。ブルガリア独立の英雄が集めた資金を隠したというのである。Georgo の想像が膨らむ。自分が探検に出かけ、宝物を発見して有名になる。そのことを Niko と Zahari 2人の友人に話し、ボートを手に入れて探検に行く計画を立てることになる。話を聞いた同級生の Petja は、Georgo を強くいさめる。今まで誰も発見できなかったものを子供が発見できるはずがない、そもそもなぜそんなものを発見したいのか、ただ有名になりたいからなのか、というわけである。一方、Niko はGeorgo がいつまでも計画を実行に移さないので1人で出かけてしまう。島には凶悪な集団が隠れていて・・・。

 ごく普通の少年文学である。冷静で賢い美少女の Petja、複雑な家庭環境で孤独な Niko など、登場人物それぞれの生活や考え方がていねいに描かれているが、全体に手に汗握る冒険といった場面に乏しく、以前紹介した探偵小説同様、物足りない読後感がある。この作家は長編よりも短編の方がいいかもしれないと思う。
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ラテン文学選集第1巻

2021-06-09 | 読書ノート


 久しぶりの読書ノートは「Antologio Latina volumo 1」である。
 何だか難しそうだとは思ったが、UEA(世界エスペラント協会)とユネスコによる「東西双書」に入っているので手に入れたものである。Gerrit Berveling(1944-、オランダのエスペランチスト)がすべて編集・翻訳している。最初は、Berveling 自身のエスペラントの発行所、Voko から小冊子として次々に発行された。その後、1998年に第1・2巻が発行され、2014年までに全5巻が揃った。第1巻は紀元前250年頃から30年くらいまでを扱っている。
 導入部では六脚詩法など、ラテン文学の形式について簡単な解説があり、ついでローマの初代皇帝アウグストゥスの時代までの歴史がまとめられている。
 ローマはイタリア中部の小村から始まり、王の時代、共和制の時代を経て紀元前31年から皇帝の時代が始まった。
 この選集では、ローマの様々な文学の担い手を紹介し、その作品(の一部)をエスペラント訳で紹介している。初期にはギリシャの哲学・文学の影響が大きく、ホメロスのオデュッセウスの訳などがされる中で、一方言であったラテン語が主流の言語になっていく。
 第1章「ヘレニズムの影響の元で」では、Livio Androniko, Gneo Nevio, Kvinto Enio といった、私には全くなじみのない作家が次々と紹介されている。多くは、その作品がほとんど残っていなくて、収録されている作品もほとんどが断片的なものである。後世の作品の中で言及されていたり引用されていたりして、その存在と影響力がわかる場合もあるようだ。

 第2章「古典時代」ではキケロ(前106-43)が重要な位置を占めている。キケロは57編の政治家としての発言が残されており、ここでは歴史的に有名なカテリーナ弾劾演説が訳されている。キケロは政治・レトリック・哲学に関する著作が沢山あり、さらに多くの手紙も残されている。個人的なことについてこれほど知られている古人は他にはないと言われ、著作集の中には774の手紙と90の返信が収められているという。この選集にも16編の手紙がエスペラント訳されている。

 キケロと同世代の作家に、Kajo Julio CEZARO がある。有名なシーザー(カエサル)である。軍人・弁護士・政治家であり、その演説・詩・Analogio(類推)についての文法的研究などがあるが、そのほとんどは失われてしまった。残っているのは「ガリア戦記」である。ガリアというのはヨーロッパのかなり広い地域を指すらしいが、この地方の総督となったカエサルが全土を制圧してローマの属州に編入させていった記録である。もともとは元老院への報告書で、自分のことを第三人称で書いている。このガリア戦記のエスペラント訳はなかなか読み応えがある。激しい戦闘の様子や、降伏した敵に恩情を掛ける様子などの他に、巨大な城壁の横に土盛りをしてさらに車のついた攻撃塔を動かして攻撃する様子などが興味深い。また、遠征先の人々の生活についての記述も興味深い・・・イギリスでは、海岸部の人々はガリア人と大きな違いはない。内陸部では農耕をほとんど行わず、ミルクと肉を食べ、毛皮を着ている。植物からとった染料で顔を青く塗っていて、闘いの時は恐ろしく見える。10〜12人の男(兄弟・親子など)が妻を共有し、生まれた子供はみんなの子供として育てられる・・・。

 250ページほどのこの本にぎっしり詰まったラテン文化についてまとめるのは私には無理なので、これくらいにしておく。
 一つだけつけ加えると、裏表紙には次のような解説がある。
 ヨーロッパを2つの文化が作った。古代ギリシャ-ラテン文化と、ヘブライ人-キリスト教である。アテネから科学と民主主義を、ローマからは基本的な法体系の重要さを、エルサレムからは、我々すべてが完全ではなく傷つきやすいこと、この世界に我々が生まれたことの使命を。これらが個々人の価値の基礎的な感覚を与えたのである。
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小さなヨハン

2021-01-22 | 読書ノート


 読書ノートは Frederik Van Eeden の「La malgranda Johano」である。Eeden (1836-1932)はオランダの作家および精神科医である。ネット上にはこの作家や作品についての情報はあまり見つからなかった。
 代表作となったこの作品は、幼児の精神発育過程を童話風に描いている。幼い Johano は様々な妖精たちに導かれてこの世界を時を超えて冒険する。夢のように美しい物語が展開する一方で、人間生活の美しさ・醜さや避けることの出来ない「死」などを見つめる恐ろしい物語でもある。彼は地下の世界で自分自身の、虫に食べられ、腐敗していく死体にも出会う。
 エスペラント訳はオランダのエスペランチスト、Hendrik Bulthuis。読みやすい文章だが、私にはこの哲学的な内容をつかむのが難しかった。
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IEM

2021-01-21 | 読書ノート


 上の絵は「Sen titolo」の作者 Ivan G. Ŝirjaev の写真を元にした肖像画である。この本の巻末には、彼の名が載っている Adresaro の該当ページのコピー、作品に出てくる「Espero」の古い楽譜、この作家への弔辞など、作者と作品にまつわる様々な資料が収録されている。その他、Internacia Esperanto-Muzeo(IEM)についての記事がある。オーストリア・ウィーンの中心部にあるこの施設は、名前は「博物館」だが、実際は専門図書館である。エスペラントと、その他の計画言語に関するあらゆる出版物、宣伝物などを集めている。Ŝirjaev の作品もここで発見されて世に出た。
 「紛失」というのは、エスペラント文化の決まり事の一つである。エスペラントの「離散共同体」とでも言える特殊な状況は、文化的伝統の発展に否定的な影響を与えている。我々の作家たちが棲息している社会は、ほとんどがエスペラント文化の重要さを知らないでいる。そのため、彼らの死後に貴重な資料が捨て去られるということが再々起こっている。オーストリアの Stefan Zadel の場合がその悲しい例である。彼は40〜50年代に活躍し、その小説「Konflikto pro Gerda」はコンクールで受賞しているが、それは失われてしまった。彼の家族は何も知らないし、UEA にもない。Zadel はコピーを IEM に寄贈していなかった。もはや奇跡でも起きない限り、永遠に失われたのである。1958年から、IEM の20000巻の蔵書の調査が始まり、その結果として新たな出版計画がもたらされた。その最も重要なのが、ロシア人作家 Ivan G. Ŝirjaev の著作集であった。
 近代の印刷技術と製紙業の発展で、印刷物は安価に大量に印刷できるようになったが、1850年頃から生産されている紙は100年後には崩壊してしまうことが最近になってわかった。最近になって保存法が開発されてはいるが、それには膨大なコストと時間・装置が必要で、一般の図書館では対応できない。しかし、IEM の場合は、オーストリア国立図書館の一部として、その保存施設と共同できるので、我々の貴重な宝物の保存に成功するであろう。
 IEM には世界中から観光客が訪れている。専門の係が対応してエスペラントの基礎とその有用性について説明している。関心を持った人にはその国の組織などについての情報も与える。
 そこで世界に呼びかける:すべての出版物や宣伝資料を IEM に送ってほしい。出版物を購入して保存する費用はないからである。宣伝資料は観光客への宣伝にも使われる。
 IEM は次のように利用できる。
 1.現地に実際に来て、文献などの研究が出来る。
 2.IEM の資料について、電話や手紙で問い合わせが出来る。ただし、観光的な質問には答えられない。
 3.お金を払って、資料のコピーまたフはフィルムを受け取ることが出来る。
 どのように IEM を支援できるか?
 1.エスペラント又は他の計画言語に関するあらゆる資料を送る。
 2.賛助会員になる。
 3.訪問者に配布できる、自国語の資料を送る。
 4.お金を寄付する。
 5.IEM についての情報を拡げ、その役割・重要性についての理解を広める。
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Sen titolo

2021-01-19 | 読書ノート


 今年最初の読書ノートである。300ページを超える大作ある。数十年間、オーストリア・ウィーンの国際エスペラント図書館(Internacia Esoeranta Muzeo: IEM)に眠っていた原稿である。いろんな雑誌に少しずつ発表されていて、まとまった本の形で発行されたのは1995年である。
 この本は2つの意味で重要である。第一に、エスペラント草創期の、おそらく最も古いエスペラント原作小説(の一つ)ではないかということ。第二には、この作品が本の形で後世に伝えられるのに果たした IEM の役割である。世界中のエスペラント関係の出版物やパンフレットなどを集めている IEM があったからこそ、この小説が日の目を見たのである。
 作者のIvan G. Ŝirjaev は1877年ロシアのヤロスラブリという小都市で牧師の息子として生まれた。宗教学校を1899年に修了、5年間教師として働き、1904年から牧師になった。エスペラント運動に参加したのは1895年で、その後の生涯をエスペラント運動に捧げた。ロシア国内はもちろん、スペイン・ブルガリア・カナダ・フランスなどなどたくさんの文学誌に Ivan Malfeliĉulo の名前で寄稿した。生涯をエスペラントに捧げた人生であった。とくにブルガリアの「Rondiranto」の成功に大きく寄与した。Rondiranto は正教会牧師たちとの共同で、1819〜1922年の約4年間で少なくとも43巻が発行された。これは1902年にフランスのエスペランチスト Bavey の提唱で始まった方式で、参加者は一冊のノートを巡回させる。順番にそのノートに作品を描き込んで次に回すのである。1周したところで、集まった作品を元に雑誌を発行するのである。IEM に残されていた本は紙質も印刷も悪く、ほとんど判読不能なページもあったという。
 Ŝirjaev 自身は作品を出版するのに出版社や費用不足もあって思うようにはいかなかった。その後、Enciklopedio de Esperanto(エスペラント大百科)の編集に精力をつぎ込み、2000を超えるエスペラント運動に関する記事を集めた。Enciklopedio de Esperanto は彼の死(1933)後、1934年に2巻本としてブタペストで発行された。

 この小説は作者自身の経験を元に、1897〜1898年の約1年間の、貧しい青年の生活を描いている。ロシア北部の小都市ヤロスラブリで、主人公の青年17才の Joĉjo は牧師になるための学校で学んでいるが、一方でエスペラントの普及に情熱を持って、宣伝し、教えている。貴族など高い地位にある人が運動に協力・参加し、かわいい少女 Olnjo が大事な同志になる。さらにライバルの青年将校や美しい伯爵令嬢姉妹も絡み、Joĉjo の心は揺れる。
 先駆者たちがロシアでどのようにエスペラントを普及させていったかがわかる。冒頭で作者は、「エスペラントには文学がない」という批判を消し去るためにこれを書いたと述べている。「私の長いエスペラント人生の中で最も幸せだった1年間」を書いた、「内容はかなり高い確率で事実である。」という。最終章では彼らの15年後の姿が描かれる。
 全体としてエスペラントは読みやすい。それほど劇的なストーリーはないが、描かれている人物たちも生き生きとよく描かれていてユーモアもあって楽しい。
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10,000 pagxoj

2020-12-30 | 読書ノート


Cxi jare mi legis librojn en Esperanto pli ol dek mil pagxojn. Sube mi listigas la titolojn de la libroj regitaj de mi en cxi tiu jaro.

今年のエスペラント読書が1万ページを超えました。以下は読んだ本のリストです。かなりの乱読です。

Eliza Orzeszko - Bona Sinjorino
Jan Otcenasekn - Romeo, Julieta kaj tenebro
Bozena Nemcova - Avinjo
CXina ANtologio
Willy Wood - Blua sango
Karl Lebrecht Immermann - La Karnavalo kaj la somnambulino]
Stefan Zweig - Brulanta sekreto
Teodor Storm - Du majstro Noveloj
Edgar Allen Poe - Ses noveloj
Agnes Bogh-Hogsted - Misteroj de l' vivo
Edger Rice Burroughs - Tarzan de la simioj
Dek du amrakontoj
Jean Codjo - Dialogo inter surduloj
堀正一La volvotigo de Amikeco
Henri Vallienne - Cx li?
Edger Rice Burroughs - Cxe la koro de la Tero
August Senoa - Dianto de la tombo de poeto
江上不二夫 - La sercxado de la vivo
Rudolf Erich Raspe - La vojagxo kaj mirindaj aventuroj ded barono Munchhausen
En la nubon sxi rorbigxis for!
Fabloj kaj Aforismoj
Anna Lowenstein - La sxtona urbo
Ignazio Silone - Fontamara
Kalman Mikszath - Flauxlino el oro
Edna Ferber - Fanny
Stellan Engholm - Homoj sur la tero
Tim Westover - Marvirinstrato
Reto Rossetti - El la maniko
Sxekspiro - Hamleto(L.N.M.Newell 訳)
Kelle Kniivila - La strato de Tanja, Vivo en Rusio
Selma Lagerofs - Gosta Berlongs Saga
Hugh Lofting - La vojagxo de doktoro Dolittle
Maurice Leblanc - Arseno Lupeno Gxentlemano-sxtelisto
Theodor Storm - Imenlago
Lorjak - REGULUS
Hans Harald Zetterstrom - Jakobo k.c.
John Francis - La granda kaldrono
Xose Neria Vilas - Memorajxoj de kampara knabo
Pejno Simono - Amuzaj Rakontoj
Astrid Lindgren - Kalle Blomkvist och Rasmus
Sten Johansson - Marina cxe la limo
Julian Modest - Ni vivos!!
Kiel Lidia Zamenhof pereis en Treblinka
Marko Polo - La libro de la mirindajxoj
西本伸 - PIKA
岡田ハル - Notoj pri Delto
Wendy Heller - Lidia
Lidia Zamenhof - Por ke la tagoj de la homaro estu pli lumaj
Julian Modest - Amo kaj malamo
Jakobo Sxapiro - Babiladoj de bonhumora Ωamenhofano
Nikolaj Gogol - Malvivaj animoj

   
la foto en Svedio
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Malvivaj animoj

2020-12-26 | 読書ノート



 読書ノートはゴーゴリ「死せる魂」である。UEAの「東西双書」の一冊。この小説は、ゴーゴリがプーシキンの影響を強く受けて、全三巻の壮大な叙事詩として企画したもので、第一巻が公刊された後、10年間書き継がれたが、作者はその死の直前に原稿を自ら焼却してしまい、少量の走り書きのみが残された。エスペラント訳は第一部だけで、第二部から一部だけが抄訳されている。原作がそうなのだろうが、作者の思いや個々の状景をストーリーに無関係な一般的な状景にたとえて描写する部分などはかなり読みにくい。これは日本語訳を読んでも同様である。ストーリー自体は面白いし、ユーモアに富んでいるから読んでいて楽しい。巻末の脚注は理解を深めるのに役立つ。

 animo(魂)というのは農奴を指している。農場主は登録された農奴の人数に応じて税金を払わねばならない。たとえその農奴が死んでしまっても、次の登録調査までは戸籍に載っているので税金を払うのである。
 ある地方の主要都市NNに一人の男(チーチコフ)がやってくる。彼はまず町の有力者たちを訪問して顔なじみになり、紳士的な態度で人気者になる。次には周辺地方の農場主たちを訪ねて、死んだ農奴を買い取りたいと申し出る。農場主にとっては税金を逃れられるし、代金も受け取れるからうまい話である。すぐに売ってしまう農場主もあるが、何のために買うのか、売ってしまってあとで後悔することはないのかと疑問を抱く農場主もいる。あげくに、「死んだ農奴の相場を調べてから」と考える農場主も。
 「そんな安くは売れない、あれはとても腕のいい大工だったんだ」「でももういないんだろ?」「そりゃそうだが・・・」といった会話が続く。
 町でもこの話しが広がり、「あの男は一体何なんだろう?」とうわさで持ちきりになる。中には「あれはナポレオンに違いない」という者まで現れる。この頃はちょうどナポレオンとの戦争の記憶が鮮明に残っていたのである。「新しく赴任する上級知事かも知れない」という憶測は町の有力者には恐怖である。
 チーチコフの生い立ちや人柄、死んだ農夫を買い集める目的などは最後の章で明らかになるが、その目的がうまく達成できるのかどうかはこの本だけではよくわからない。第二部は日本語訳で読む以外にない(それでも未完だと思うが)。

 少し面白かった表現をあげてみよう。
 elorbitiginte la okulojn:目を軌道から外して
 ili ofte alportis oferojn al Bakhxo:彼らはしばしばバッカスに捧げ物を持ってくる(よく酒を飲んでいる)
 Mi sercxas pugnogantojn, sed ili ambaux estas cxe mia zono:手袋を捜したら帯にはさんであった(灯台下暗し)
 「葬列に出会うのは幸せの前兆」(ロシアの言い伝え)
 Fiulo, rabisto, porko malbenita, mara monstro!:自分の召使いに対するののしり言葉
 Mi fleksos (vin) kiel kornon kaj ligos kiel nodon!:ひどい目に合わせてやるぞ!
 hamstras kapitaleton:小金を貯め込む
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ロボット

2020-12-16 | 読書ノート


 最近読んだ本、カレル・チャペックの戯曲「ロボット」である。「R.U.R.」というのは、Rossumaj Universalaj Robotoj :ロッサム万能ロボット会社の略称である。カレル・チャペックはチェコのジャーナリスト・翻訳家・写真家であり、最大の作家である。最初に書いた戯曲「盗賊」はいまでもチェコを代表する喜劇である。1890年1月、当時オーストリア・ハンガリー帝国領であったボヘミアで、医者の末っ子として生まれた。プラハの大学で哲学を学び、その後もベルリン・パリで哲学を学んだ。脊椎の病気で軍には入っていないが、彼の思想には第一次戦争がもっとも大きな影響を与えたと言われる。ちょうど普及し始めた自動車に憧れたが、脊椎の病気で運転免許を取ることが出来なかった。チェコスロバキアペンクラブの初代会長。代表作の小説「山椒魚戦争」や戯曲「母」でヒトラーとナチズムを痛烈に批判、1939年3月、プラハをドイツが占領、ゲシュタポがチャペックの家を急襲したが、その4か月前にチャペックは死亡していた。
 この戯曲で、初めて「ロボット」という言葉が使われた。この言葉を考え出したのは、画家である兄のヨセフだと言われている。ヨセフはナチの収容所で死去している。

 この作品の最初のエスペラント訳は1924年に出版された。当時チャペックは存命で、34歳だった。私が読んだのは2012年発行(実際は2013年ではないかと思われる)である。発行前にチェコの劇団DOMA によって3回の公演が行われた。2012年6月、チェコのツヴィッタウにおけるエスペラントの国際会議、2013年アイスランド・レイキャビクでおこなわれたUK(世界エスペラント大会)で、2013年にはツヴィッタウのエスペラント博物館5周年記念行事で公演された。さらに2014年8月には、イタリアエスペラント大会での公演が予定されている。

 戯曲は、前場と3幕から成る。舞台はある島である。この島ではロボットが生産されて世界中に輸出されている。この島に、会長令嬢の Helena がやってくる。彼女はロボットにも精神があると考えて、その「人権」を守り、社会的向上を目指す団体を代表していた。社長の Harry Domin はこの美しい女性に一目惚れをしてしまう。Domin はロボットによって人間の生活が飛躍的に向上していると力説する。「もっとも良い労働者」とは何か、Herena は「正直」「献身的」などをあげ、Domin は「安上がり」「要求を多く持たない」などをあげる。ロボットは人間そっくりに作られているが、人間そっくりに作られているが、感情を持たない。知力は高いが、目的とする労働に特化していて、目的とする労働に特化していて、人間には絶対的に服従する。血管がある場合は粉砕器に投げ込まれる。血管がある場合は粉砕器に投げ込まれる。耐用年数は20年である。結婚した2人には子供が出来なかった。それどころか、世界中で子供が生まれなくなっていた。ロボットに支えられた人間の生活は怠惰になり、退化していったのである。この状況に危機感を持った Herena はロボット製造を止めさせようと、その製造秘密文書を燃やしてしまう。一方、Herena は生理研究部長の Gall 博士に頼んで、ロボットに精神を与えさせる。自我を持ったロボットたちは反乱を起こし、世界もこの島もロボットの支配下に入ってしまう。製造秘密文書が無くなったことでロボットは再生産が出来なくなり、滅亡の危機に直面する。ロボットたちはただ一人生き残っていた建築技師の Alquist に希望を託す。Alquist はロボットを解体してその秘密を解こうとする。ロボットたちも抵抗なく解剖を受け入れる。島のロボットたちのリーダーは Radius というロボットである。Radius が最後に作られたロボットの一体だとわかって、Alquist は彼を解剖しようとする。そこに Herena という女性型ロボットが現れる。あの Herena にそっくりである。彼女も最後に作られたと知って、Alquist は彼女を解剖することにするが、Radius が反対する。自分は彼女がいなかったら生きている意味がない、と。Herena が涙を流しているのを見て Alquis は驚く。そして、2人のロボットを新しいアダムとイブとして送り出す。最後は Alquis の独白(神との対話)で終わる。
 技術のもたらした脅威と、唯一の希望としての「愛」・・・現代にも通じるテーマである。
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中国古典寓話選

2020-12-14 | 読書ノート


最近読んだ本である。170ページほどに132編の短い話が収められている。短いから読みやすいのだが、初心者にはあまり勧められない。なぜなら、誤りが多すぎるからである。例えば、再帰代名詞 si の用法の誤りなどである。その他接尾辞 -igx- や sen- の使い方の誤り(venkigxi を venki の意味で使う、malaperi の意味で senaperi など)も目につく。devas の後に、不定詞でなく現在形の動詞をつけるなども。その他、前置詞+-i(不定詞)の形が様々な前置詞で使われているのも問題である。
一つ一つの話には翻訳者の注(解釈)がつけられている。

前文で、中国寓話の歴史が簡単に紹介されている。中国寓話の歴史は長く、すでに3,000前に「La libro de sxangxigxoj」という本が現れた。紀元前396〜286年の春秋時代が寓話創作の時代である。中でも荘子・孟子・韓非子などが代表的な作家である。秦帝国(前221〜206)の後、作家も作品も減少していく。この頃の代表的な作家には司馬遷ある。以上の作家たちは寓話を専門にしたわけではなく、思想家・哲学者あるいは歴史家としての著作の中に寓話が生まれたのである。初めて寓話を独立した文学の分野としたのは、唐の時代の柳宗元である。イソップ物語と共通する話もいくつか見られる。これはかなり早い時期から東西の文化交流があったことを示すと思われる。イソップ物語が「翻訳」として現れたのは1625年である。

1つだけ紹介しておこう。「Cxu estas profita entombigo kun mortinto(死者とともに埋葬することに利益はあるか?)」
Xuan 夫人は秦王朝の Xuanwang 王の妻で未亡人であった。彼女は廷臣の Wei Chonfu と懇ろになっていた(Sxi amatinigis sin de kortegano Wei Choufu)。彼女は病気になった時、Wei に、自分が死んだら一緒の墓に入るように命じた(Sxi ordonis al Wei Chonfu entombigxi kun si)。Wei はそれを聞いて真っ青になった。廷臣の一人 Yong Rui はそれを知って、Xuan 夫人に言った。
「死者は意識を持っているでしょうか?」
「いいえ」Xuan 夫人は答えた。
「それなら、なぜあなたは生きている人を死者と一緒に埋めるのですか、もし死者が意識を持っていたなら、あなたの夫 Xuanwang は今頃あなたを厳しく罰するために待っているでしょう。」
「では、彼を自由にしなさい」Xian 夫人は歯ぎしりしてそう答えた。
Rimarkoj de esperantiginto(訳者の注):死者とともに埋葬するのは恐ろしく、非人間的である。この習慣は16世紀に廃止されるまで、3,000年続いた。
(「戦国時代の書 秦 第2巻」より)
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Se mi farigxos idisto...

2020-12-12 | 読書ノート


 「Babiladoj de bonhumora Zamenhofano」から短い一編を紹介してみよう。

 私は空想家である。子供の頃には未来の栄光や勝利について夢見ていた。インデアンとの戦い、矢が私をかすめても微動だにせず、私の放つ矢は常に野蛮人を倒す・・・。
 私がもう少し成長した時、その光景は代わった。飛行機乗りや探検家の栄光・・・。
 私がエスペランチストになった時には、エスペラント界でどのように栄光を手に入れられるかを夢想した。たくさんの数え切れない翻訳でエスペラント文学を豊かにすることを。しかしその夢はすぐに破れた。私の送る翻訳は常にに印刷されることなく戻ってきた。いまや、私はイディストになることを夢見ている。私はイド界だけでなく、世界中で光栄ある人になり、歴史に刻まれるであろう。
 私がイディストになったら、誰にもそのことを告げない。そして、地方の新聞に、私がエスペラントの学習書を無料で送るという広告を出す。実際にはイドの宣伝文書を送るのである。このことについての良心の呵責を感じることはない。なぜならイドはいくらか改造されたエスペラントだからである。この方法はロシアではすでに前例がある。
 その後、私はある愛国的新聞に次のような記事を書くだろう。
 ー エスペランチストはエスペラントだけを宣伝するのではない。彼らはエスペラント主義をも宣伝する。それは非常に危険な思想である。一方、イディストは改良されたエスペラントの宣伝をするが、イド主義については全く宣伝しない。従って、真の愛国主義者はエスペラントではなくイドを学習して、祖国を救うべきである。
 このような救国の栄光ある行動によって、人々は私に愛国者という名前(nomo) を与えるであろう。さらに、子音交換の原則に従って、お金(mono)も与えるであろう。このようにして、私はイド界でも栄光を手にし、その副会長になることは疑いない。人は私をイドアカデミーの会員にするであろう。イドの決定集を深く研究し、アカデミーに7つの語尾の変更や23の新しい接辞、700の新語を提案するであろう。それらが受け入れられたら、頑固な保守主義者との協議を始めることになる。もしこれらが受け入れられない場合には、私は私の「論理的」で「調和した」言語を半エスペラント・半イド言語として提案し、これを Escosmopolita と名付けよう。これは誰にでも受け入れられると思うが、もしそうならなかったら、国際語選定のための代表者会議を提案しよう。その会議では私自身がイドの代表者として、イドを擁護するのだ。すなわち、Escomopolita によって改良されたイドが採択されるように。イディストたちは私を裏切り者だというだろうが、問題ではない。私は新しく設立されるEscosmopolita界の栄光ある王になる。私の後継者たちはEscosmopolita-庭園都市を建設し、その中の通りに私の名をつけるだろう。かくして、東から西まで、南から北まで人々はみな私の名前をくり返すであろう。
 しかし、もし私がイディストになったら、エスペラントの易しい読み物で楽しむことは出来ないし、私が恋する女性と愛を語り合うためにエスペラント会に行くことも出来ない。エスペランチストの女性への愛が、彼女のためにだけ、私はザメンホフ人でいるのだ。しかし・・・もし私がイディストになったら・・・。
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上機嫌なザメンホフ人のおしゃべり

2020-12-10 | 読書ノート


 最近読んだ本である。表題から、もっとユーモアにあふれた楽しい内容かと思ったが、それほどでもなかった。作者の Jakobo Sxapiro については本文中に詳しい評伝が書かれている。それによると、
 1897年10月ビヤリストクに生まれた。1911年、14歳でエスペラントを学んだ。1912年、家族とともにウッチ(Lodzo)に移住、彼はその地でエスペラント普及活動を熱心に行った。学友にエスペラントを教え、ポーランドエスペラント協会の機関誌を編集、ウッチのエスペラント雑誌を編集しながら、”verdapopoleto"(緑の人々)についての小話を書く。それを集めたのがこの本である。40ページほどの小冊子で、5編の短い話が収められている。Jakobo にはトルストイやチェホフの作品のエスペラント訳もあり、エスペラント文学界で高く評価された。ザメンホフ博物館の創設、ザメンホフの記念碑を建てるなどの夢は実現にまでにはいたらなかった。記念碑については、1931年に礎石をすえたが、財政的困難で実現はしなかった。第一次世界大戦が始まってもひるむことなく、「戦争とエスペラント」という冊子をロシア語で発行した(1915)。1917年、家族とともにビヤリストックに戻り、その後も精力的に活動をした。
 1941年6月12日、ビヤリストークにドイツ軍が侵攻して、5000人のユダヤ人が虐殺された。この時、Jakobo と、熱心なエスペランチストでもあったその妻も殺害された。息子の Artur が残されたが、1943年にゲットー内で死亡した。
 巻末の「Mia onklo Jakobo Sxapiro」というレポートには、ドイツ軍がポーランドの都市で何をしたのかが、リアルに描かれていて、一読の価値がある。
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2020-11-30 | 読書ノート


 Fasebook, Twitter, Line などなどいわゆる SNS の隆盛になかなかついていけないでいるが、最近「note」という新しい SNS を知った。試しに読書ノートとエスペラントによる自己紹介を書いてみた。するとFacebookno の「いいね」のようなものだろうか「スキ」というのが1日で10個ほどもついたのだ。これをつけた人たちの note を一つ一つ見てみたが、エスペラントをやっているらしい人が一人だけいた。他の大部分は、自分の note へのアクセスを増やすために「スキ」をつけただけらしい。中にはこれで収入を得ようとしている人も見られる。note 自体が、そういうものらしい。これからも時々 note にも書いてみようと思うが、メインはこのブログなので、これからもよろしく、である。

 さて、今回の読書ノートは Julian Modest のエスペラント原作犯罪小説である。推理小説ではない。探偵たちも登場するが、特に優れた推理力を発揮するわけでもなく、殺人事件を捜査するうちに新しい事実が明らかになって、犯人が自然にわかってしまう。探偵小説・推理小説が好きな人には物足りないかもしれない。

エスペラン文は割に平易で読みやすい。エスペラント初心者にもお勧めである。2019年発行とずいぶん新しい作品なので、日本語訳はないと思う(そもそもエスペラント原作文学の日本語訳はあまりないと思うのだが)。

作者の Julian Modest は1952年生まれのブルガリアのエスペランチストである。1973年、ソフィアの大学生だった頃にエスペラントを学び、大学時代に早くもエスペラントで作品を発表している。1977年、ハンガリーのブダペストに移住、ハンガリーのエスペランチストと結婚、エスペラントで小説を発表。その後、ブルガリアエスペラント協会の出版部門編集長や会長を務める。1983年、リディア・ザメンホフの晩年を描いた戯曲「Ni vivos!」を発表、その後小説を次々に発表している。現代エスペラント界を代表する作家の一人である。
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2020-11-30 | 読書ノート


 Fasebook, Twitter, Line などなどいわゆる SNS の隆盛になかなか着いていけないでいるが、最近「note」という新しい SNS を知った。試しに読書ノートとエスペラントによる自己紹介を書いてみた。するとFacebookno の「いいね」のようなものだろうか「スキ」というのが1日で10個ほどもついたのだ。これをつけた人たちの note を一つ一つ見てみたが、エスペラントをやっているらしい人が一人だけいた。後の大部分は、自分の note へのアクセスを増やすために「スキ」をつけただけらしい。中にはこれで収入を得ようとしている人も見られる。note 自体が、そういうものらしい。これからも時々こちらにも書いてみようと思うが、メインはこのブログなので、これからもよろしく、である。

 さて、今回の読書ノートは Julian Modest のエスペラント原作犯罪小説である。推理小説ではない。探偵たちも登場するが、特に優れた推理力を発揮するわけでもなく、殺人事件を捜査するうちに新しい事実が明らかになって、犯人が自然にわかってしまう。探偵小説・推理小説が好きな人には物足りないかもしれない。

エスペラン文は割に平易で読みやすい。エスペラント初心者にもお勧めである。2019年発行とずいぶん新しい作品なので、日本語訳はないと思う(そもそもエスペラント原作文学の日本語訳はあまりないと思うのだが)。

作者の Julian Modest は1952年生まれのブルガリアのエスペランチストである。1973年、ソフィアの大学生だった頃にエスペラントを学び、大学時代に早くもエスペラントで作品を発表している。1977年、ハンガリーのブダペストに移住、ハンガリーのエスペランチストと結婚、エスペラントで小説を発表。その後、ブルガリアエスペラント協会の出版部門編集長や会長を務める。1983年、リディア・ザメンホフの晩年を描いた戯曲「Ni vivos!」を発表、その後小説を次々に発表している。現代エスペラント界を代表する作家の一人である。
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人類の日々をより明るく

2020-11-24 | 読書ノート


 久しぶりの読書ノートは Lidia Zamenhof の著作集である。430ぺーじほどに、Lidia のエッセイ、講演、挨拶などと手紙などが収録されている。講演や著作にはバハイ教に関するものが多い。分厚いエスペラントの文法書(Plena Analiza Gramatiko de Esperanto:PAG) が出版された時にそれに対する意見と、カロチャイの返答なども興味深い。
 バハイ教については、私もほとんど知らなかったが、おおむね理解できた。バハイ教は19世紀半ばにイランのバハー・ウッラーが創始した宗教である。バハー・ウッラーは自らを神の使徒・予言者と称したため、ムハンマド(マホメット)を最後の預言者と定めたイスラム教の教義に反するため、イラン国内では激しい弾圧を受けた。
 Lidia によれば、キリスト・マホメット・仏陀などはすべて同じ神の使徒であり、神の言葉を人々に伝えるためにつかわされた。それぞれの預言者が異なることを言っているように見えても、それは彼らが現れた時代と人々に対応したものである。現代の宗教は、科学の進歩を認め、それと調和しなければならない。予言者たちは太陽の光を反射する月のようなものである。基本は神の愛を伝えているのである。というわけで、すべての宗教は基本的には同じであり、そのためバハイ教は布教活動をしないと聞いたことがある。私自身は無宗教なので、例えば「神の存在」の証明などのリディアの論点などは全く納得はいかないが、ザメンホフがすべての宗教の基礎にすえようとした「ヒレリスモ」を徹底させたような感じである。
 以前ここで紹介したリディアの伝記や戯曲などはこのリディア自身の作品を元にしており、伝記「Lidia」にはここからの引用が大量にされている。まずこの著作集を先に読んで、それから「Lidia」や「Ni vivos!」を読んだ方が分かりやすいかも知れない。
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