娘のメールを見て曇った表情で妻が『あの子、まさか大學やめるんちゃうやろか?』妻が娘に返信しようとする指先を抑え『やめとこ・・まだお姉ちゃんが、はっきり、そう言ったわけちゃうやろ?A香戻ってきたら話し聞こうや。』妻は携帯を閉じて『大學行かせる、お金はあるから・・お父さん、もし大學やめる言うたら止めてや・・あの子には苦労させたくないねん・・あの子には・・(泣)私・・私が悪かってんから・・あの子が高校2年のとき・・あんな病気になってしまってん・・そやから一生懸命働いて、ヤリクリして大學行かせてもええだけの、お金は貯めてきた・・』忘れたくても忘れられない事が長女が高校2年生のときにおきたのです・・・でも、それは妻だけが悪いのではなく私にも大きな責任があるのです・・いや・・私のセイで長女を苦しめたのかも知れません・・長女の病気・・・それは・・・『拒食症』・・命の危機もありましたが、当時から約2年近く家族は壮絶な戦いをし挙句に妻の母まで巻き込んだのです。今でも、まだ牛肉や炭水化物には抵抗をもっていますが顔色も戻り彼氏も出来て高校時代に失った青春を今、楽しんでいる・・・そう思って安心した頃に私が脳出血で倒れてしまったのです。メールで連絡してきた通り長女は翌日、実家に戻ってきました。化粧も綺麗に整え指先の爪も今、流行のネイルをほどこしていました。身長163センチでスラッとした娘をあらためて見ると、その成長ぶりに驚きを感じました。『ただいま♪お父さん、身体はどう?・・あ、これ食べてねマダム○○のバウムクーヘン♪高かってんで★』と明るく話す長女に妻も私も取り越し苦労やったかな?と思わず目が合ってしまいました。『お姉ちゃん、よく来たね?今夜は泊っていくんやろ?お姉ちゃんの好きなマンゴー買ってきれん(^v^)』と妻が言うと『ありがと♪もちろん泊っていくよ・・お父さん、マッコリ飲みたい・・一緒に・・ムリかぁ』冷蔵庫にあったマッコリを見てそういうので『そのマッコリ、お父さんが入院する前に買った分やで?』と言うと『アルコールは大丈夫なんちゃうん?でも古いからやめとくワ・・お母さんの浸けた梅酒あったやんな?お父さん、梅酒やったらええのんちゃう?』主治医から1日ビールのレギュラー缶くらいならOKと言われてたものの退院してからは1滴も飲んでなかったのですが、この日は娘も戻ってきたし・・・『そやな?梅酒くらいやったらエエか。』と・・次女はアルバイトで遅くなるとのことで3人で夕食を済ませ梅酒を飲みながら『大事な話しってなんや?』と私が聴くと『ウチな・・・学校やめるワ』うつむきかげんに言う娘に対し、やはり予想通りになってしまった・・娘の言葉を聞いた妻の目は、みるみるうちに涙目になっていくのでした。
法律事務所への相談のあと・・暫く行ってない会社へ行こうと思い、以前より妻の休日に合わせて予定をしておりました。私一人では行ける身体ではないので妻の予定に合わせることでしか無理なのです。そして1月のある日の予定当日・・『お父さん、行くヨ♪』と妻の声に誘導されるかの如く車に乗り込みました。『ゆっくり会社の人らと会っておいでね。専務とも話・・あるんやろ?』会社へ向かう車中で・・ボーッと窓の外の風景を見ていた私は返事とも言えない返辞で『そうやなぁ~』と返したのでした。『お父さんが会社にいる間、近くのイオンかゲオにでも行ってるから・・用事が済んだら携帯に電話してや。』途中の国道はスムーズに車も進み思いのほか早く会社に着きました。久しぶりに勤め先社屋に入りエレベーターに乗ると少し緊張している自分が分かりました・・(何カ月も来ていないもんなぁ~何か気恥かしいなぁ。)そんなことを思いつつ杖をついて、まずは自分の部署へと向かいました・・すぐに別の社員が気付いてくれ『○○さんや、ないですか!!もう大丈夫なんですか?』『何とかな!!でも未だ仕事は無理や。』奥の席を見ると懐かしいメンバーが見え、私に気付くと笑顔で声をかけてくれる。(やっぱり仕事ぢたいなぁ・・)隣の課の課長が私の休職中に私の課も兼務されていたので、お詫びとお礼を申し上げ暫くの雑談をしていると『専務のとこへは?』と言うので『いや未だです・・これから行って、ご挨拶します。』と言い専務室へ。ガラス越しに見える姿は電話中のようであったので少し営業本部の課長や女子社員と歓談してると専務がやってきて『一人で来たん?・・もう身体の方は大分と良くなったみたいやな。』と笑顔で声をかけてくれ『妻に送ってもらいました・・ご覧の通り杖ついて何とか少し歩けるようになりました。』と少しの雑談から『以前、病院行ったとき今年の春くらいから復職出来ればと言ってたけど・・どう?・勿論、部署と業務は変わるけど用意はしてる・・』と言われ『未だ、ご覧の通りで・・声も出ずらく目も調整がきかない状態です。主治医と相談しながら復職は考えていきます。今はとにかくストレスを避け療養とリハビリ・・』と言うと『そやな。とにかく主治医と相談してまた連絡くれるかな・・ところで私・・○○課長から血圧が高いと聞いたとき私の経験も話ししたよな?』と・・専務の高血圧は内臓疾患でポリープの影響で高かったと聞いていたのです。(既往症と言いたいのかな?)その日は特に込みいった話はせず会社のメンバーに菓子折りを渡しロッカーにあった私物を持ち帰りました。帰りの車中で『どう?久しぶりの会社は?』と妻から聞かれ『忙しいのに・・みんな話し相手になってくれて身体の心配もしてくれたよ。』国道は多少、混雑はしていたものの大阪と違って渋滞らしい渋滞は殆どなく窓から見える景色をみつめていました・・自宅につき、その日の夜・長女から妻に大事な話しがあるからと大阪から明日か明後日に来るとのことで、妻がメールで『何の話し?』と返しても『帰ってから言う。』と1行だけの返信・・・妻と顔を見合わせ『まさか?・・・』と・・とにかく娘が帰ってきてからということになりました。
5月下旬、枕元のアイフォンが『ピンポン♪』と鳴ったので眠たい目をこすりながら画面を見るとラインのアイコンに『1』とある。タップしラインを開くと大阪で一人暮らししている娘(長女)から『来月、お母さんの誕生日やん。アイフォンをプレゼントしようと思うねん。』長女は妻のガラケーが、どうも気になるらしい。4月に長女と妻が梅田で食事をしたときも妻は娘から『お母さん!もうガラケーなんて殆どの人が持ってへん・・パカパカ開けたり閉じたり電車乗ってる人見てみ?おらんで♪』と言われたらしくさらに『時代遅れで恥ずかしくないん??』とまで・・妻は『こんでいいの!!別に通話とメール出来たらええもん(--〆)』と確かに、その日、梅田からの帰りに電車内を見たら殆ど・・【スマホ】を片手にしている人しかみかけなかったようで家に帰った妻が『A香(長女)に今日、めっちゃ言われた・・スマホにしいやって煩い!!私は今のでいいねん。どうせ使いこなされへんもん!!』妻の携帯は何年も前に買った【簡単携帯】で女優の大竹しのぶさんが宣伝していた機種である。でも全くスマホに興味ないかと言えばさにあらず・・『お父さん、いくらくらい?確かE香(次女)に買ってあげたとき・・7万円くらいやったやん?・・・私にはもったいないなぁ~』と・・これまで私に『A香からお父さんにライン来てない?』とか聞いてくるときもあって・・興味は持っている様子。長女に『スマホのプレゼント・・お母さん、絶対に喜ぶよ』と返すと『5Cなら梅田のYカメラで今3万で買える・・auでええやんな?』と来たので『お姉ちゃんに任せるよ』と返すと娘からスタンプが送信された・・6月に入り、妻が『お父さん!!お姉ちゃんが私の誕生日に御飯誘われてん・・梅田の阪急グランドビルの中やって♡行ってくるね♪』嬉しそうな笑顔で言う妻の表情は私が倒れてから見たことのない心からの笑顔でした。『ランチやから夕方に帰る・・』と言い、かなり上機嫌でした。その日の夜、長女から『未成年やからお父さんの同意がいるねん、明日、実家に帰るから印鑑とサインくれる?お母さんが帰ってくるまでにウチも大阪に戻るから・・』心良く承諾し翌日、同意書にサイン・・6月某日、妻は梅田へ元気に出かけていき長女とグランドビルにあるバイキングの店で昼食。誕生日のため、お店でケーキまで準備してもらい景色の良い窓際で食事をした様子・・長女から時々、ラインで状況報告・・昼食後、阪急百貨店でワンピースを買って『お母さん、ムッチャ喜んでくれた♪』と長女のラインを見て、思わずニッコリ。私が脳出血で倒れ毎日のように仕事帰りに病院へ来てくれ、そして次女のために夕飯を作り・・気持ちの休まることがなかった妻・・・私も近くのスーパーに行きステーキ肉とカクテルを買い、その日のディナーを準備・・本当は私がワンピースの1枚でも買ってプレゼントをしたいのに・・買いにいくことが出来ない身体を思うと・・・結婚し、毎年、誕生日とクリスマスには、ささやかながらプレゼントをしてきた・・結婚10年の記念には、揃いでROLEXも買った・・でも20年目には・・わけあって何もしてあげることができないままでもある。これまで会社の異動で何度も引っ越しをし・・最初は次女がお腹の中にいる時には札幌への異動・・妻は文句1つ言わずついてきてくれた・・そんな事を思い出しながらステーキに添えるサラダは次女が作り豆乳スープは私が作ってると・・『ただいまぁ~♪』妻が帰ってきた・・リビングに来るなり『じゃ~ん♪』笑顔で手にもったアイフォンを水戸黄門の印籠の如く見せ『お姉ちゃんから・・プレゼント♪ついにお母さんのスマホデビュー♪』テンションあげあげ♪『え?凄いやん!!』と次女がリアクション『5Cやん・・見せて見せて♡』次女も手にとり5Cを見つめながら『お母さんに使えるやろか・・あ、でも、お姉ちゃんが設定してくれてるし・・アプリも入ってる!』妻も『当分なれるまで使い方・・教えてね♪ほんでな・・今日のランチ、タダやってん♪』というので『お姉ちゃんが出したんやろ?』と返すと『ちゃうねん・・向こうの手違いで誕生日用のケーキが違う種類のが来て・・予約ではティラミスの一人用やったらしいけど何故かフルーツのケーキやってA香が、これ違いますけど・・って言ったら手違いでティラミス出来へんかって・・大きなフルーツケーキなんか食べきられへんから私な・・お持ち帰りさせてくださいって言ったら暫くして店長らしき人が来て、ケーキはお持ち帰りできませんが本日のご飲食代金は頂きません。大変、お誕生日の日に不愉快な思いをさせてしまい申し訳ございませんって言って無料♡タダ!!お姉ちゃんと二人で思わずVサインしてしもうたワ』なるほど・・・・上機嫌に輪がかかったわけや・・妻の顔を見てステーキを焼きテーブルに出すと『え?何?このお肉・・私が食べてええの?』『勿論!!(●^o^●)』その日の夕飯は久しぶりの笑顔100点の我が家でした・・次女がボソッと『バイトの給料出るまで待ってね♪ウチもお母さんに気持ちやけど考えてるから♡』私も病気で倒れて以来、心から幸せな1日でございました♪
法律事務所へ相談に行った翌日、妻はいつものように軽自動車に乗りパートに行った。鳥のさえずりで目が覚め妻が用意してくれている朝食を口に運びながら(先生は交通事故と同様、企業が加害者となり病気を誘発させることがあると言ってたけど・・たまたま仕事中に倒れただけやし・・血圧が高かったのも事実で既往症が原因かも・・)と思いながら先生の言ったことを思い出す・・1、過重労働で月80時間以上の残業は既往症を会社が知っていれば尚のこと残業軽減・有給取得などの配慮を会社はしなければならない。2、労災認定=企業の過失とは限らないがタイムカードや健康診断表の記録も重要。3、会社とは、あくまで雇用関係の間柄であって世話になってるのではなく労働提供し、その対価として給与を会社は支払っている関係である。3、裁判は当然の権利。等など・・確かに思い起こせば会社の、やり方や方針は疑問に思うことは多々あったなぁ・・裁判して法廷では、むしろ訴えたことに引け目を感じているのかも・・『訴えやがって!!』と思われることに躊躇してるかも・・会社は勝手に倒れて会社に責任をおしつけて・・と思われることに臆してるのかも・・ネットで労災事故関連を見てみると法律事務所で聞いたことと同じことが書かれてあり『過労死』や『後遺症』でも訴訟も数多く判例も記載されていた・・特に鬱と脳・心臓疾患は多く1カ月あたりの残業が100時間前後で不幸にも亡くなられた方もおられ精神疾患にいたっては自殺・・勿論、慰謝料・損害賠償金額も1億超えの事例もある・・でも遺族にとっては【お金】でかえがたい家族を失っている・・仮に自分に置き換えても多額なお金を貰ったとしても旅行にも行けない・・高級車を購入しても運転も出来ない・・高い服・・高級時計を購入しても身につけていくところもない・・お金なんかより、働いて、家族と旅行して車も運転出来る健康な身体を取り返したい!!もし裁判するなら健康肢体返還請求事件として訴えたい気持ちになってしまった・・友人や知人は仕事を終え居酒屋で、ちょっとイッパイ。が出来る・・・自分には、それすら出来ない・・お酒は禁物・・タバコは15年前に止めたけど酒だけは・・やめたくなかったのに・・もし・・会社の労働によって自分の病気が発症したのであれば・・妻にも心労をかけ娘にも・・だんだん気持ちが(会社の労働環境なのか自分自身なのか・・その真意も・・世間から見て、どうなのか?)はっきりさせたい気持ちが高まってくるのです。弁護士からは労災の後遺症障害等級が金額の目安になること・・身体だけでなく精神も検査が必要なこと、過重労働が立証される証拠書類、会社のキャッシュローや利益・財務体質を確認するようアドバイスはされていました。期間は準備期間も含め1年~2年で概ね決着がつくそうで最終の判決時のみ出頭が必要とのこと・・・夕方、飼い犬が『ワン!』とひと鳴き・・どうやら妻がパート先から帰ってきたようである・・・妻の軽自動車の音を覚えており・・そのまま玄関先へと迎えにいく姿は心を癒される・・『ただいま~♪あーー疲れた・・もう!今日は、ムッチャ忙しかってんで(@_@;)』とブツブツ言いながらリビングで座り込んでしまい『あーー腹立つ!!あんな言い方あらへんやん!!』どうやらキツク叱られた様子・・暫く、妻の愚痴を聞いてあげることにし『コーヒーでも入れようか?』と言いながらキッチンへ行きインスタントコーヒーを作り妻に出すと『ありがと♪・・あーー美味しい♪』と少し笑顔になりながら『お父さんが私にコーヒー入れてくれる時って・・何か話しでもあるんやろ?』さすが20年以上も夫婦やってると察しがいいようで『裁判のことなん?お父さんは迷ってるの?』とヤンワリ・・『正直、迷ってる・・・けど、この身体で家族を守っていくには、かなり難しい・・・』とうつむいて話すと『わかってる♪でも・・割切るしかないんちゃう?今の会社に復職して頑張れるか?頑張れないか・・それで娘達を守れるか?守れないか・・お父さんの気持ちも大事やよ。でも会社は、どこまで考えてくれるやろうか・・先生の言う通り労使関係でしかないし、言うたら悪いけど・・社員旅行費用やおじいちゃんの葬儀・・お父さん、入院しても見舞金もなく仕事、いつ復帰出来るかって・・悔しい・・けど、それが現実なんやったら、こっちかて現実を見せたろうや!!』法律事務所で相談した翌日のことでした・・妻は裁判を望んでいるようでした・・その夜・・法律事務所よりメールが届きました『昨日はありがとうございました』と相談に来たことに対するお礼のみのメール。丁寧な文面でW先生自らのメールで、今後のご連絡は・・・と事務所内の個人アドレスが記載されていました。
退院しケアマネージャーが自宅に来てくれました。男性ですが、とても優しそうで、この仕事がまさに適しているような方です。私は要介護【1】なのですが、この日は自宅内の手摺や風呂場・トイレ、また介護用品等の業者選定と訪問リハビリや介護タクシーをどうするか?等の打ち合わせを行い後日、業者との日程調整をした程度で終了。ケアマネージャーから『○○さん、手帳の申請はされてますか?』というので、退院時に脳外科のドクターに書類は提出してますと答えました・この手帳作成でちょっとした事が後日おきました・・・・ケアマネージャーから行政の障害者に対するサービスや今後の方針など丁寧に説明をうけ、この日は終了・・・