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脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

魂の修行(^^;;私は傲慢。かな?

2016年04月20日 11時50分02秒 | スピリチュアル
人は何回も生まれ変わるそうです(^^)1回の人生で1つの課題を終了することは無いそうです。課題のコンセプトを神様と相談して決済が下されたら?私は自分を見つめ直すと、どうも【傲慢】があって、この短所を、まず気づくのに何回か生まれ変わったきたような気がしてなりません(・・;)その次が【傲慢】な自分を受容して反省するまで何回も生まれ変わるのかな?なんとなく?なんとなくですが今世で受容して反省を漸く出来たように思っているのですが(・・;)人生の30歳から40歳までは前世を辿るそうです。もちろん人にもよりけり?だそうですが私は50前半までかかったようで挙句は脳出血までしないと、しっかりと【気付き】が出来なかったような気がします(・・;)なんとも未熟な魂であろうかと(・・;)もし?脳出血を嘆き、自分一人が不幸と思ってしまったら?再発とか、また別の病気をしているかも知れません。神様は【気付く】まで何度も何度も私の魂にノックをし、その叩くチカラや音は強く、大きくなるのでしょうね(^^;;脳出血を境に私は【気付き】から自然と反省をし、その結果として自然と感謝の気持ちが出てくるようになりました。でも?ここで【傲慢】な心を無くすことにはなりません。この課題の克服は、反省と感謝のあと、私が、どのように行動していくか?がおそらく、今世の余生から来世以降に、やり遂げないといけない修行かな?と思う今日この頃です。

リハビリ初日(・・;)

2016年04月20日 09時24分10秒 | 急性期入院日記
脳出血を起こし救急搬送された病院は発症後、1か月をリハビリと治療を受け持つそうで、この時期を急性期と言うそうです(^^;;そして2か月目から転院し回復期と言われ約5か月に渡りリハビリを行なうのです(^^;;急性期での理学療法は主に座る、立つ、平行棒を使っての歩行訓練、後半は4本足付な杖歩行。またベッドから車椅子への移動練習、作業療法は掴む、離す(^^;;いわゆるジャンケンのグーとパーの繰り返しとか机の上に三角のコーン型の物を1つ1つ重ねたり、仰向けになって麻痺側の腕の運動とか(^^;;作業療法より理学療法の方が体力勝負でした(・・;)平行棒は約4メートルあり、そこを往復するのですが、たかが4メートルですが、とにかく進みません(・・;)あ、その前にリハビリ室でのリハビリ初日は座る、立つの練習でしたが座れないのです。隣りに理学療法士の先生が座ってくれるのですが、なんとか横に座った私を先生が安定させて『じや、Yさん!手を離しますよ(^^)
』先生が手を離し私の隣りから離れた途端、私は座っていられず、そのまま横に倒れていくのです。先生が思わず支えてくれたのを今でも覚えていますが『う~ん、やはり無理でしたね。、はいじゃ、平行棒へ移りましょう!』平行棒の前に車椅子を移動され私は平行棒を掴みながら立とうとするのですが?あれ!身体が?『う~ん、わかりました。では、こちらのベッドへ行きましょう』ベッドに寝かされ足の屈伸、腕の屈伸など行い初日は終了したのです(^^;;

魂の修行って?(o^^o)

2016年04月20日 08時26分51秒 | スピリチュアル
人間は生まれてくる前に親を選んでくると言われます。魂の成熟度に応じて、この世での試練や課題の難易度が違い、まだ幼少期の魂は無難な人生コースを選びカルマの解消も含めた修行をするそうです。例えば家族環境も、そこそこ良く経済的に金持ちではなくとも不自由なく生活が出来て大学もエスカレーター式(^^;;就職も親のコネ(^^;;とか、かたやビンボーな家庭に生まれバイトのお金も家計の助けをし、大学進学も、経済的に断念、そこをスタート台に社会は飛び出す。大きな格差が生まれます。人は死んだら終わりと思えばビンボーな家庭に生まれた時分の不運を嘆くことでしょう。でも?魂は輪廻しビンボーは自分が課した試練だ!魂が成長していくための途上だ(^^;;そして不自由なく生きてる温室育ちの魂にも、いつか、今の自分と同じ環境で修行しなければならなくなるんだ!温室育ちの魂に、ビンボーな環境での修行を耐えられるだけのものが無い(^^;;そう考えると神様は公平かつ平等に魂へ試練を与えているのかな?病気も同じかも?不摂生しても大病せず人生を終える人、不摂生してなかても大病する人、病気も、この世の修行かな?病気になったとき、何故?自分が?といつまでも嘆き悲しみ、時には恨み(・・;)家族や看護師へやつ当たる人は、課題をクリアできてないのかな?病気を受け入れ人の優しさに感謝したり、これまでの自分を反省したり、前向きに考え、むしろ気づかせてくれた病気に感謝できれば合格?病気に耐えられる魂か?どうか?試されるレベルまで来た魂となったわけで(^^;;勿論、軽い病気ではないのは言うまでもありません。でも、病気になった人は、それまでの人生で何度も気付かさせる出来事が、あったにも関わらす、それに気づかない程、カルマを産んできたからかも知れません(・・;)産まれた時から障害を持った人は、人間として、魂の修行をするのは最終段階と聞いた事があります。かなりの苦行でさものね。自分の魂の成熟度はまだまだ青い段階なのかなぁ、と思う今日このごろです(o^^o)