脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 娘の変化

2014年08月11日 13時10分54秒 | 拒食症との戦い
長女が拒食症になり私達夫婦は気持ちがやすまる日がありませんでした・・毎朝『胸が痛い・・』そう言い自力でバイクすら乗れなくなっていたのです。いつからって?そんな時期など覚えていません。天王寺での乗り換えで階段うぃ上がることすら出来ないのです。学校の担任のことえお『りょうちゃん先生』そう娘は呼んでいました。ある日の朝・・いつものように息を切らせながら苦痛の表情で胸に手を当てる娘に・・もう・・なすすべもありません・・病院にも行かず・・ある程度の時間を経過すると症状が治まり朝食・・といっても野菜サラダにキウイ・・いちご・・バナナしか口にしません(ほんの1年前には当時、バイト先の飲食店から巻きずしやら持って帰りパクパク食べて笑顔で美味しい!!と言ってたのに)そう思うと妻も私も目に涙があふれてくるのです。先日、りょうちゃん先生から必要出席日数の連絡を受け私が車で大阪の学校へ送る日でした。学校では担任もクラスメートも娘の病気を知っており、とても優しく・・配慮もしてもらい助かっていました。秋も終わりにさしかかったころ娘は首にマフラー・・ブラウスの上にカーディガンを着て学生服・・スカートからは牛蒡のような足が・・・妻に聞くと毛糸のパンツにタイツを2枚重ねてると・・真冬・・いや、それ以上の厚着をしても娘は『寒い』のです。授業中にはひざ掛けを机の下に忍ばせているのですが学校の規則で本当は駄目なのです。毛糸のパンツは防寒と椅子に座っていると骨が椅子の表面にあたり痛いので、その防止も兼ねています・椅子には座布団も敷いているのですが・・(一体・・A香の体重は何キロなんやろ?)たぶん・・40キロを切ったのでしょう・・この時、本人は毎日、2階の部屋で体重を測り姿見に自分を写し”まだ太っている””そんな事を考えていたのだと思います。支度が整い長女と車に乗り込みエンジンをかけました。bruu♪ 午前6:00・・自宅を出て約1時間ほどで学校に着くのですが、この時間を過ぎて自宅を出ると阪神高速の渋滞に巻き込まれるので早めに出ないといけません。高速道路を快適に走っていると遠くの景色が目に入って、まもなく、やってくる冬を物語る少し寂しい秋の空が肌寒さを感じさせてるのでした。阪神高速を下り学校の正門に着くと黙ってドアを開け車から長女は下りました・・こちらを振り返ることもなく校舎へと消えていく娘を目で追いつつ(こんな風にしたんは俺や!)結局、娘は一言も話すことがありませんでした。そういえば9月1日から長女と全く会話がなかったのです・・帰りの車中・・娘が生まれた頃から今日までのことを思い出し家族が笑顔で暮らしていた頃が懐かしく・・(なんで?なんでや?)そう繰り返すだけでした。そして長女の行動が大きく変化していくのでした。
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