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旅人を魅了して止まない沖縄

ウチナーンチュ、日本人

2016-10-31 01:35:38 | 人の心

 

                      ウチナーンチュ、日本人

 

  NPO団体のガイド活動をやっているtiger60は、先週ウチナーンチュ大会で里帰りしている北米3世をガイド案内することになった。ガイド依頼のいきさつは、前夜ハーバービューホテルで開かれたナーファンチュの歓迎会で我がNPOガイドサービスのパンフレットを配った、500人の那覇市出身者がいた。

翌日の朝、10時にこちらの携帯が鳴る、男性が英語で事務所の前下に来ているが、ガイドサービスを受けたいがとのこと。土曜日は事務所は休みなので、1時間待ってもらい合流した。携帯で場所を聞いたら、元三越横丁のむつみ食堂、イナムドチ定食を美味しいそうに食べている。昔、母(2世)が作ってくれたのが美味しかったと、懐かしさをかみしめていた。

年は70才、明るくよく話す、3世なら日本語でも簡単な挨拶くらいだろうと思っていたが、日本語がすごく上手い、ウチナーンチュよりも上手いのではと思うくらいだ。漢字の読み書きも完璧に日本人と同じ。

経歴は、建設業をやって引退したが、今でも顧問としてやっているとのこと。建設、開発、不動産業などを手広く経営している。

一緒に昼食を食べながら、いろいろ話したら琉球の歴史と文化に興味があるとのこと。かなり勉強家だ、いろんなことを知っている。これだと案内しがいがある。知り合いの初老の女性が参加した(地元在)、長年の友達である。押し花の研究家で多くの作品で賞を取った方のようだ。3世のポール氏にとっては故郷のお母さんという位置づけだ、本人のお母さんは北米で亡くなっている。ガイドコースは牧志、安里、崇元寺コース、ポール氏は歴史に興味があり、地味なコースを選んだ。観光客がよく行く首里城や市場などは過去に行ったそうだ。

牧志公園で御嶽の説明と沖縄角力相撲を説明すると興味深げに聞いていた。東之御嶽の呼び名から、東をあがり、西をいり、南をふぇ、北をにしと呼ぶと説明すると目を輝かして聞いていた。沖縄角力が日本の相撲と違うルールがあることも驚くだった。

さらに進み、浮繩御嶽と安里大親の住まい跡の祠の説明をすると、安里大親が果たした、琉球の第二尚氏誕生の逸話までの説明が必要だった、ポール氏はますます目を輝かせて聞いていた。

崇元寺では、歴代の王達の眠った聖廟の神聖な場所だったことを知り、感銘を受けたようだ。元々が建築屋なので石門の造りをみて理解していた。大きなガジュマルの大木とクワデーサーの木の由来を説明すると、沖縄の植物から民衆の生活風習が理解出来たようだ。

彼が言った、先祖(曾祖母の生まれた)沖縄はこんなに立派な歴史、文化、風俗があった素晴らしい土地なんだと再発見したようだ。tiger60も嬉しかった、ガイドを通して里帰りのお手伝いが出来たことに満足して。

ポール氏とはかなり気が合う、初対面なのに何十年来の友達のような感覚なのだ、彼も同じように感じているようだ。

いちゃりば、チョウで―!とはよく言ったものだと感銘した。

父方は具志川市、母方は首里の出身と聞く。3世にしてはめずらしく、日本語も徹底的に教えられたので、我々と全く変わらない。仏教の有名な空海や西澄などこともいっぱい知っている、生け花もある流派に所属して埼玉の本部まで行くそうだ。

沖縄と経済交流を進めており、12月に商用で再来沖の予定、またの再会を約束して別れた。

清々しい風に出会った爽快感が残った、また会いたくなる人物だ。生い立ちや青年期の話し、孫の話し、奥様の話し、男のロマンの話し、北米にある慰安婦像のこと、日本人と韓国人とのあり方など、また今までの沖縄、これからの沖縄といっぱい話した。

初対面でも、ここまで話せばすべて互いに分かる、理解出来る、相手が何者か、どんなバックボーンなのかが分かるのだ。

今後は、メールでやり取りをして友達になろうと約束、握手して別れた。

tiger60

人はどこに住もうと育とうと基本は変わらないと分かった。互いに理解し得る友達が出来るたことが嬉しい。

人生まだまだ楽しい出会いがあるようだ。

ちなみに、ポール氏は生まれ育ちはハワイである、現在住んでいるのがバージニア州である、奥様も日系3世だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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