魅惑の島 沖縄を知り楽しむ

沖縄を知り楽しむ。
魅惑の島 沖縄。歴史、文化、亜熱帯の気候が織り成す独特な空気。
旅人を魅了して止まない沖縄

琉球の名前

2015-11-29 03:13:22 | 名前や身分

  

 

                   琉球の名前

 

琉球の名前を話してみます。

昨今はあまり昔の名前を聞かないが、沖縄芝居などでは登場する琉球独特の名前がある。ブロガ

ーの皆様も中高年の世代ならよく目にしたり聞いたりしたはずです。

王族や士族には苗字と名前はあったが、平民には名前だけで苗字が無かったのです。平民に苗字

が与えられたのは明治政府が廃藩置県を敷くようになってから、自分の好みの苗字をつけたそう

す。士族である町方の人達は派遣された場所や拝領したり、治めていた場所の名前を苗字とし

使っていました。その勤務地や治めていた場所が変わったら苗字も変わったのです。いつまで

も同じ苗字を使っていたわけではないのです。

鶴(チルー)は平民  真鶴(マズルー)は士族

三朗(サンルー)は平民 真三朗(マサンルー)は士族

その他上げれば数え切れないほどある。

士族も平民も童名はあった、昔の生活共同形態は一族や門中で一つの集落に住むものでした。

同じ場所で同じ名前があると、不都合なので童名の前に屋号をつけて区分けしていたそうです。

門中墓が有名ですが、首里・那覇の町方では家族の単独墓でした。門中墓は田舎の百姓が一族朗

党で入る墓を構えたものです。今の沖縄県民でも門中墓が首里王府・士族が持っていたと勘違い

している方が多いですね。苗字の無い童名だけの平民は明治政府からの通達で苗字を作って届け

よとの指示で苗字を作くりました。琉球王府のシンボルである大城(ウフグシク)や金城(カネ

グシク)の名前を使うことは王府が支配しているときには、恐れ多くも使うことはご法度だった

が、時代が変わり王府の権限が無くなったのです。だから王府に遠慮することなく首里の王族

同じ名前を使うことにしたようです。元の士族なら絶対使わない名前です。そのような背景から

城の字が入る苗字は平民の出だと分かるのです。士族階級は苗字と共に、名前の頭に同じ漢字が

つく者は同じ一族でした。苗字が変われど同じ血族なのです。これを名乗り頭と呼びます。この

字でどこそこの出目か、一族か、門中かが分かります。図書館にはこれらの文献があり、簡単に

自分の先祖探しが出来ます。また同じ門中や系統には氏名があります。この氏名が分かれば先祖

がどこか、誰か、過去にどんな先祖達がいたか、現在どんな同じ地を引く子孫がいるかがわかり

ます。苗字は違えど名乗り頭と氏名が分かれば自分の同胞が分かります。琉球王府が記録した文

献には、いつの時代の誰々がどのような功績があったとか、どのような役職で何をしたか、ま

たはどんな悪いことをして処罰を受けたかも記録があります。先祖の生きたすべてがあります。

すべてが残ることは凄いことでもあり、ある意味怖いことであるかも知れませんね。子々孫々受

け継ぐことになりますね。今の時代の記録も後世の人達が見て分かるように残るように社会のシ

ステムが作られている。すべてが明るみに。

沖縄の先人達は言いました、「誠の道意外にはない」。先人達が生きてきて得た教訓ですね。

tiger60

今日のブログは沖縄の名前からいろいろなものに飛んでしまいました。過去を知り今を知り未来に向かう。私達人間は意外にも昔も今も変わらないものかも知れないと最近思います。時代は変われどやっていることの本質は同じだはずです。ブロガーの皆様はどうお考えでしょうか?いろいろな意見をコメントでだして頂ければブログが賑やかになり嬉しいかぎりです。よろしく。