魅惑の島 沖縄を知り楽しむ

沖縄を知り楽しむ。
魅惑の島 沖縄。歴史、文化、亜熱帯の気候が織り成す独特な空気。
旅人を魅了して止まない沖縄

みんなが主役

2015-12-30 06:49:05 | 沖縄社会

 

 

 

                     みんなが主役

 

年末には忘年会が開かれるのでブロガーの皆様もいろいろな会に参加して忙しい年末を送られていると思います。tiger60も那覇市のある団体の忘年慰労会があり進行を

任された。進行の仕方はみんなが主役にした。形だけは何々挨拶、乾杯音頭や来賓の挨拶などを設けたが、各自紹介で言いたいことを話してもらったら、好評でした。各々が自分が主

役のスピーチをして笑いの連続で楽しく終われた、硬いだけの雰囲気が和んで参加者同士の距離が急速にちじまった。まだ話し足りない面々が多かったことは、全員の満足度が高いと

分かった。進行するこちらとしては成功裏に終わり安堵感でいっぱいだった。今年の締めくくりが良い形で出来たことに、良かったと思いました。

みんなが主役のテーマで沖縄の歴史を語ってみたいと思います。

沖縄では、三山時代、琉球王府時代、明治の廃藩置県時代、戦前時代、米軍統治時代、復帰以後時代の時代が変転している。ここに沖縄の歴史や諸問題の根源があるように思う。

 

三山時代はどうだったのか?

地域の腕力のある按司が台頭して勝手に支配地を作った、三ヶ所に勢力が分かれてしばらく体制が進んだのが三山時代と云われる。

この時代は強いものが弱いものを凌駕する弱肉強食の時代である。強引な主役の按司が弱い者を従わせる憐れな体制が長く続くはずはなかった。アジアの連主の中国との貿易で

儲けた時代で琉球かいびゃくの時代でもあった。日本の支配を受けない自由な体制でもあったが、支配者と被支配者がはっきり区別されていたと言える。

 

琉球王府時代はどうだったのか?

この頃になると支配の体制がしっかりしたものになったが、以前として支配される側は苦労が耐えない体制だった。むしろ支配の力と束縛感が強まったものである。この頃になり薩摩

や日本の権力側からの圧力が強くなったが、以前として弱い立場の住民は憐れな環境に置かれたのである。この時代に今で言う、琉球王府の文化、交流、発展の基礎が出来たとも

言える。中国、日本どころか米国の圧力が強まり、米海軍のペリー艦隊が琉球に数度来航してきて、琉球の開国と友好修好条約を結ぶように求められたものである。

 

明治の廃藩置県時代はどうだったのか?

日本は琉球に日本の一県となるように求めた、数年ほど体制を維持したい琉球王府は抵抗した、中国の力を借りて抵抗しようとしたが肝心な中国は力が落ちていて国の存続さえも危

ぶむ状態だった。ならば琉球王府もこれ以上抵抗出来ないと観念して日本の一県となった。琉球住民が日本語を習い始めたのがこの明治廃藩置県からであった。このことは2千年の

日本語を使ってきた本土の一般的な日本人との違いや格差が生じる原因である。学校で日本語教育で教えているが、長年の歴史の重みからくるものには勝てないのである。何かが

違うのである。沖縄県の学力の向上の問題がここにあると考える。明治なり日本の価値感や基準と向き合う沖縄県民、日露戦争、日清戦争、世界大恐慌、太平洋戦争、敗戦と兵役

の義務や戦争の犠牲にも日本国民として向き合った時代ではあった。ではこの先の琉球王府時代と比べて明治の体制は沖縄住民にとってはどうだったか?

奴隷制度、状態から抜け出せたと言える。絶大な権力を振るった支配階級が無くなり自由になった訳である。一般平民は名前だけしかなかった王府時代よりも姓名が出来たことが嬉

しかったはずです。土地開放が進み自分の土地も持てたのだから、奴隷解放どころか体制開放だった。

 

米軍施政権下時代はどうだったのか?

今の沖縄で問題になっているのはこの米軍施政権下にあったことである。ではこの先の明治から太平洋戦争終了までの時代と比べてどうだろうか?これも戦前の生活状態よりは向

上したのである。我々沖縄県民があまり気がついていないことであるが、戦前の芋、裸足の時代から戦後は異民族の米軍施政権下とはいえ、生活の向上はしたのは確かである。公

衆衛生面では他府県よりも沖縄が進んでいた、徹底したアメリカの公衆衛生の思想の教育を受けたのが幸いした。異民族の支配だったからと、東欧や中国のチベット政策のような

がんじがらめの抑圧ではなかったのだ。沖縄県民もそんな環境に置かれて、民主主義とは戦い取るものだと学んだ。昨今の状況は過去の米軍の支配下ではすべてが悪かったと云う

風潮があるがプラスもマイナスも見なければならないと考える。言えることは戦前の時代よりは自由で生活の向上が出来た次代だったのではと思う。

 

復帰後の今の時代はどうなんだろう?

復帰して良くなったのは道路である。生活も戦後の高度成長を日本の国と共に歩みその甘味を体験した。情報の自由、国民としての権利がある。ある米軍施政権下に米軍人として沖

縄に駐留していた将校が40年ぶりに沖縄を訪れた、彼は沖縄の発展した変わりように驚いた、「我々は沖縄で何をやったのか、今のこの発展ぶりを見て我ながら恥ずかしく思う」と

言った。その元将校にとっては、「アメリカこそがナンバーワン!」と信じてきたのが根底から覆ったのだ。それくらい日本の国の底力が凄かったのだ。沖縄は中国、アメリカ、日本の良

いところを取り入れてきた、そのことが沖縄が沖縄たる存在の理由であると考える。

みんなが主役のテーマに戻る、いろいろな時代を通してみんなが主役だっただろうかと振り返ると、そうではなかった。主役は権力者だった、その他大勢の大衆は召使か奴隷と同じ

だった長い期間があったのは確かである。みんなが主役の時代の今、我々は生活を桜花していると言える。いい時代だと思う。

昨今のtiger60の家庭ではみんなが主役だろうかと考えてみた、主役は私ではなくなったことに気がついた。山の神が主役になっているのだ、驚きだ。長年の少しずつそのように慣ら

されてきたふしがあるが分からなかった。皆さんはどうでしょか?まさか主役の座を追われただけではなく、奴隷か召使の身に甘んじてはいないでしょうか(笑)!くれぐれもお気をつけ

て。静かなるクーデターにあって身も体もガンジガラメに成りませぬように共に祈りましょう。

アートゥト ウートゥト......助けてたぼれニラィカナイの神様よ!

 

tiger60

今年最後のブログの書き込みでした。真面目に話すつもりが最後はおかしくなりました、それも善しとしましょう。今年のマブヤーを落としたことを来年まで引きずらぬようにがんばりま

しょう。来年が良き年になりますよう祈念しております。 感謝、二フェーデービル、サンキュウ、謝々、シパシーバ、グラッチェ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


熟年旅行

2015-12-19 08:27:28 | 休暇の過ごし方

 

 

 

                       熟年旅行

 糸満市の観光案内をすることになった関東からの熟年夫婦に出会った。糸満市にあるサザンビーチ

ホテルに5泊しているとのこと。沖縄にはこれで7回目というれっきとしたリピィーターである、沖

縄の観光経済に大いに貢献していただいている貴重なお客さまである。何回も沖縄に来ているが那

覇市や首里城、チュラ海水族館、那覇の公設市場などを何度も歩き、見慣れたのか感動が薄れた

のか知らないが、初めて南部の糸満市に宿泊したとのこと。悲しいかな、遊び慣れていない熟年夫

婦がホテルから出ることもなく3日間ずっとホテルの部屋から東シナ海の海と空を眺めていたそう

です。初日は沖縄の海と空の美しさに感動していたが、さすがに3日目になると退屈に感じてき

た。予定も立ててないのでどこにも行き様がないところに、ホテルのインフォメーションで聞いた

のが南部観光でした、早速糸満観光協会傘下の観光案内所に来られてtiger60が南部を案内するこ

とになった。ミニバスで喜屋武岬、具志川城跡へ回り真壁チナーで昼食、午後は沖縄平和祈念公園

への案内となった。初めて見る南部の風景に感動と異文化の沖縄の住いなどを見て喜んでもらっ

た。

上海旅行

数年前、中国の上海に旅したことがある。二泊3日のミステリーツアーだった。tiger60は若い時

から旅行が好きで海外に行っても一人でその国の街をぶらつくのが好きである。自分がそんな感覚

なので、他の人達もそうだと思った。同じグループになったA夫妻や姉妹二人が夜の上海市内の賑

やかな場所に出て行きショッピングや街や人々の様子を見たいが、怖くてホテルから出ることが出

来ないと言う。tiger60が外に遊びに行くと言ったら一緒に連れていってとお願いされた。楽しい

夜の散策となった。人数が多いのでタクシーに分乗して目的地に向かったが後ろのタクシーが無事

について来るか心配だったがなんとか合流した。A夫婦、聞けばこの同じツアーに4度目だと言

う、毎回夜は夫婦でホテルにいたと言う。知らない土地で夜出歩くと怖いからとのこと。非常に

もったいないと思った。だがtiger60だけがそう考えるだけで、やはり自分が怖さ知らずの無鉄砲

な奴なのかと自問自答した。同行したみんなは買い物で値段を値切ったり、安いお土産品、旅行社

の添乗員がマージンをパクッテいない正規の値段で買い物出来たので、その安さに驚いていた。観

光バスに連れていく店は高い、自分で街中の店に飛び込み、全く同じ品物を見たら超安いのであ

る。そんなものだとは分かっているが、あらためてびっくりするやら呆れるやら。

みんな楽しい時間を過ごして上海の夜を満喫してホテルに無事に帰った次第でした。

 

tiger60

他所の土地や国に行くことは最大の気分転換でもある。日常の生活から離れて違う空気、食べ物、

人々に会う好奇心を刺激するのが旅の良さではないでしょか。私達日本人は安全主義なのか遊び下

手なのか分からぬが、旅行に行きたいと切望するがいざ行くと二の足を踏んで行動出来ないことが

多い。ただ無鉄砲に危険な場所や時間帯に出歩くのは良くないですね。事故や事件に巻き込まれた

ら命そのものが脅かされます。遠い所や外国に行くだけが旅行でない、近くでも新しい発見が出来

る所は沢山あると思います。ブロガーの皆さんの身近にもあるはずです。小さな発見を楽しみま

しょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本人として生きる

2015-12-13 20:54:39 | 日本人

      

        

                  日本人として生きる 

沖縄県民は日本人である、当然のことであるが敢えて話してみたい。

私達、ウチナーンチュが日本人となったのはいつだっただろうかと考えてみた、面白いことです

ね。日本人として生きているのに日本人となったのはいつだろうと考えるなんて、おかしいとおも

いますよね。明治になる廃藩置県の時が日本人になった時ですね。それまでは琉球王府の人民だっ

たのは歴史が語っている。

明治になり、国作りと県の始まりで混沌とした時代もあったようだが、太平洋戦争の敗北まで日本

人であったが、日本の敗戦と共に米国政府の管理下、米軍政府の施政権下に置かれたのが1950年頃

から、1972年の祖国復帰まででした。その米軍政府下の間は琉球住民として、国際的に訳の分から

ぬ不安定な国籍のような身分でした。当時、沖縄から漁船が南洋まで漁の為出かけて海上で操業し

ていると南洋の諸国の政府の警備艇が琉球の旗を認識することが出来ない、国際的に認知度が無い

状態だったので、不審船との判断で機銃掃射を浴びたものでした、漁船が攻撃されて漁船員が負傷

する事態まで起きました。施政管理する米軍政府は琉球の旗と日の丸の旗を掲げることを許可した

ので、日本の船籍との認識の下、不審船扱いが無くなり安全操業が出来たそうです。

沖縄県民は復帰前は、東京や大阪の他府県に行く場合は、パスポートを持ち出国手続きをして、大

阪、東京の港でパスポートを提示して入管手続きをしたものです。使用する通貨は米国ドルでした

。沖縄は外国扱いだったので本土への行き来する際は、外国ウィスキーをカバンの底に隠して東京

などで高い値段で買い取ってもらったものです。当時の日本は、外国のウィスキーに人気があり引

く手あまたで取り引きされていました。沖縄では米軍の布令により、米軍人、軍属の権利が琉球住

民より優先権があり、事件、交通事故、争いなどすべてにおいて米軍最優先の時代でした。その時

日本に帰ろう、日本に戻ろうとする運動が起きました。祖国復帰運動でした。日本人として権利が

ない状態から日本人に戻りたいとの渇望は止めることが出来ないことでした。日本の日の丸の国旗

を家々に立てて祖国への復帰を願望したものです。その悲願が叶った1972年、昭和47年5月15日に

復帰をしました。あのころの県民は復帰の喜びと歓喜と期待や不安が入り混じっていたが、みんな

が同じ方向を見つめて、「さぁ、今からだぞ」との思いを胸に希望を持っていました。

今、どうなんだろう?

昨今の沖縄の状況をみると、日本人に戻り40年余が経ち、落ち着いたのか日本人から別の何かにな

ろう、変われるなら変わろうみたいな心境になっている人達が一部にいることは確かである。明治

政府から120年余、沖縄にもいろいろあった、日本の一県としての歩みもあった、日本の国全体と

同じ思いで共有してきたこともあった。なのになぜ今、日本人の反対の方向に揺れているのだろう

との思いがある。沖縄県民よ、どこに行くと問いたい。そんな人達が幻想を見ているのは中国であ

る、琉球と中国との付き合い、交流で積み上げた文化の影響などがあることが影響しているよう

だ。昔の偉大で寛大で親切な中国人と今の中国人は違うことが見えていないのではと思う。とても

心配しているtiger60です。我々沖縄県民は今さら、中国人にはなれなのだ、今さら独立の道を選ん

でもイバラノの道が待っているだけだ。今沖縄が割れていることは事実であるが、大人の判断をし

てほしいと願うtiger60です。

tiger60

しばらくぶりに沖縄の世論の気になることを書いてみた、あまり政治や世間のことに触れたくない

思いからブログに書くのを控ええていた。しばらくは動静を見守りたい思いである、ブロガーの皆

さんはどうでしょうか?