魅惑の島 沖縄を知り楽しむ

沖縄を知り楽しむ。
魅惑の島 沖縄。歴史、文化、亜熱帯の気候が織り成す独特な空気。
旅人を魅了して止まない沖縄

ごぶさた、あれこれ雑感

2021-10-04 09:30:07 | 記憶の彼方

ごぶさた、あれこれ雑感

 

 

   

   

 

 

 

今年5月以来の更新です。

しばらくの間、世の中でいろいろなことが起きた。

コロナ、いつか終わるのかとメドがないまま感染者と死者が増えた。沖縄、日本、世界中がコロナの恐怖に怯えた。まだ完全に治まっていないが一時期の悪い状態は無いようだ。ワクチン接種率が上がってくると感染率も落ちてきた、効果はあると信じる。我が身の周辺には感染者はいないが知人の知り合いに感染者が出て、聞くと悲惨な状態だそうだ。死者は家族にも会えず病院から火葬場へ運ばれる、人生の最後にしては惨めな締めくくりである。

台湾・中国関係が危ない状態、日本とりわけ尖閣に関わる状態になるのは明らかである。米国と同盟🈘や日本、インドなどが協力して阻止しようとしている。戦火を交える前に民主主義同盟国が中国を牽制して台湾進攻をあきらめさせるようにしなければならない。台湾が侵攻されるのを見過ごすことは世界の民主主義国が中国に脅威にひれ伏すことを意味する、是が非でも阻止しなければならない。

日本の総理大臣が変わった。

民主主義を掲げる政権が国政を握った。国民の大半は媚中の候補がならなくて安堵している。

過去の歴史も表に伝わるストーリーは逆説が殆ど、美談、正統派として歴史に名を遺す人物でも国賊であつたりする。歴史を逆に見たほうが真実が見える。

共産主義者のマルクスはロスチャイルド家の血筋である、依って革命の資金はロスチャイルド家が出している。有名なキューリー夫人もロスチャイルド家の血筋。日本に開国を要求して日本に艦隊で寄港した米国太平洋艦隊司令官ペリーもロスチャイルド家の血筋である。

第二次世界大戦時、ドイツのヒットラーに資金を出したのは誰かご存知だろうか?

答えはびっくり、ブッシュ大統領の祖父である。ユダヤ人強制収容所の運営株主でもあった。

黒人解放したリンカーン大統領は黒人の人権を守る為に南北戦争までして黒人解放をしたのではない。

ユダヤ勢力に牛耳られていた米国政府のドル紙幣発行を米国政府が発行すると揉めた、教育も受けてない粗暴な黒人を刑務所から免罪釈放して世の中を荒らして白人世界を混乱に陥れるのが目的だった。のちの世、ケネディ大統領はドル通貨の米国政府発行にしようとして暗殺された。

リンカーン大統領の父親はリンカーン商会という雑貨商を経営していた、店の看板に黒人奴隷売りますとあった。リンカーン大統領自身も黒人女を数名囲っていた、自身の金歯も黒人から取ったもので金歯を作って使用していた。結果、リンカーンは撃たれた、ドル発行もユダヤ勢力が握ったままになった。。南北戦争が終わり余った中古の銃を長崎の  商会が坂本龍馬に資金を貸して銃を買わせた。坂本は倒幕派に売り儲けた、それだけでは終わらなかった。坂本は別の同じ銃を幕府側にも売った。

敵と味方の双方に銃を売ったのだ。莫大な利益を手にした坂本は紀州藩の船に意図的に衝突させて賠償金を取った。これでは泥棒である、悪質な武器商人である。こんな人間が英雄だと思っていたのが大半の国民である。

みなさん、これで歴史を信じてはならないことがご理解いただけましたか?

tiger60

しばらくぶりの更新に心ワクワクして書き込みました。

世界の歴史も日本の歴史も琉球の歴史も裏から見た方が真実が見えることがあります。

美談であるフランス革命も疑惑がいっぱいですね。

また興味ある更新をやります。時期未定。

 

のちの世、ケネディ大統領もドル通貨の米国政府発行にしようとして暗殺された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中年息子を叩いた母親の愛

2020-11-28 17:05:08 | 記憶の彼方

         中年息子を叩いた母親の愛

 

ブログ更新、なまけていました。

tiger60の近況、

妻が昨年足を骨折して家で療養しているが、最近具合が悪くなり、妻の介助をする日々である。その妻を車椅子に乗せて広島の宮島へ行った。長年の夢だったので無理をおして行った。無事に帰ってこれたのが不思議なようだ。

久しぶりに投稿する。

コロナ禍の沖縄、人口も島の規模も大きくないのに、コロナ感染率は全国3~4位となっている。総数ではゆずるが、人口10万人単位にすると全国1である、不名誉な1位である。飲酒運転、学歴差もダントツの沖縄でコロナも最悪である。これでは笑いものにしかならない。理由はいろいろ挙げられるが沖縄県民にその原因があるようでならない。何かが間違っている、その何かがまだ分からない。ノー天気な県民性がそうさせるのかなのか日々、自問自答している。他府県の低い感染率を見るのがうらめしい時がある。

本題のテーマに入ります。

テーマは 「中年息子を叩いた母親の愛」、

なんとも不可解なテーマと思われるだろう。

実は我が父親と祖母のことである。

時は戦後、昭和30年初期、事業をしていた父は付き合いで毎夜酒の席に出たものです。子供も数名出来てまだ小さい頃だった。気の緩みからか朝帰りした。

当時は現代のようにホテルやカーモーテルなどがなく旅館が飲み屋で宿泊所であった。数度朝帰りして我慢していた母も父の母(祖母)に愚痴った。

祖母は我が屋に泊に来て孫たちと会うのが楽しみでした。知らんふりして我が家に来て泊まる、案の状、夜になっても父は帰って来ない。朝方まで待っても帰って来ない。祖母は意を決して旅館まで行き、外の玄関で待ち伏せした。

のんきな父は眠たい顔をして旅館から出て来た。

祖母は現場を押さえた、怒心頭に達して持っている黒いらん傘で息子を数度したたかな勢いで叩いた。急襲された父は訳も分からず打たれて、

祖母曰く 「子供も小さいのに嫁も頑張っているのに、よくも浮気をしたな」

と言いながら再度数回傘でしばかれたそうです。父は痛さを我慢してなすすべもなかったそうです。

実は祖母と母は近い親族である、小さい頃から可愛がっていて祖母、祖父の薦めで結婚したのだ。自分の産んだ息子が嫁を苦しめているのは耐えられなかったようだ。

血筋でなくとも人の道に外れているから祖母は叩いたである。

女は強し、母は強し、怖い(笑)。

祖母、あっぱれである

それ以来、父も懲りて真面目な家庭人となったようだ。

後で父曰く、叩かれた時、とても痛かった。自分の母親に叩かれるとは想像もしていない、心の準備もしていない無防備状態だったそうだ。

祖母は明治後期に生まれて祖父と一生を添い遂げた。我が家、一族の尊敬の対象だった。母も留飲が下がったのでは思う。母も父より長生きして88才で人生を閉じた。

先祖もいろいろな道を歩んできたと思う、それぞれが苦労して頑張り未来永劫に子孫達が幸せであれとの思いで人生を閉じていく。

今我々が生きているのも先祖達が懸命に生きてきたお陰である。

 

tiger60

しばらくぶりの投稿、気持ちの重しが取れたようだ。

今は観光関係の仕事も現役を降り、時々助言しに行くくらいの状態。

病弱になった妻の世話や家のさまざまなことをやっている。心が落ち着き穏やかな生活が送れることに感謝する日々でもある。

今年は夫婦とも70才、これからはいかに穏やかに心楽しく過ごすか考えている。

日々感謝!