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昔の記憶 青年時代

2017-07-28 21:01:11 | 米国人

 

      昔の記憶 青年時代

 

 私もシルバーと呼ばれる年齢になった。最近若い時のことをよく思い出す。

昨日のごとく鮮明な画像で残っていることもある。

時は沖縄が祖国復帰(1972年)する以前、1967年頃だった。

まだ学生だった私は英語が好きで、米兵の友達が沢山いた。毎晩彼らのおごりで基地の中のクラブで飲んだり食べたりさせてもらった。よく基地外の外人バーにも繰り出したものだ。時はベトナムが激しい戦闘に突入する直前で、アメリカは徴兵制を敷き、多くの若者が沖縄に送られてきた。沖縄の北部訓練場でしばらく野戦訓練をして那覇軍港から大きな軍艦でベトナムに出航して行ったものだ。

ベトナムに送られて生きて帰る保証がない彼らは酒と女と麻薬に走った。沖縄の外人相手の飲み屋が繁盛したのは、米兵のヤケノヤンパチで金を湯水のように使うから儲けたのだ。どうせ死ぬかもしれないから、お金を持っていても意味がない、使ってしまえとなる。米兵のほとんどが18才になって、高校を卒業したら徴兵で来るのだ。

年齢も私と同じくらい、彼らの苦しみを理解していたがどうすることも出来ない。ほとんどの面々が帰らぬ人となった。国や人種が違えど悩み、苦しむのは解る。沖縄に来て出来た彼女と泣く泣く別れざるを得ないものもいた。彼女の家族会議に呼ばれているので、言葉も解らない、一人で行くのも不安だから一緒に行ってくれと頼まれて行ったことがある。可哀そうなくらい誠実に対応しようとする米兵を家族や親族は避難して交際を反対した。肝心な彼女はその席にいなかったが、後ろの部屋から出てきて、手紙を渡した、泣いている。手紙を読んだ彼氏は無言でうなずき、日本語で「サヨナラ」と一言だけ言って、私に「もう十分、帰ろう」と言った。

すべてが終わったようだ。帰る帰路、米兵は言った、「これでいいんだ、その時が来たんだ」。とても可哀そうだった。同じ男としての心情がわかるからだ。

彼もしばらくしてベトナムに発った。ロサンゼルス出身で夢をいっぱい持っていた好青年だった。今、生きているのか分からない。青年時代沖縄で失恋して成長したかも知れないと思う。

tiger60

とりとめもない私の若い頃の思い出の情景を話しただけだが、いろいろなことが走馬灯のように思い浮かぶ最近だ。人生は一度きり、懸命に走ってきたが振り返り感傷に浸る自分がいる。たぶん、自分に問いているのかも、「これまでの人生でよかったのか」と。戻りようがないが、誰でもふっと立ち止まり振り返る。

過去にいろいろ思いはあるが、これからも前に進んで歩むしかない。ならば自分に納得のいく道をあるこうと決めた。そう考えれば、何だか気持ちが軽くなった。

ブロガーの皆さんはどうでしょうか? 私の思いと同じではないでしゅか。最近は少々のことでは驚かない、動じなくなった、心配もしなくなった。人生は一度、ならば苦しいことも、苦々しいことも、悲しいこともすべてをありのままに受け止めよう、それが自然に生きることではないかと思う。ジタバタしたって変わらない、ならば粛々と生きよう。歌を聞こう、人生が楽しくなる、歌うと、もっと楽しくなる。一人の時も歌おう、人生万歳!