魅惑の島 沖縄を知り楽しむ

沖縄を知り楽しむ。
魅惑の島 沖縄。歴史、文化、亜熱帯の気候が織り成す独特な空気。
旅人を魅了して止まない沖縄

言葉・名前

2017-01-09 10:59:18 | はてな?

 

            

 

                             名前 ・ 言葉  勘違い

   年末年始の忙しさにブログの書き込みが遅れてしまった。早1ケ月がたとうとしている。

12月に東京都のある高校の修学旅行のガイドをした。

那覇空港から観光バスに添乗して南城市の具志頭城址へ行った。バスを降りた所に具志頭の戦争の戦没者の名前を刻んだ刻名板がある。高校生達が下りて眼にしたのは、戦没者の名前だ、名前を見て不思議そうな表情をしている。ガイドのこちらは戦没者の名前であり、今生きているなら80~90、100才前後の住民であると説明した。女子学生が聞いた、「名前なんですか?」、「そう、名前です」。

不思議な名前だと言う、名前には、沖縄特有の名前がずらりと揃っている。

ウシ、カマド、ナビ、ナベ等々、生徒たちは東京生まれの現代子、解らないないのも無理はない。

こちらが説明する、昔は牛は大事な農耕用で働き者の貴重な動物、縁起をかついでウシと名付けられた、カマドは台所のカマド、現代ではめったにお目にかかれないカマドだと説明する。ナベやナビは、戦前までは鉄製のナベがあまりなかったので貴重品との認識でナベやナビが名付けられたと言った。

「皆さんのおばぁちゃんなどは、梅とか小梅の名前があるでしょう、最近はあまりないが昔の男性には牛ノ助とかの名前があったはず、みなさんが忘れているだけですよ」と説明したら学生達は納得していた。

人はこの世に生を受けて生まれてきたら、必ず名前をもらう。両親から、祖父や祖母から、あるいは親族の長老から命名してもらったりと様々である。名前はただ付けただけではない、命名する時には、一生持つ名前だから良い意味や願いを込めて名前を作るのだ。どんな名前にも由来がある、意味がある。幸せな人生を歩いてほしいとの願いが込められている。日本でも沖縄でも明治の廃藩置県以前は、名前だけしか持てなかったのが一般平民であったが、日本政府になり、姓をつけても良いとの許可が出たのだ。王族や一部の特権階級のみしか持てなかった姓が住民全員に平等に持てたことは素晴らしいことである。

さて、その東京都の修学旅行の高校生一行とひめゆりの塔に着いた、バスの駐車場からひめゆりの塔まで歩く間、父親が沖縄出身だという女子学生が聞いた、「けんかしていいですか?」側で一緒に歩く女教員も私も、「えっ!」と思った。いきなりけんかしていいかとは、困ったものだと思った。空港でバスに乗った時から、父親が沖縄出身だというので、ひめゆりの塔までの道中の私の説明に不服があり、けんかをしてもいいかと受け取ってしまった。戸惑い返事が出来ない私の先に立ち、ひめゆりの塔入り口の花屋から献花を買っている。この光景を見て、私の勘違いだと悟った。側の女教員に「けんかを売られたのかと勘違いした」と言うとおもわず吹き出していた。

女子学生徒のやさしい心を解らず誤解してしまった自分を恥じた次第だった。なんだか救われる思いがした、今の若い世代は、戦争で亡くなった人たちを憐れむ心がまだあることが分かって嬉しかった。

tiger60

名前や言葉、いろいろな背景や意味が込められている。言葉を大事にしていかねばと昨今強く感じる。時代が変わることに不安感があるからかも知れない。言葉や名前は変わっていく、人が変われば、世が変わればいろいろなことが変わるのは自然なことである。変わることに不安を抱いてはいけないことが最近分かったような気がする。みなさんはどうでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


どうなっているの?

2016-10-10 13:46:36 | はてな?

 

      どうなっているの?

   今日のブログは、どうなっているの?がテーマ。

 世の中には、こうであるべきとか、こうであったほうがいいのではと思うことの反対のことがまかりとっている場合がある。それなりに理由や背景があるのは理解するが、これじゃ誰も見向きもしないよと言われることがある。

 最近、那覇市役所の地下駐車場が有料であることが分かり、嫌な気分になった。役所は市民が用事で行くところである。駐車料金を払わないで役所で用事も出来ない。

軽減処置はあるものの、基本は有料にしてある。なぜそうしたかは想像すると、部外者が勝手に長時間留めるのを防止するためだろう。ではその一部の悪い輩の為に大部分の市民が損をするとは情けないのでは。

同時に市民の憩いの公園の駐車場が有料になった、軽減措置で最初の1時間か2時間は無料でその後の時間が100円/時間当たり、かかるのだ。市民が公園で遊ぶのも有料になるとは、なんとも世知辛い世の中にしたものだ、それも那覇市役所自らが。

言ったついでに、もう一つ言う。

那覇市の福州園が無料から有料になった。昔、開園当時は有料だったが、市が無料にした、那覇市民、県民、本土からの観光客、中国人観光客などが押し寄せて活況をみせた。その状態を見て、有料にしても観客が金を払っても来ると踏んだのか分からないが、有料にした、途端に閑古鳥が鳴く超閑状態だ。

公園の駐車場や福州園などの施設の管理を民間に託している、役所自らやるのも大変ではあるが、民間にさせて料金を取る図式を勘ぐられるのも無理もない。

 人の心理の基本的なことを考えてみよう。

有料が無料になったら、喜ぶが、無料から金を取られるのは、嫌である。これが人が考える簡単な論理、思考ではないか。

こんな簡単なことに逆行している那覇市役所の考え方が理解に苦しむ。今の世の中は理想論だけでやっていけないことも理解するが、役所がやっていることはお笑いかやる気のないか、市民なんてどうで良いと思っているのかと疑いたくなるものだ。

 有料が必要な措置なら、市民にちゃんと説明するべきではないか。

tiger60

 行政に対する苦情は初めてである。最近の役所のやり方に憤慨しているのは、tiger60だけではないはず。一部の悪いのを見て防止だと変える、やりきれない気持ちになる。