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母に会いに来た戦死した米兵

2018-04-11 18:44:54 | 戦争

 

        母に会いに来た戦死した米兵

 (感謝の辞)

 昨年の12月初旬に、「てんぷらとてぃんぷら」の記事を書いたら多くのブロガーが読んでいただきその反響の大きさに超ロングランの掲載となった。私としては嬉しい限りです。

 

        母に会いに来た戦死した米兵

 

太平洋戦争時、1945年4月17日~18日の間に若き米軍の兵士が那覇市首里石嶺の戦闘地で戦死した。徴兵で沖縄戦上陸作戦に参加して亡くなった。

彼の故郷は米国ネバダ州ラスベガス、3月にネバダ州からその親族一同11名が沖縄を訪ねた。亡くなった兵士の弟や甥たちと家族。沖縄には初めて来るので、メールのやり取りで戦争当時の所属部隊の記録などの情報をもらった。

一同が沖縄に着いて、弟さんから話しを聞いた。弟は当時5歳だった、母親から聞いたとのこと。母が眠っていたのかうとうとしている時だったかは不明だが、母親が

言った、「二ックが帰ってきたよ!家の玄関の戸が開きニックがただいま、お母さん」と言っていたそうです。でもニックは沖縄で戦死していた、母が見たのは1945年4月20日だったそうです。ニックが戦死した記録では4月17~20日だったとある。

戦死した直後に母に会いに来たのだろう、しばらくして軍から戦死の知らせが家に届いたのだ。

その話しを幼い5歳の弟、ケンは母親から聞いていたのだ。

戦後70年余経って、戦死した兄ニックへの思いが忘れず一族で慰霊の沖縄旅行となった。

来沖前にある程度の情報を送ってもらい戦死場所を探したら、見つかった。那覇市石嶺の伊江別邸御殿の敷地周辺が戦死場所だと判明。所属米軍部隊の記録にイシミ・リッジ(石嶺高地)とあり、沖縄平和祈念財団戦没者遺骨収集情報センターの中野氏のお陰で戦死場所の特定が出来たのだ。

一行を戦死場所に案内した、現在は那覇市の所有となり、フェンスが立てられ敷地に入ることが出来なかったが、その場所に1時間余り滞在して戦死したニックの霊を慰めたのだ。長年の思いを晴らすようにその場所を立ち去りがたかったようだ。

その後は沖縄平和祈念公園の平和の礎の刻銘板の前で、ニックの名前を確認して、白紙に鉛筆で名前をなぞり書き写した。一同涙をながして冥福を祈った。さらに摩文仁の丘にある沖縄国立墓苑に行き、参拝した。遺骨収集センターの言によると、沖縄県民、日本兵、米兵、英兵すべての遺骨を国立墓苑に安置してあるとのこと。ここで全員で15分間の葬送儀式を行った。

すべてを終わり、思いを果たして喜んでいた。最高齢の弟、ケン氏が私に聞いた、

朝から案内してもらったが、あなたの関係者も太平洋戦争に関わった親族がいるかと聞いた。

自分の兄、姉が疎開中に食料不足で亡くなったと、答えた。一同びっくりした、しばらく自分の母親が体験した疎開中での悲惨な話しを説明した。一同真剣に聞いたいた。戦争は悲しいこと、あなたたちのニック氏と日本側とは互いに敵国に立ち戦争を駆け抜けた。個人のレベルではどちらも悪くない、もうこれ以上憎しみの連鎖は良くない、今後の若い世代にとって良き関係と絆が出来るように手を取り合っていきましょうと私は締めくくった。みんなが涙を流して私の家族の悲劇に哀悼の意を示した。みんなが私を抱擁して、感謝した。最後に日本で宣教師の活動をやった経験があるランボ氏が言った、「今まで思っていた印象の日本人から、違った思いを感じた、今後あなたとはもっともっと友人として付き合っていきたい。ありがとう!」

戦争で亡くなった家族にとっては悲しさは同じである、同じ悲しさがあるなら互いにいつくしみあい、未来に向かったほうが良いと思います。

tiger60

 国は違えど、互いの心の琴線に触れた思いだった。心が平安に満ちたようだ。

憎しみは何も生まない、自我も何も生まない、ただ許す心のみが平和を作る。

余談:一行の中に、男性の医師がいた、いろいろン話しを聞くと、ネバダ州ラスベガスで医師として勤務する傍ら、個人の趣味で牧場をやっていると言う。

日本の和牛12頭と黒豚数頭も飼っているとのこと、ガイド案内中、沖縄料理の店で

沖縄特産の豚、アグー料理を食べた。旨さに唸って、このアグーをネバダの自分の牧場で飼いたいと希望した。医師で牧場もやっている、今のところ趣味でやっていると言う、アメリカ人は西部開拓史の歴史があるのだ、広い牧場で牧畜するのが本能的に好きなのではと想像した。面白いですね、世の中にはいろいろな人がいる、いろいろな生活があるが、人間の根っこの部分は同じだと痛感した今回のガイド仕事でした。

アグー豚の説明のついでに、戦後海を渡った豚の話しもしたら大変興味深く聞いていた。世界が平和でありますように祈りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 


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