魅惑の島 沖縄を知り楽しむ

沖縄を知り楽しむ。
魅惑の島 沖縄。歴史、文化、亜熱帯の気候が織り成す独特な空気。
旅人を魅了して止まない沖縄

米軍基地はアメリカ租界

2016-04-29 18:22:36 | 人種

 

 

               米軍基地はアメリカ租界

 

在日米軍がいる、沖縄には米軍基地が多い。米軍基地はアメリカ租界である。一大コミュニティである。金網の外からからはうかがい知れない世界がある。米軍人・軍属とその家族が住む世界はあまり外部にその様子を見せないものだ。

基地とは軍隊であることが基本であり当然である。

米軍基地の中は外の民間の空間と比べて広く設計されている。アメリカ政府の定める法律・条令等に沿って基地を造ってあるので空間に対する感覚は日本人とアメリカ人との違いは多きいはずです。初めて基地内に入る人はその広い空間に圧倒されて異次元の世界に入ってきたような感覚になるそうです。

嘉手納基地の面積が大きいように思われるが、ジャングルどうようの北部演習場などがより大きいのです。ただ基地と称する米軍基地は施設や建物、住宅、兵舎、商業施設、学校、協会、ゴルフ場などを有しているので、基地から一歩も外に出ないで生活することも可能なのです。兵舎は独身の軍人が住む共同宿舎です。男性棟と女性棟と別れているのもあり、同じ棟に階を違えて男女の兵隊の宿舎とすることもあります。同じフロアーに男女の兵隊の宿舎はありません。各兵舎の一階の玄関には24時間交代の保安要員がいます。基地の中でも宿舎に住まない訪問者は受付で用件を告げ、登録張に署名する決まりとなっています。

白人と黒人、アジア系、中南米系などと人種で宿舎が色分けされることはないですが、黒人が多い、白人が多いなどの偏りはあるようです。独身宿舎と家族持ちの宿舎とも違います、住む場所が違い距離を話している。家庭用の宿舎も階級によりかなり差があるのは軍隊だからです。昨今は基地内に日本の防衛施設庁(現在は統合して防衛省となった)が建てた高層マンションがある、このタイプの宿舎は下士官クラスの家庭用の住まいです。下士官にもある程度の階級があるので、部屋の割り当てによっては隣が所属部隊の上官の部屋だったりする場合がある。そんなケースは、いつでも気を遣うから住みにくい面もあるようです。また土曜、日曜、祭日などに、基地内のレストランクラブへ家族と食事に行くと、隣の客は上官だったりした場合は気を使うしゆっくり食事も楽しめないらしい。そうなると基地の外に少し狭くても民間のマンションを借りて住むことが多々あるのです。家賃は軍からの支給があるので、そのほうが家族共々気楽に生活出来るそうです。軍隊とは階級社会だから仕方がないといえばそうなりますね。

最近はあまり小切手を使い買い物などはしない、クレジットカードが普及したのからでしょう。小切手を使っていた頃は、小切手が不渡りになっている場合も結構ありました、軍人。軍属でもアメリカ人、消費癖のある彼らは日本人のような自己管理があまり出来ない経済観念が欠ける人達がいます。軍内での買い物や食事の際、不渡りで使えない旨を伝えて現金での支払いを求めると、自己主張して、自分の小切手は使えるとレストランやPX(百貨店)の掛かりを困らせる人もいました。また人の小切手を振り出すことは犯罪行為だが、友人の小切手を使う者までいます。ID(身分証)の提示を求めると小切手の振出人の名前とIDの名前が合わない、小切手を借りたか、不正使用していることが分かる。軍のクラブ、レストラン、PX,カムソリー(生鮮食品スーパーマーケット)、ショペット(コンビニ)、ガソリンスタンド、映画館などは小切手の不渡りリストがある、世界中の米軍内での小切手の悪い番号(人物)、いわゆる過去悪用者リストがある。そのリストでチェックしてから小切手を受け取る規定があった、だから客のさばきがとても遅くなってレジ前がいつも混雑することがありました。まことに能率の悪い国民だと痛感しました。アメリカ人は性悪説に立ちます、日本人は性善説に立つ場合が多いですね。金網で厳重に囲まれた軍内でも、強盗や泥棒、スリ、カッパライ、盗み、デパートや百貨店内の商品を万引きしたりと日常茶飯事的に起こっているのです。酒の上でも喧嘩や暴力、家庭内暴力(DV)、器物破損、公的施設・資産、設備の破壊行為などに気をつけようとの張り紙があらゆる掲示板に張られているものです。ある例だと、あるマリン基地内でピザの配達ドライバー(軍人が勤務後、バイトでやる)が独身宿舎にピザを届ける際、兵舎の三階の窓からレーザービームを浴びせられました。ケガはなかったが、軍人でもあるピザの配達人は三階にかけ上

がり捕まえようとしたが逃げられた、部屋の主であること、顔も確認していたので憲兵隊が基地内で身柄を拘束して顔通しをして逮捕したことがありました。この事件は安全であるはずの基地の中で実際に起こったことです。信じられませんよね。

民間で起こっている様々なことが基地の中でも起きている、良いも悪いも起きているのです。

tiger60

米軍基地の中でのことは、一回のブログでは書き表せません、次回も同じテーマで基地内でのことをあれこれ書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


観光ガイドもいろいろ

2016-04-25 20:56:49 | 沖縄観光

 

                 観光ガイドもいろいろ

 

観光ガイドと聞けば、若いお姉さんがバスガイドの制服をつけて観光バスに乗り案内する様を想像す

ものですね。ガイドにもいろいろあります。観光バスガイドをはじめに、ツアーガイド、地域ガイ

ド、施設ガイド、いろいろな専門ガイドなどがある。昨今は平和ガイドとか平和ガマガイドと称する

戦争の話しをするガイドもいる。旅行社などの斡旋する観光ガイドと違う、アマチュア的なガイドが

多くなっております。NPO法人や地域の観光協会が斡旋するガイドと多様なガイド業界となってい

ます。tiger60が所属している団体も一つはNPO法人のガイド団体、首里城や那覇市の市場、国際

通り、壺屋焼の通りの散策ガイドを主に行っている。一線を引いた中高年者が多い観光ガイド団体で

あるからガイドも男女いろいろな人がいる。

ある日、他府県からの高校生の修学旅行の生徒たちを首里城でガイド案内していたシルバー世代の女

性ガイドは先頭を歩いていた。首里城は登坂があるから息をハァハァさせて歩いていた。後ろをつい

て来る女子高校生が声をかける、「あの~、ガイドさん大丈夫ですか?肩で息をハァハァさせている

ようですが!」と言われた。

シルバーのガイドはハットと我に帰り、自分の体力の無さを痛感したのである。

ある老年男性のガイドは、年齢の割には高校生や中学生の子供たちに人気がある。78才の年でもス

マフォを使いこなし、いつも笑顔で生徒たちと語らう明るいおじぃちゃんガイドである。特に修学旅

行の女性徒たちから人気があり、1時間半の首里城のガイド案内を終わりお別れの時には、女性徒た

ちから声をかけられるのだ、「こうちゃ~ん、バイバァーイ!」。こうちゃんは満面の笑顔である。

人生歓喜に溢れる瞬間であります(笑)。本人いわく、こんなことがあるから、ガイドはやめられな

いと、のたもう。

案内に不慣れなガイドもいる、コースをうろ覚えでガイドして客を連れて迷路に入り慌てるガイドも

いる。余計な話しを良かれと思い話したが、現場に無いものほど説明が難しい。パイナップルが咲い

ていない場所でパイナップルがどうとかと懸命に説明しようとすればするほど困難になる。カレーラ

イスなどの料理を初めて聞く人に説明できるだろうか、それと同じことになる。ガイドの鉄則は、目

で見えるものしか話してはならないと言われる。

方向音痴なガイドがいる、東海岸を車で走り、東シナ海の名前が浮かんでこない、困ったガイドは運

転手に聞いた、ここは東海岸ですよねと。それもマイクを持つ手を口元から話してこっそり聞けばい

いものを、言った声は客が聞いたのだ、失笑をかったガイドでした。

観光バスの出発時間は決まっている、厳守しなければならないのは業界人としての常識であり、マ

ナーであるが、熱心に説明しているガイドは添乗員やバス運転手が注意するのも聞こえていないの

か、長説明してバスの出発時間を遅らせたこともある。

tiger60

沖縄観光に寄与したい思いで頑張っているのがガイドでもあります。訪問客に喜んでもらってまた来

たいと思わせることが出来たら成功ですね。観光業は平和産業です。経済効果も多大であり地域に貢

献する度合いはかなり高いビジネスです。この仕事に就いていることが誇りであり喜びでもありま

す。観光は業界人だけでは成功しません、地域全体が訪問者を歓迎する体制が必要です。個人的にマ

イカーで使用している車はマツダのデミオだが、観光客がよく利用がダントツに多いのがこの車種で

す、街中でデミオを運転走行していて路地から通りに出ようとする場合、必ず親切に譲ってくれま

す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


復帰後の世相

2016-04-22 20:27:47 | 人種

 

              復帰後の世相

 

復帰後の世相、単なる気まぐれで復帰前の世相があったなら、復帰後の世相があってもいいのではないかと考えたからブログを書

きます。昭和47年5月15日(1972年)に琉球諸島が本土復帰をして沖縄県となった。感慨深いものがあった。あの時の思い

は沖縄県民みんなが同じだったはず、さぁ、今から未来が始まるそ!とハッラツとした気持だった。

復帰してから早44年が経った。早いものだと思う。瞬間にここまできたような感じしかない。それだけみんなが無我夢中で生き

てきたのかも知れない。沖縄県は本土他府県に遅れているからと焦るような急ぐような思いでやってきた。復帰直後、沖縄県の長

寿率は全国一だったが今は惨憺たるもの、メタボリック県民と呼んだほうがいいくらい不健康な県民が増えた。当時の長寿率一位

は昔、芋裸足で生きてきたお年寄りたちの長寿率である。十分に食べ物もない戦前の社会で体を酷使して働いてきた先人達は今の

時代の添加物だらけの食品を食べていないのが健康の源らしい。余計な物を食べないので病気にならないのだ。粗食に甘んじる貧

しい戦前の生活が良かったとは皮肉ですね。

ある事実がある、米国が太平洋の島々を信託統治(実際は隔離植民地だがうまく装っている)している南洋の島々の住民、人口規

模が小さいのでアメリカ政府が住民全員の生活を無償でみていることがある。島民は働かなくてもアメリカ政府が生活保護費をだ

して暮らしている。スーパーが進出してカロリー過多な米国製のジャンクフードの味をおぼえる、そのまま慣れてしまい働かなく

ても生きていけるから産業や漁業、農業、あるいは生産加工することをしない。島民が食べる野菜類さえも作らないでアメリカか

らの移入に頼る。鮮度を維持するために防腐剤を使った加工野菜などを食するのである。その結果、成人病や肥満で寿命を縮める

ことになる。戦後、沖縄でも米軍政府は全住民に対してこの政策を実施しようとしていたが、人口が多すぎて経費を捻出するのが

困難と判断して計画がとん挫したのだ。今となってはとん挫したのが沖縄にとっては良かったと思う。もし計画が実施されていた

ら今頃は全沖縄県民が琉球列島、琉球人となって完全に骨抜きになっていたはず。自主努力をする環境とはその必要に迫られて懸

命に頭を働かせて知恵を出す。復帰後の本論に話しを戻そう。

駆け足で抜けて来た44年、気がつけば二十代前半の年がシルバー世代となっている。思い起こせばこんな短期間に社会インフラの

整備、日本国として法令、条例発令と実施、ビジネス環境の変化、経済の発展、文化の交流等々沢山のことを体験してきた。

こんな忙しい世替わりを体験したのは沖縄県だけではないか、あるいは外国の国が分裂したとか独立した地域が同じ体験をしてい

るのではにだろうか。

世替わりをするにしても、日本の一県として参加したのが良かった、日本以外の国の枠組みに入ると県民の地位がどうなっていた

か分からない、日本国憲法の下で日本人として生きていることは幸せではないかと思う。欲を言えば限がない、日本の国は世界の

水準からみても悪くない、むしろ優秀である。地味だが真面目に働き頭脳明晰な民族である。沖縄県もその一翼を担うことが出来

るように頑張るしかない。

tiger60

こんな話しをやること事態がおかしいが、沖縄の歩んできた特殊性から言えば、今が平和である。落ち着いて国民としての生活が

出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人種混合国家 アメリカ 2

2016-04-20 11:16:25 | 人種

 

               人種混合国家 アメリカ 2

 

カ、多様な人種を抱える国、こんなに込み合う人種でみんながバラバラになるのではと思うが、意外

にもまとまりがある国でもある。確かに人種間の差別は酷い面があるが、なぜか一朝有事の時には国

が一致団結して外敵に対応するのである。普段の生活ではがたがた言いながら主張しているが、何か

あれば愛国心が増大するエネルギーは凄い。第二次世界大戦、ベトナム戦争、湾岸戦争、ニューヨー

クのタワービルへの航空機の突入の9.11事件などがあったが、これらの全部が国が団結するきっかけ

と原動力となったのだ。

tiger60が体験したことを話そう。

軍で勤務のPX(百貨店デパート)で勤務していたころ、自分の部署に一人の黒人青年、年は20才が

採用されてきた。軍人の親と基地内に暮らしているが、高校を卒業したので働きたいと希望してきた

のだ。名前はマイク君、聞けば軍内の高校を4年半かけて何とか卒業したとのこと。家計が苦しくて

留年したわけではなく、頑張って勉強したが進級できずに留年して卒業が送れたそうだ。アメリカの

学校では年齢に関係なく頭が良い生徒はどんどん進級していく、3~4階級飛びなんて結構いるもの

だ。逆に勉強が出来なければいつまでも留年させられる。そんなに程度が高くない軍内の高校をこん

なに留年して卒業とはあきれるが、卒業は卒業なので受け入れるしかない。

週5日働くスケジュール、働いて4日目に彼は言う、明日は休みだと。いゃ!明日までは仕事だよと教

えたら、違うと言う。週5日働くから明日までは働いて明後日は休みだよと話すが違うと言い張る。

紙に書いて説明するが理解していないのだ。彼の言い分を聞いた、なぜならどこかで基本的な勘違い

をしていると思ったから。彼は指を五本数えて自分の言い分が間違えていないと言う。指を折りなが

ら数を数えている。びっくりした。ワン、トウ、スリー、フォーと数える。指を見るとワンと言う前

に親指を折り曲げているではないか。ワンと言って最初の指を折り曲げていないのだ、トゥで最初の

指を折り曲げている。ならばファイブといるところでは指が4本目になる。それを5日働いているか

ら、明日は休みだという。もうどうにもならない。アメリカ人の総支配人が来て説明するが理解

していないが、しぶしぶ従った。さすが高校を5年近くかかって卒業したもんだと呆れた。アメリカ

人は総じて自己主張をする人たちが多いのは事実である、小さい頃から自己主張しないて生きていけ

ないと教え込まれているそうだ、だが肝心な基礎教育がなされていない場合が多い。

字を読めないアメリカ人も多いのだ。アメリカに生まれ育ち、社会に出て来て軍隊に志願して兵隊に

なったが字が読めない者が意外にも多い。日本人の場合、新聞や本、雑誌、漫画など簡単に読んでい

るが、現代アメリカ人の識字率は60数パーセントでしかない。日本人は100パーセントだがあまり意

識していない、読めるのが当たり前、普通の人だと思っているが、日本以外ではそうでないのだ。

tiger60も軍に勤務していた頃、アメリカ研修やらで米国滞在して研修先の職場にいるメキシコ系や

黒人、アラブ系の人達に接する機会が多々あったが、あまり普通の教育を受けていない人もかなりい

る。アメリカに生まれ育った中米系の二世や三世が英語を全く話さないのだ。地域の郡の教育事務所

が子供を学校に通わせなさいと説得するが受け入れない、彼ら独自のコミュミティに引きこもり教育

の機会を失するのだ。そんな子供も十代後半や早い年齢だと15才くらいで結婚しないで子供を妊娠し

て産むのだ。そんなカップルは教育も高くなく、英語も上手くない、世の中に溶け込まないので就業

しても長く続かないから離婚率が高い、幼子を抱えて困るのだ周囲が福祉の手続きを取る。結局貧乏

の連鎖になるのである。若い青年で夢も希望もなく麻薬などに溺れていくのも多い。実際研修先の施

設の裏手に回ると研修施設で働いている黒人青年が大麻を吸っている光景を真近に目撃したことも何

度かあった。優しい黒人青年がそんなことをしているのも見て複雑な思いになったものです。貧困と

麻薬はセットのようなものがアメリカ社会の常です。今でも白人と黒人や中米系などが住む場所は完

全に違うのが現実、都会のバス停留所の長ベンチに黒人の男が昼の真っただ中から眠っている光景は

淋しいものです。

軍のPX(デパート)のレジの前でクレジットカードを浪費し過ぎて使えないにもかかわらず、自分

のカードは絶対使えると主張して後ろに並ぶ客のひんしゅくをかう若い兵隊もいる。金を使い果たし

て口座に預金がゼロどころかマイナスになっているのがレジのカードリーダー機械ですぐ判明してい

てレジのキャッシャーが説明しているが頭が悪いのから理解してい、だけど自己主張だけは強いから

どうしようもない。効率が悪い面もあめりかそのものです。

アメリカは世界一豊な国でもあり世界一貧富の差や人種の差別感がある国に見えが、外敵が現れると

国がまとまるのも事実です。一瞬にシャキッとなり戦闘ムード満杯となるのも面白いものです。沖縄

の米軍のある組織で最高責任者、沖縄地区最高責任者(陸・空軍共済会組織)のトップ、職員2千名

の統括者の地位にある黒人男性がいました。彼の経歴は高校を夜間で卒業してアメリカの総本部のビ

ルで掃除人(英語でジャニターという、janitor)だった。懸命に努力しての仕上がってきたのだ。沖

縄勤務で最高のポジションに立ったのだ。アメリカ社会にはこんな面白い経歴や物語はかなりあるも

のです。だからアメリカンドリームというかも知れません。非常に面白い国でもあります。

tiger60

沢山の個性あふれる民族がひしめき合う国、アメリカ、ザ・アメリカですね。いつでもナンバーワン

でないといけないと思っているアメリカ人。非情でもあり人間性あふれる優しい面もある複雑で単純

な国民、混合雑種国民ですね。いろいろなものが混ざっているから強いかも知れないですね。同じ血族同士、同じコミュニティ内でなら発展しないがアメリカはどんどん今でも新しい人種が世界中から

押し寄せる、一時期に比べてずいぶん入国審査や結婚証明書を提出してもすぐには認めなくなったア

メリカだがそれでも押し寄せてくるアメリカとはとても魅力あり世界中の人達を魅了する力があるのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人種混合国家 アメリカ

2016-04-15 16:57:58 | 人種

 

             人種混合国家 アメリカ

 

アメリカ、民主主義の国、豊かなる国、人種のルツボの国、軍事国家等々上げれば切りがない。良き

につけ悪きにつけ世界のスーパーパワーの国である。この国は様々な人種が集まる混成国家なのだ。

アメリカには世界の食べ物が集まる、流入してくるいろいろな民族が持ち込み現代アメリカ人はそれ

を自分たちの好みの料理にしてしまう。

人種でいえば、元々住んでいたのがインディアン、そこにヨーロッパからの白人がやって来て主人公

入れ替わった。イギリスからの移民がアメリカに押し寄せたが、当時のイギリスは白人国家だが、

富の差があった。階級社会の厳しいイギリスにいるより新天地のアメリカ大陸に行き人生をやり直

うと考えた貧困層がアメリカを建国したのだ。当初は黒人の奴隷はいなかった、白人の喰い詰めた

たちが、アメリカまでの船の渡航費用がないが、アメリカについてから何年間は奴隷として働く条

で船に乗せてもらった。アメリカ到着後はしばらく奴隷の身だった、白人が白人の奴隷を引き連れ

アメリカの開拓を始めたのだ。白人奴隷はけがや病気になると使い物にならないと、治療や手当も

けさせない、金で買ったものには金を出さない主義だったのだ。連れてきた白人があまり使い物に

らないと分かったので、アフリカ大陸から黒人奴隷を連れてきて働かせたら白人奴隷より役に立つ

だ。しばらくは白人と黒人奴隷の両方が奴隷としていた。白人が病気・ケガをしても何らの手当も

ないが、使える黒人はすぐ治療・手当をしたそうだ。重宝されたのは黒人だった。今の時代に考え

れない、想像も出来ないですね。黒人が奴隷から解放されたのはあのアブラハムリンカーンが奴隷

放をしたからですね。ではなぜリンカーンは奴隷解放をしたのか、アメリカを南北に分かれて多

犠牲を出しながら。リンカーンが人の人権を大事にする崇高な考えで開放したのではなかった。

対立する白人に対する嫌がらせで黒人を開放したのです。リンカーンは大統領になりアメリカ政府の

作ったアメリカドルを発行しようとした、それまでは白人のあるグループが作るドル紙幣をアメリカ

政府が高い利息をつけて借りていたのです。本来は単なる紙切れなんです。あるグールプとはIMF

です。今もアメリカ政府のドル紙幣を印刷してアメリカ政府に貸している組織です。彼らと対立して

まで自分でドルを刷って発行しようとした、相手に対するけん制のために、黒人を開放(野放し)に

したら国が荒れるよとの意味が込められていました。まず黒人を開放した、ドル発行を強行しようと

しために、暗殺されたのです。

リンカーンは崇高な考えの元に黒人解放をしたのではない、ちなみにリンカーンの父親は250人もの

黒人奴隷を売買するリンカーン商会を経営していたのだ。リンカーン大統領自身、黒人奴隷の金の入

れ歯を強制的に抜いて、自分の金歯を植えたそうです。また黒人奴隷の女を愛人としておき、子供も

産ませていました。この事実を見ると、絶対人権を守ろうとした人ではなかったことが分かります。

歴史の闇に隠れていることを知ると、呆れるやら酷いことをやるものだと思います。

tiger60

人種の問題、歴史の裏に隠された驚愕の事実は沢山あります。我々が知らないだけ。テーマはなるべ

く沖縄に関するものを書くtもりですが、沖縄には米軍基地がありその基地の中も人種のるつぼと

なっています。回を重ねながらゆっくり基地内の人種のことも書きます。