たっきーブログ

遊び心満載の「時遊人」、さてきょうは...

「花シリーズ」

2014年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム
たっきーです。

庭に咲いている花が綺麗なのでご紹介します。

アロエって医者要らずとも言われますが

こんな花がさくのですよ。

毎年咲いてくれて、ありがとう。






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「癌から奇跡の復活 ・ 第2章②」

2014年03月10日 | 健康・病気
たっきーです。

今日は0のつく日、3月10日です。

0の付く日のシリーズ第二章③です。

がん患者の方、その家族の方の何かの

参考になれば幸いです。

「癌から奇跡の復活 ・ 第2章②」

【放射線治療終了・退院そして・・・】


これは2年前のお話ですが、

年末年始点滴をしたままで

年を越したのは人生で初めてでした。

入院54日目、2012年1月1日 新しい年を迎え、

1日も早く元気になって退院できることを

楽しみにしていました。

治療としては抗がん剤以外の点滴がまだ残っており

放射線治療もあとわずかになりましたが、

食事は十分に取れず体調は副作用によって

徐々に悪くなり体力も落ちる一方でした。

特に喉の痛みはだんだんひどくなり、

座薬での痛み止めが常用となっていました。

入院57日目の1月4日

二年越しの放射線治療(通算33回)終了の日を

迎えました。

いつものように数分間で最終回も

終わったのですが、

放射線治療の副作用で首周りは

ケロイド状態となっており

本当に元の肌に戻るのかと心配になりました。

この時点で既に強い痛みや痒みがあったのですが、

先生から追い打ちを掛けるように

「これからさらに痛みが増していきますよ」

とのお言葉が・・・

自分がこれからの状況に果たして

精神的に耐えられるのか!?

なにか試されているような感じを持ちました。

ともかく予定回数は終了したので、

約3カ月にわたって通い続け、

お世話になった放射線科の医師や 放射線技師、

看護師さんにお礼の言葉を述べるとともに、

二度とここには通わないで済むようにと

願いながら治療室を後にしました。

これで大きな治療はひとまず終わったと思うと

少し元気になりました。

抗癌剤との併用での治療で体力の低下によって

治療の途中で車椅子で通うようになる方も

いらっしゃったので自分としては最初に決めた

「治療室へは歩いて一人で通う」を

有言実行できたのが、これから生きていくための

大きな力となった気がします。

そして常に私は「必ずうまくいく」という

モットーを持ち続けていました。

前向きな気力はあるものの、肉体的には逆方向で

いろいろな点滴はまだ続き、

両腕ともに血管がボロボロとなっていて

針を刺すのに看護師さんも苦労していました。

苦労といえばこの時期、相棒も仕事が

一番大変なときで、病人の私が言うのも

おかしな感じですがオーバーワーク、

ストレスを凄く心配していました。

この時期を乗り越えれば、お互いに必ず

明るい未来が待っていると信じ、

退院の日を待ちました。

そしてついに1月10日、

入院64日目にして退院の運びとなりました。

退院するとき看護師長をはじめ、お世話になった

看護師さんらにお見送りをいただき、

退院に当たっては親友が家族のごとく親身になって

お世話をしてくれて、無事自宅に戻ることができました。

彼にはどんなに感謝してもしきれないほどです。

感謝!感謝!感謝!

これでしばらく薬の服用と週一回の通院で

しばらく様子を見ることとなりました。

自宅に帰ると体力はないものの気分は一転して

楽になり、嬉しさいっぱいです。

帰宅後はいろいろ滞っていた書類の整理や

諸々の手続きなどで、

あちこちに出掛け結構忙しくしていました。

しかし、体力の衰えは一段と大きくなり

普通に歩くことも難しく、青信号で横断歩道を

渡るのもやっとという感じでした。

また、食事は味覚障害が続き何を食べても

本当の味が解らず、美味しく感じることもなく、

食事をすること事態が嫌になり

取り敢えず口に無理やり入れて

お茶などと一緒に飲み込むといった感じでした。

こうなると食は細るばかりで、

みるみる体重は減っていくという

負の連鎖に陥ってしまっていました。

そして退院2週間後にCT検査がありました。

検査結果は!?

次回へ続く


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