遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

中原中也ノート4

2019-07-23 | 近・現代詩人論


  前略、ご無沙汰しました 實は最後におあいしたましたあと神経衰弱はだんだん昴じ、「一寸診察して貰ひにゆかう」といひますので従いてゆきました所、入院しなければならぬといふので、病室  に連れてゆかれることと思ひて看護人に従いてゆきますと,ガチャンと鍵をかけられ、そしてそこ  にゐるのは見るからに狂人である御連中なのです。頭ばかり洗ってゐるものもゐれば,終日呟いているものもゐれば、夜通し泣いてゐるものも笑っているものもゐるといふ風です。ーーそこで僕は先づとんだ誤診をされたものと思ひました。子供を亡くした矢先であり、うちの者と離れた、それら狂人の中にゐることはやりきれないことでした。     {四月六日 安原喜弘への書簡)

中也が千葉寺療養所に入院したのは一月七日。千葉県にある中村古峡療養所であった。友人の安原に差し出した手紙からは精神病とはおもえないのだが。事実京大神経科の村上仁の伝えるところでは病状は〈軽いヒステリー〉程度のものだったらしく、病院の診断もそれに応じた治療体験録などが残されている。
収容されたという言い方が不釣り合いかもしれないが、先の安原宛の手紙にはそのときの中也の恐怖は〈誤診をきっかけに狂人の中にゐてはついにほんとうに狂っちまふなぞといふ杞憂があり、全く死ぬ思ひであった。〉と書かれている。(このあたりのくだりは、北川透『中原中也わが展開』の「天使と子供ー中原中也の千葉寺受難」に詳しく書かれている。)
 収容された千葉寺での中村とは、かつて夏目漱石に師事し実弟の狂気を題材にした小説『殻』を執筆している人物で、それも漱石のすすめで朝日新聞に連載し好評を得ている。その中村療養所での中也はどのような日々をくっていたのか。三十八日間もの間の作品もあるが、入院中の手記として「千葉寺雑記」がある。だがこれは中也が自発的に書いたものというよりは、治療の一環として中村が患者に書かせていたものであるらしく、中村自身が行う精神病理の概説や白隠禅師和讃講義なども、中也はノートをとるように指導されている。