さらに{防長新聞」短歌欄に掲載された歌をここに記していきたい。この頃はまだ定型とは出合っていなかった。三年後の定型詩と出合う前の短歌を拾い集めてみる。(およそ一九二十年から二十三年にかけての歌)
子供心
菓子くれと母のたもとにせがみつくその子供心にもなりてみたけれ
小芸術家
芸術を遊びごとだと思つているその心こそあはれなりけれ
春の日
心にもあらざることを人にいひ偽りて笑ふ友を哀れむ日
去年今頃の歌
一段と高きとこより凡人の愛みて嗤ふ我が悪魔心
いずれの歌も中学生が自己の内面を見つめようと、真剣できまじめな姿がよみとれるであろう。
晩年の詩《曇天》が発表されたのは昭和十一年七月。先にそれを書き写したい。
ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高来が ゆゑに。
手繰り 下ろうと ぼくは したが、
綱も なければ それも 叶はず、
端は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処に 舞ひ入る 如く。
かゝる 朝を 少年の 日も、
屡屡 見たりと ぼくは 憶ふ。
かの時は そを 野原の 上に。
今はた 都会の 甍の 上に。
かの時 この時 時は時は 隔
此処と 彼処と 処は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝らぬ かの 黒髪よ。
この黒い旗のはためきと言う中也の詩の感性は、今読み返しても私に不安感をよびおこす。この不吉な予感は、この詩が発表された昭和十一年七月に、二・二六事件に連座した将校および民間人十五人が処刑されている。