N試作場

ジャンルにとらわれず、新しい組み合わせ、おもしろいことを考えていきます。

amazonのES

2012年06月27日 | 日記
前回に引き続き「カンブリア宮殿」の感想。
今回はES(従業員満足)の部分について触れてみます。

いいなと思ったのは、会社に犬を連れてきても構わないということ。

個室で作業する社員の傍らには大型犬が寝そべっていた。

社員曰く、

「このフロアだけで4、5匹いるわ。犬を連れてきてから仕事の効率も上がったのよ」


 *  *  *  *  *


それから、エレベーターは三方がホワイトボード。青、赤、黒のマーカーペンも置いてある。

「質問を書いておけば誰かが解決法を書いておいてくれたりするの。
社員同士のコミュニケーションにも一役買ってるわね」

エレベーター以外にも、そこらじゅうの壁がホワイトボードになっている。
もちろんテレビではボカシが入っていて何が書いてあるのかは分からない。


 *  *  *  *  *


社員や会議室の机は中古のドアを使って作ったもの。

「アマゾンでは創業時代から全社員が中古のドアで作ったデスクを使ってきました。
これが伝統なの。そうやって浮かせたお金はお客様のために使う。それが会社のポリシーなのよ」

中古のドアが倹約の象徴になるというのは日本にはない感覚だ。

ベゾスは、こう語る。

 私たちはお客様と関係ないものにお金をかけたくありません。

 お客様が喜ばないことにお金を使うのは無駄使いであり排除すべきことです。
 



それは他の部分もそうで、壁も装飾のないコンクリート打ちっぱなし、天井の配線もむき出し、
照明も工事用の質素なものだった。

会社にお客様がいらっしゃるのであれば整える必要はあるだろうが、
来客がない部分はこれでいいのだ…みたいなことを語っていた。

創業者ならではの信念を感じるし、この“伝統”には社員も誇りを持てるだろう。

万事につけ倹約を心がけ、それが心からの気持ちで、板についていること。

創業者じゃないと、この感覚は持てないのかもしれない。

我が子のように大切な事業。それを存続するための大切な資金。

この感覚が社員に伝わることもESだと思う。




amazonの顧客主義

2012年06月26日 | ビジネス試論
一人の時間が出来たので、録画してあった「カンブリア宮殿」を観た。

アマゾンのジェフ・ベゾスが登場。

以下、番組を引用しながら感想を。


 アマゾンをシンプルに言い表すなら
 「地球で最もお客様を中心に考える会社」です。

 私たちは、お客様の声に耳を傾けます。しかし聞くだけでは足りません。

 心がけるのは、何かを生み出すこと。

 お客様が何を求めているかを予測し、お客様がそれに気付く前に生み出すのです。


言葉を補えば「自分のところのお客を限りなく中心にする」と言うことになる。

何かを極度に中心に据えれば、何かが犠牲になる。トレードオフの関係。

それを支える配送関係者、倉庫での作業者、メーカーは大変だし、
商売にダメージを受けるストアもある。

それが、善いのか悪いのかは分からない。

自分のようなアマゾンのヘビーユーザーには大変ありがたいことではある。
あまりに便利で少し後ろめたさを感じなくもないくらいだ。


 私たちの顧客主義は、自分たちができることを考えて動くのではなく
 お客様が何を求めているのかを把握し、その後で、どうやれば提供できるのかを考える。
 これを「逆回りの思考」と言っています。多くの会社は違います。 

 お客様が求めているのは「商品を選べる、安い、早くて正確な配送」。
 これを実現するために何をやるのかが大切なのです。


顧客主義を標榜する会社は数多あれど、口先だけでなく、
会議体系や企画決済、流通、販売、サービスの構造までが
本当に「逆回し」になっている日本企業は少ないのかもしれない。

アマゾンのサービスの部分はどうなんだろう。
「逆回りの思考」になっているのか?

以前は、問い合わせ先が分かりにくかったり、
電話で問い合わせてもつながらないといったことを耳にすることがあり、
アマゾンのカスタマーサービスは整っていない印象があった。

最近は、その部分も整備されてきているような感じがする。

ウェブサイトにも問い合わせ窓口が明記されているし、
身近に電話で対応してもらったというケースを何件か聞き及んでいるからだ。

ただ、もしかしたら、アマゾンのカスタマーサービスの方針は、
日本のいわゆる日本のお客様相談室的な思想とは違うのかもしれない。

このあたりは今後あらためて考えてみたい。


インタビューでは、こんな話も出ていた。


 実は最初の頃、いろいろな出版社から「前向きな評価だけアップしたらどうか」と
 クレームをもらいました。そのほうが本の売り上げが伸びるからです。

 でも私たちの意見は違いました。

 私たちがやりたかったのは、本を売ることではなく
 お客様が買うかどうかを判断するためのお手伝いです。

 だからいい意見も悪い意見も必要。

 そして何度も思ったのは、お客様のニーズに応えるように努力していれば
 必ず信頼を得るということです。

 長い目で見れば買い物もたくさんしてくれるのです。

 長期的展望がなければこうしたアプローチはできません。

 私たちのサイトには以前買った物を知らせる機能もあります。
 お客さまに注意してあげるのです。

 以前買ったCDをうっかり1年後に買ってしまうことがあるでしょう。
 だから私たちは知らせることにしました。

 インスタント・オーダー・アップデートという機能です。
 これは短期的には売り上げを多少下げますが
 本当にお客様と同じ目線に立つなら意味のある機能です。

 私たちの目標は成長ではありません。
 お客様に最高の満足体験を提供することなのです。


この発言を聞いて気付いたのは、
これは「メーカー」でなく「小売」の視点であると言うこと。

小売のほうが顧客主義を徹底できるのかもしれない。

メーカーは、自分のところの商品という枠の中で、
顧客主義を考えざるを得ないところがある。

分をわきまえたというか、制限つきの顧客主義になりがちだ。

アマゾンの目指すような顧客主義がこれからもっと求められるとすると、
その中心になるのはメーカーではなく販売店ではないか。

例えば、無印ブランドの良品計画は、ほとんどの製品がOEMだと
聞いたことがある。

コンビニやスーパーでは、カップラーメンとかお菓子とか、
オリジナル商品が見受けられる。

あるメーカーの話で、OEM商品について、
商品によっては、同じ工場、同じ生産ラインで作っているので
品物としては全く変わりがない…という記事を読んだことがある。

そして、メーカーのブランドがついてない分、価格は安い。

無印やコンビニでは、

あるメーカーの商品ではなく、
ある販売ブランドの商品というのが優位になっている。

○○社のシャツでなく、無印のシャツ。

○○社のカップラーメンではなく、セブンイレブンのカップラーメン。

○○社の□□でなくアマゾンの□□。


突き詰めると、アマゾンの求める仕様、品質、価格の商品を
OEMの形でアマゾンブランドに提供せよ…という流れが起こっても
おかしくないように思える。

なぜなら、アマゾンは「地球で最もお客様を中心に考える会社」だからです。


最後に、アマゾンの顧客主義とは何なのかまとめると、

 それがなくては困ると必要とされる存在になること。
 (依存的な状態にさせるという要素もあるかもしれない)
 
 それから、信頼されること、好かれること。

と言えるのではないかと考える。


それにしても、日本企業は、もっと「好かれる研究」というのが必要だと思う。

特に従来の「背広のおじさん」というイメージから脱するべき。

ガイカワサキの『人を魅了する』とか、英語力不足でまだ読み切れていないが、
『Likeable Social Media』『Likeonomics』などを読むと、

この「好かれる研究」という流れが
いずれ日本企業にも波及するのではないかと予想する。


[おまけ]

1.ベゾスの人生観が分かる言葉。

 私は気付きました。
 もし挑戦して失敗してしても後悔しない。

 でも、もし挑戦しなかったら80歳になっても「後悔しているだろう」と思ったんです。
 80歳のあなたを想像してみてください。そのとき後悔は最小限にしたいでしょう。

 ほとんどの後悔は自分が怠慢でやらなかったことなのです。
 後悔するのは“やらないこと”です。


2.番組のアーカイブがあります。

 テレビドガッチ カンブリア宮殿

古典は難しいよ

2012年06月24日 | 日記
オルテガの『大衆の反逆』を読み進めてきましたが、
あと残り2章という段になっても、今一つよく分かりません。

自分のバカさ加減に焦りを感じていたのですが、

そうだ、誰か分かりやすく解説している人がいるはずだと思い、
探してみました。


おもいのままに : 大衆の反逆の要約

大衆の反逆 ~1章 充満の事実~ - 読書考察 -Reading consideration-

内田樹の研究室 2006: 階層化=大衆社会の到来


ありがとうございました。分かりました。

これから古典を読むときは、本に先んじてメタ情報を抑えるというのは
有効なメソッドかもしれない。

自分の軸を作るために、これから古典を読んでいこうとしていますが、
次は『森の生活』を読み始めています。

こちらはスイスイ読めそうですね。面白いし。


話は戻りますが、「オルテガ」ってどこかで聞いた名前だなと思っていましたが、
恐らく、内田樹先生の本だと思います。

昔(3~4年前まで)は、内田先生の本が出たら必ず読んでいましたから。


さて、このオルテガの言う「大衆」。

現在のネット社会とからめて考察したら、どういう話になるんだろうかと思いましたが、
これはという文献が見つかりませんでした。

自分で考えてみるかな。


謙虚さ

2012年06月21日 | 日記
グループ会社のエライ方が階下に降りてくることがある。

明るくて、大変愛想がよく、そして腰が低い。

「やや、いつもありがとうございます」

「はー、すごいですねぇ」

「こちらこそ、いやー、どもども…」

なんて言いながら、深いお辞儀をして去っていく。

「困っちゃうよな。あんなエライ人にお辞儀されちゃあ」
と満更でもない風情なのは我が上司。

さすが、組織のトップに立っていた方は謙虚だなと
自分も感心しかけたのだが、

何かひっかかる。


どうも過剰と言うか、浮ついた感は否めないのである。

そして、あの腰の低さがどこから発しているのかと考えてみると、

それは「余裕」なのではないかと思った。

自分が絶対的に立場が上である、どんなに腰を低くしても自我は傷まない。

むしろ「こんなにエライのに腰の低い自分ってなんて器が大きいんだろ」みたいな。


自分の来し方の中で、尊敬できる人、謙虚だなと思う人を思い浮かべてみた。

どの方も、静かで重みのある謙虚さだったような気がする。

好みの問題だろうか。


さて、自分は「浮つき派」「重み派」どっちかと自省してみれば、

明らかに「浮つき派」です。

人間は自分の欠点を人の中に見出して嫌な気分になることがあります。

自戒の念をこめて。


Shiseido

2012年06月20日 | 日記
今日の勉強会では資生堂の中国事業部の方の発表を聴講した。

会場で見せていただいた中国のCMがなかなか良かった。


Shiseido China




Shiseido White.mov



中国におけるCSとは何なのか。

日本でいう顧客満足と、どこが同じで、どこが違うのか。

すごく興味があるのだが、質問時間もあまりなかったし、
手を上げる勇気もなかったし。

9月にも別の勉強会で資生堂の方のお話を聞かせていただく予定。
そちらは日本国内の話です。

キム先生VS宝彩先生

2012年06月10日 | 日記





同じタイミングで買った2冊の本。

宝彩さんの本は、ほとんど読んでいて、新刊が出ると無条件に購入しています。

『気楽なさとり方』(講談社プラスアルファ文庫)を苦しいときに何度も読んで、
そのときも救われましたが、後年、自分の欠かせないフレームワークとなりました。

ジョン・キムさんは、セミナーで拝見し、ただならぬ貫禄と落ち着いた物腰、
適格で深みのある発言で、凄そうな人だなと思っていました。

今月、もう一冊著者が出るようです。そちらも読んでみます。

さて、私はつねに5冊くらいの本を同時並行で読んでいるのですが、
この2冊については、「アレ、なんか似ているぞ」と思いました。

でも、似ているようでテーマによってはスタンスが違うような気がする。

同じようなことを言っているところもありますが、
両者の表現が違っていて、そこが面白いと感じました。

今回は、お二人にインタビューする形式にして、
両書より引用させていただきました。


 *  *  *  *  *


「生きる」とはどういうことですか?


キム 自分を成熟させていくことだ。
   未熟から成長に向かうプロセスこそ生きる意味だ。


宝彩 生きているのではなく、生かされている。
   そのことを忘れずに自分に与えられた人生の日々を過ごしましょう。




どうしたら「幸せ」になれるのでしょうか?


宝彩 簡単です。「不幸になる考え方をしないこと」、それだけです。
   「幸福」とは心の思い方次第。人間はもともと大幸福なんですよ。

   もともと「大幸福」って分かりづらいかもしれませんね。   
   説明すると長くなるので『気楽なさとりかた』を読んでください。


キム 人間として自分を深め、知識や教養を得、人生の意味について深く理解をし、
   自分自身について知ろうとし、他者についてより深く理解する感性を得、
   思考力や行動力を手に入れていく。

   こういう実感こそ、大きな幸せなのだ。




落ち込んで暗い気持ちになってしまうときがあります。


キム ネガティブな感情が湧きあがってきたら、それと向き合うことだ。
   見て見ぬふりをすると潜在意識に潜り込んでしまう。
   
   ネガティブな感情と向き合って表舞台に引っ張り出せば、
   居心地が悪くなって逃げていってしまう。

   大切なのは、そこに立ち向かう意識だ。


宝彩 「人生は全部練習だ」と思うくらいでいいんですよ。
   向上心を持たなくてはいけない、不安を無視してはいけない、
   頑張らなくてはいけない、などと思いすぎていませんか。

   「私は私のままで大丈夫」、そうつぶやいてみましょう。




「行動する」ことについて、どのようにお考えですか?


宝彩 失敗しても無駄をしても、行動した人は、すべて人生の成功者です。
   たとえ失敗しなくても、無駄をしなくても、行動しなかった人は不成功者、
   つまり人生の失敗者です。

   「行動しないこと」はすべて失敗ですが、「行動したこと」はすべて成功。


キム たとえうまくしかなかったとしても、アクションはそれ自体で大きな意味がある。
   それは、アクションを起こすことによって、見えてくる景色が変わってくるということだ。

   どんなに頭を使っても、アクションして見えてくることには絶対にかなわない。
   頭のよさだけでなく、動くことこそが、人生には大事なのである。




最後にみなさんにメッセージを。


キム 今のこの瞬間を最後だと思って生きていかなければならない。
   死と正面から向き合うことで初めて人間らしい生き方ができる。

   今この瞬間を最後だと思い、燃え尽きるよう生きること。
   そして最後は自分に残されたすべての夢も欲も愛も使い尽くし、
   何も残されていない絶望の中で死ぬ。

   それこそが、美しい人生であると私は思う。


宝彩 もし、今日が人生最後の日だったら。
   一つひとつの会話や目から見えるもの、手に触るもの、食事の味なども、
   きっと全然違ったものに感じるでしょう。
  
   そして、どれほどの「恩恵と幸せ」が、生きているということで、
   毎日、豊かに潤沢に与えられていたのかということを
   思い知ることになるのではないかと思います。

   「価値ある人生にする」ことばかりを考えていると、
   人生の本当の価値を失ってしまいます。

   そうなり過ぎに気づいたら、思い切って考え方を切り替えてください。
   「人生にどんな目標も成果も不要」だと。

   そして、今を生きる。今を感謝して楽しむ。


キム先生、宝彩先生、今日は素晴らしいお話をありがとうございました。

この人は凄いなと思った

2012年06月07日 | 日記
ライフネット生命の出口社長のお話を聞かせていただいた。

この講演をもとに、感想を書こうと思えばいくらでも書けそうなのだが、
今も個人的に強く印象に残り続けているところのみに留めます。

 天につばするようだが、ビジネス書を読む時間があったら歴史、哲学、古典を読むのがいい。

 何百年、何千年と残ってきた古典というのは超一流の頭脳。

 その超優秀な頭脳の「思考のプロセス」を追体験したほうが圧倒的に役に立つ。

 ビジネスは人間を理解すること。そのためにも古典が役に立つ。

この話を聞いて「古典を何か読もうかな~」と思ったときに、
以前『日本企業が欲しがる「グローバル人材」の必須スキル』という
本にも通ずることが書かれていたのを思い出した。

ちなみに著者の内永さんは、来月開催されるセミナーにパネリストとして登壇される。
今から楽しみだ。

その内永さんの著書を引っ張りだしてみると、
巻末に「ブレない軸をつくる古典リスト」というのがあった。

早速、そのリストにあるオルテガの『大衆の反逆』を図書館で予約してみた。

ファーストフード的な書籍と違って噛みごたえはあるだろうけど、
なんとか読み切ってみたい。


 *  *  *  *  *


脳はコンピュータのようにつながる性質がある。

もし本当にそうなら、

物理的な距離が近ければ近いほど、優秀な生の頭脳につながることができることになる。

だから、講演会やセミナーでは、なるべく前の席に座る。

あと、自分はなんとなく人のオーラみたいなものを感じることができるような気がする。

いいオーラの影響を受けるためにも前の席のほうがお得な気がしている。

オーラとまで言わなくても、磨きぬかれた優れた人格に触れたことで
今回、自分が感化されたという実感がある。

ここ数日は、会社でイライラしそうになると出口社長のこんな言葉を思い出して
心を清めている。(正確でないところはご容赦ください)

 人間は三角だったり四角だったり、いろいろな形をしている。
 それをうまく積み上げて石垣(組織)をつくる。

 隙間は上司が身をかがめて埋める。

 部下の間で小さな石ころになる。
 それが上司の仕事。

 人の長所を伸ばすのは一流の人間でないとできないことなので、
 なかなか人の長所を伸ばすことはできない。

 それで、短所を削ってしまうと、結果、円に内接する三角みたいになってしまう。

 人間の意欲や能力は面積の大きさなので、角を削らず自然石として生かす。


実際、建築の専門家によると、きれいに揃った石を並べた現代の石垣よりも、
不揃いな石を並べた昔の石垣のほうが頑丈なのだそうだ。

あと、ライフネット生命の保険について、缶ビールのたとえが分かりやすかった。

缶ビールをお店で買って飲めば250円だけれど、
居酒屋で飲むと600円になる。

リアルな店舗や営業スタッフを抱えていない分、
そのコストを上乗せしていないので保険料を従来の半額にできるのだ、
ということだった。

この話、会社で思わず周りの人に話たくなるのだが、
勧誘しているみたいで嫌な気もするので、グッとこらえる。

しかし、人に話したくなるなんて、まさに words of mouth だなと思う。


[おまけ]

出口社長は、身を削って(恐らく)全国を講演にまわられているので、
講演内容をまとめたブログもいくつか見つかりました。
(すみません。勝手に紹介させていただきます)

ブログ:私らしいキャリアデザイン/ライフネット生命出口社長の講演

あっ、切り込み隊長も…
やまもといちろうBLOG:ライフネット生命というより、出口社長というオヤジが凄かった (前ふり)

永井孝尚のMM21:第27回 朝カフェは、ライフネット生命保険社長 出口治明さんの「情報発信の需要性」。朝カフェ史上最大の盛り上がりでした

スライド:LIP主催 出口治明社長講演会&トークセッション








子供にどんな環境を用意するか

2012年06月04日 | 日記
偶然の出会いや縁、自分のアンテナに従って
セミナーや勉強会に顔を出している。

共通して耳にするのは時代が変わっているということ。

加えて、だから、今までの考え方や、やり方がベストかは分からない
ということ。

生き方や仕事ではなく、子供の教育について、
具体的な例がふと思い浮かんだのでエントリーを書いてみます。


 * * * * *


うちの幼児には、おさがりを含め、たくさんの教育的な玩具が家の中にある。

手先を養うものや、文字のつみき、パズル、数字の感覚を身につけるためのもの。

身近なところに目につくように工夫して並べているのだが、
あまり興味を示して自分から遊ぼうとはしない。


それは、そうなのかもしれない。


もっと面白いものがあるからだ。

一番好きなのは、ipad、iphone、スマホなど、デジタルデバイスとアプリである。

それから、これ。



プリキュアに夢中で、このおもちゃで毎日、飽きずに遊ぶ。

端から見ると、同じことを延々繰り返しているように見えるけど、
どうも本人の中では、いろいろなストーリーをイメージしながら
その世界に入りこんで遊んでいるようだ。

「こう言って」「ああして」「そうじゃない!」と演出の注文が多く、
相手をする大人も大変なんだけど。


それから、母親が集めている「リラックマの食玩」。



すごく小さいもので、乳幼児向けの玩具としては、
大きさの基準から考えると成立しないサイズだと思うのだが、
これも1歳代からずっと遊びの定番になっている。
(もちろん1歳台の頃は、ひとときも目を離せない)

自分の常識的な感覚では、ボール玩具とか、文字のつみきとか
レゴブロックとかマグネットの数字ボードとか、

教育的な玩具で手を使って遊ばせるのは、疑いようもなく「いいこと」だった。

しかし、それが今の子供たちにとって本当に正解なのか、
最近、感じ取れる潮流を考えるといよいよ分からなくなってきた。

恐らく何年も経たないと正解が見えてこない以上、
自分の直観や思考に基づいて判断するしかないのだが、

もしかしたら、従来的な学習観でクラフトワーク能力を中心に養うよりは、
ユビキタスの世界というのか、まだパブリックで広く共有されていない学習観で、

積極的に電子デバイスに親しませたり、そのリテラシーを養うことのほうが
子供の教育の割合として増えてきて、それが常識となる可能性だってある。

歴史を振り返れば、マンガは子供の教育にとっては「悪」だった時代があった。

しかし、マンガで育った世代が親になるようになって久しく、
マンガで学ぶということも、すっかり抵抗感がなくなっていると思う。

テレビが悪だったこともある。

教育的なビデオやDVDというのも然り。

チャレンジのしまじろうのDVDなんて、相当の数の子供が見ているはず。

(もちろん見せ過ぎはよくない。子供により良く育ってほしいと願い、
その愛情のもとに与えるのを前提とした話)

それから、うちの幼児でいえば、youtyubeでだいぶ学習していると思う。

特に海外のコンテンツを英語に限らず楽しんでいる。
(今はプリキュアの割合が多くなってしまったけど…)


 * * * * *


昔、聞いた話だが、

『ずっこけ三人組』というロングセラーの児童書も、
最初はこんなマンガみたいな読み物はけしからん…と言われていたらしい。



今や良書として推薦されている本。

そういえば、『アンパンマン』も最初は業界の評判がよろしくなかった
という記事を読んだ記憶がある。

このように教育についても、時代によって何が良いのかは変化する。

従来は、別に半歩先の教育を目指さなくても、
評価が定着しているもので、みんなと一緒に同じようにしていれば
間違いが少なく手堅い方法だった。

それほど、大きな差は出ない。

しかし、今は、電子デバイスとかクラウドとかテクノロジーが猛烈に進化していて、
変化の真っ最中なので、何が良いのか全く分からない状態になっている。

何が良かったのかは、後年分かってくるのだろうが、
バスに乗った人と乗り損ねてしまった人、といったくらいの違いになる。

恐らく、その差は、かなり大きい。

教育について関心があったり、下手に知識を持っている親は、
テクノロジーの進化と自分の教育観の狭間で
悩ましいところもあるかもしれない。

新しいものが正解という保証はないし、
そこが判断のしがいがあって面白いところだと思う。

判断の拠りどころとなるのは、月並みだが、
我が子に健康で、より良く育ってほしいとい親の愛情。

子供の様子をよく観察しながら、よかれという環境を吟味して
用意してあげるしかない。


【おまけ】

テクノロジーだけでなく、どんな学校教育を受けるかというのも
決定的に大きくなりつつあって、

先日の tec&edu でも痛感したが、日本の難関高校や東大ではなく、
海外の高校や大学という志向がますます増えてくるだろう。

日本にそうした学校が出来るようになればいいのだが、
まだまだ時間がかかるだろう。

やはり、インターナショナルスクールやアメリカのボーディングスクールを
目指すのがいいように思う…

幼児が起きてきたので、今回は、これにて終わります。