叔父さんの通夜に出てきた。
小さい頃は怖い印象しかなかったが、
大きくなって大変お世話になり、顔を会わせる機会も多かった。
叔父さんは、平日は夜勤の仕事をし、土日はビル掃除のバイトをして、
毎日、よく働いていた。
家計は非常に厳しかったと思われるが、
家を買って、子供4人を育て上げたことは尊敬に値する。
自分は、高校生の頃から、たまに叔父さんのビル掃除のバイトを手伝うようになった。
その頃、人と接するのが苦痛になっていた自分にとって、黙々とやれる仕事は性に合った。
そのバイトは、高校、大学、そして社会人になってからも続けていたのだが、
やがて会社の仕事があまりに忙しくなり辞めた。
今でもたまにビル掃除の仕事はやりたいなと思うことがある。
お金の問題ではなく、あの作業自体が好きなのだ。
掃除は、第一土曜は銀座、第二日曜は三田、第三土曜は上野…といった具合に、
現場が決まっていた。
ただ、たまに御茶ノ水の現場を手伝うことがあって、そこに小田さんという人がいた。
掃除しながら、つばをペッペッと吐くのがクセだった。
小田さんとは、ほかの現場でも一緒になることがあり、
それなりに顔見知りではあった。
さて、大学4年のとき、自分がアフリカに数ヶ月間行くことになり、
現場でいっしょになった小田さんにその話をしたことがある。
仕事が終わり帰ろうとすると 「ほい、餞別」 と、
その日の小田さんの日当くらいの金額を渡された。
普段、それ程のつながりはないのに、この金額はもらえないと
さすがに辞退したが、
「いいから持ってきなよ。アフリカに行くってえ。そんな話を聞かされちゃなー」
と茶封筒を押し付けられ、ありがたく頂戴することにしたのだった。
それがとても深く印象に残っていて、いまだに忘れられない。
叔父さんの通夜の話に戻すと、掃除でいっしょだった
かつての仕事仲間も来るだろうなと思っていた。
受付をしながら、4~5人は来るかなと顔を思い浮かべていたが、
通夜が始まっても誰も来ない。
結局、通夜も終わりかけの時間に小田さんが現れて、
思わず声が弾んだ。
「あっ、小田さん! お久しぶりです!!」
「よっ、久しぶりだな。元気だったかい。」
とてもいい顔をしている。目が澄んでいる。
「俺はさあ、年金もらって暮らしてるよ」
「掃除は今も続けてるんですか?」
「ああ、ダメダメ。不景気でさ。8年前に辞めたよ。
今はさ、年金もらいながらタクシーの運転手してんの」
語り口といい、相変わらず 「寅さん」 みたいな人だ。
「ああ、あのさー、言っといてくんない?香典返しとか要らないからさあ」
「え」
「困るんだよー。なんか大きい物とかもらっちゃったりするとさ。使わねえから。
結構、入ってっから、気ぃ使われるとなー」
そういって香典を差し出した。
書き損じたのだろう、ぐちゃぐちゃと何かを塗りつぶした下に「小田」と名前が書いてある。
それで小田さんは、すっと会場に入って焼香を済ませたと思ったら、
あっと言う間に出てきた。飲み食いもしなかったようだ。
「車できてっからさ。仕事中なんだよ。じゃ、元気でな」
そういうと、さっと帰っていった。
香典袋の裏を見ると 50,000円 と書いてあった。
昔、掃除をしながら、どこに住んでいるかと言う話になって、
小田さんは母親といっしょに小さなアパートに住んでいると言っていたことを覚えている。
確か風呂もなかったと言っていたような…その辺の記憶は少しあいまいではある。
香典の住所を見ると、●●荘と書いてあり、
相変わらずの暮らしぶりなのではないかと察せられる。
そう言えば、叔父さんを病院にお見舞いに行ったとき、掃除時代の話になった。
叔父さんは、「掃除のときの連中も何人かきたよ。こないだは、小田がきた」
と言っていたっけ。
叔父さんは小田さんのことを言うときは昔からうれしそうに言う。
「あいつは人はいいけど、バカだからよ~」とか親しみを込めて
結構ヒドイことも言う。
お見舞いのときも、例によって「小田はさ~」と、うれしそうに言っていたのだが、
ふと「あいつは●●●●ーだからよ」と言ったのでビックリした。
ああ、そうだったのか。
会社勤めをしていると、ずるかったり、いじわるだったり、えばったり、
上を見ると尊敬できない人間が多いし、やはりそれなりに内面が顔つきに表れている。
もちろん、全員ではないけれど、ああはなりたくないなと思う人のほうが多い。
会社では日々そんな感じだが、
今日は、年をとったら小田さんみたいにありたいなと思った。
最近は、本を読んだり、セミナーに出たりして、
これからの時代の変化に思いを馳せたり、今後の自分の生き方を見直したいと
強く思うことが多いのだが、
今日は、子供みたいな目をした小田さんに久しぶりに会って、
セミナーとは、また違った刺激を受けたようだ。
叔父さんには、明日また会いにいく。いよいよお別れだ。
小さい頃は怖い印象しかなかったが、
大きくなって大変お世話になり、顔を会わせる機会も多かった。
叔父さんは、平日は夜勤の仕事をし、土日はビル掃除のバイトをして、
毎日、よく働いていた。
家計は非常に厳しかったと思われるが、
家を買って、子供4人を育て上げたことは尊敬に値する。
自分は、高校生の頃から、たまに叔父さんのビル掃除のバイトを手伝うようになった。
その頃、人と接するのが苦痛になっていた自分にとって、黙々とやれる仕事は性に合った。
そのバイトは、高校、大学、そして社会人になってからも続けていたのだが、
やがて会社の仕事があまりに忙しくなり辞めた。
今でもたまにビル掃除の仕事はやりたいなと思うことがある。
お金の問題ではなく、あの作業自体が好きなのだ。
掃除は、第一土曜は銀座、第二日曜は三田、第三土曜は上野…といった具合に、
現場が決まっていた。
ただ、たまに御茶ノ水の現場を手伝うことがあって、そこに小田さんという人がいた。
掃除しながら、つばをペッペッと吐くのがクセだった。
小田さんとは、ほかの現場でも一緒になることがあり、
それなりに顔見知りではあった。
さて、大学4年のとき、自分がアフリカに数ヶ月間行くことになり、
現場でいっしょになった小田さんにその話をしたことがある。
仕事が終わり帰ろうとすると 「ほい、餞別」 と、
その日の小田さんの日当くらいの金額を渡された。
普段、それ程のつながりはないのに、この金額はもらえないと
さすがに辞退したが、
「いいから持ってきなよ。アフリカに行くってえ。そんな話を聞かされちゃなー」
と茶封筒を押し付けられ、ありがたく頂戴することにしたのだった。
それがとても深く印象に残っていて、いまだに忘れられない。
叔父さんの通夜の話に戻すと、掃除でいっしょだった
かつての仕事仲間も来るだろうなと思っていた。
受付をしながら、4~5人は来るかなと顔を思い浮かべていたが、
通夜が始まっても誰も来ない。
結局、通夜も終わりかけの時間に小田さんが現れて、
思わず声が弾んだ。
「あっ、小田さん! お久しぶりです!!」
「よっ、久しぶりだな。元気だったかい。」
とてもいい顔をしている。目が澄んでいる。
「俺はさあ、年金もらって暮らしてるよ」
「掃除は今も続けてるんですか?」
「ああ、ダメダメ。不景気でさ。8年前に辞めたよ。
今はさ、年金もらいながらタクシーの運転手してんの」
語り口といい、相変わらず 「寅さん」 みたいな人だ。
「ああ、あのさー、言っといてくんない?香典返しとか要らないからさあ」
「え」
「困るんだよー。なんか大きい物とかもらっちゃったりするとさ。使わねえから。
結構、入ってっから、気ぃ使われるとなー」
そういって香典を差し出した。
書き損じたのだろう、ぐちゃぐちゃと何かを塗りつぶした下に「小田」と名前が書いてある。
それで小田さんは、すっと会場に入って焼香を済ませたと思ったら、
あっと言う間に出てきた。飲み食いもしなかったようだ。
「車できてっからさ。仕事中なんだよ。じゃ、元気でな」
そういうと、さっと帰っていった。
香典袋の裏を見ると 50,000円 と書いてあった。
昔、掃除をしながら、どこに住んでいるかと言う話になって、
小田さんは母親といっしょに小さなアパートに住んでいると言っていたことを覚えている。
確か風呂もなかったと言っていたような…その辺の記憶は少しあいまいではある。
香典の住所を見ると、●●荘と書いてあり、
相変わらずの暮らしぶりなのではないかと察せられる。
そう言えば、叔父さんを病院にお見舞いに行ったとき、掃除時代の話になった。
叔父さんは、「掃除のときの連中も何人かきたよ。こないだは、小田がきた」
と言っていたっけ。
叔父さんは小田さんのことを言うときは昔からうれしそうに言う。
「あいつは人はいいけど、バカだからよ~」とか親しみを込めて
結構ヒドイことも言う。
お見舞いのときも、例によって「小田はさ~」と、うれしそうに言っていたのだが、
ふと「あいつは●●●●ーだからよ」と言ったのでビックリした。
ああ、そうだったのか。
会社勤めをしていると、ずるかったり、いじわるだったり、えばったり、
上を見ると尊敬できない人間が多いし、やはりそれなりに内面が顔つきに表れている。
もちろん、全員ではないけれど、ああはなりたくないなと思う人のほうが多い。
会社では日々そんな感じだが、
今日は、年をとったら小田さんみたいにありたいなと思った。
最近は、本を読んだり、セミナーに出たりして、
これからの時代の変化に思いを馳せたり、今後の自分の生き方を見直したいと
強く思うことが多いのだが、
今日は、子供みたいな目をした小田さんに久しぶりに会って、
セミナーとは、また違った刺激を受けたようだ。
叔父さんには、明日また会いにいく。いよいよお別れだ。