「この部分、読んでみたら」
奥さんが図書館で借りてきた本だそうで、
読んでみたら、これがためになる。
奥さんは、人にモノを薦めるときには、
相手のことを考えて十分に吟味してから薦める。
見習いたいところの一つです。
さて、その本とは
『ブッダにならう 苦しまない練習』(著・小池龍之介/小学館)
の中の「親孝行をする」という章でした。
ブッダは、父母の世話をあれこれしても、大金を渡しても、
育てられた借りを返済したことにはならないと説きます。
父母が確信がなく優柔不断な性格ならば、確信を持って生きられるようにしてあげる。
父母が破戒者であるならば、ルールを守れるようにしてあげる。
父母がケチであるならば、他人に分け与えるよう心を変えてあげる。
父母に知恵がないなら、知恵をつけさせてあげるように。
君がこうして親を育ててあげれば、父母からの借りを本当に返済したことになる。
そして、「真の親孝行は、親が作った悪業をなくしてあげることだ」とあります。
う~ん、むしろ先頭きって親の至らないところを指摘することのある自分にとって
大変耳の痛い話ではあります。
さらに、話は続きます。
親を変えるには、自分がまず変わることです。それもかなり変わる必要があります。
特に、親と同居している場合、共に過ごす時間が多い相手なので、
お互いに心の波を浴びせ合い、お互いを無意識にコピーして甚大な影響を与え合っています。
その影響の与え方は定常化していて、同じパターンを補強し合っています。
よく分かります。「交流分析」にも通じることかと思われます。
なぜなら、私は言葉に出さないだけで、心の中では怒っていたのですから、
「業」というレベルでは変わっていないのです。私が怒りの業を積み、
その怒りの波は母にも確実に届いていますので、母は自分の怒りによって
私を怒らせることにきちんと成功し、またその報いもきちんと受けていたのです。
怒りを表面に出さない程度では、相手を変えることはできません。
これは親だけでなく、職場でも言えることだと思います。
例えば、事務系の職場で、ずっと席に座っているような場合、
同じ部署の人たちとは距離も近いし、いっしょに過ごす時間も多く、
人間関係は非言語レベルでも濃密になってくると思います。
ルールやマナーの面で、人によって感覚の異なるところがありますし、
特定の人の言動に怒りを感じるようなケースもあるかと思います。
でも、相手に怒りを感じないように自分の心を整え、
自分の心がぶれないように自制し、ニュートラルな心の状態を心がける。
相手は、自分に対して嫌な波が送られてこないと感じると、自然と冷静になり、
自分の言動を振り返り自分でセーブするようになる。
…本書の言葉をだいぶ借りましたが、こんなマインドセットをするだけで、
少し楽になれる方もいるのではないでしょうか。
本書には、こんな記述もあります。
どうしてもそういう人と一緒に仕事をしなくてはならないとか、
一緒に過ごさなければいけない時は、なるべく相手のノイズや影響を
受けないよう、自分の心を防御し、整えながら付き合ってまいりましょう。
ご参考になる方がいらっしゃったら幸いです。
さて、話を親孝行に戻しますが、この一章を読んで一両日あれこれ考えました。
その結果、今は次のように自分なりに解釈をしています。
まず、「親の至らないところは子の責任」である。
なぜなら、親の短所を子供は身をもって、よ~く分かっているのだから、
今度は成熟した大人として、親を育てる番だから。
それが「君を養い、いろいろなことをしてくれて、君にこの世を見せてくれた」
親に借りを返すことになる。
困難なことだが、それは、その親に育てられた子供にしかできないことだ。
…書いているとエラそうになってしまいます。言うは易しですね。
でも、そう心がけるだけでも今後の親への接し方が変わると思います。
かなり引用させていただきましたが、最後にもう一箇所。
…親との関係を円滑にすることこそが親からの呪縛を解くことにつながります。
逆説的に見えるかもしれませんけれども、関係が悪化しているせいで心に棘がささっていて、
呪縛されているのですから、仲良くなれば、その呪縛が解けて自由になります。
実は親孝行することこそ、長年の呪縛を解くことになり、
ひいては自分のためになるのです。
実は、奥さんは、この著者の本をまとめて3冊借りてきていました。
本書は読み終わりましたし、この著者とは相性がいいみたいなので、
残りの2冊も読んでみたいと思います。
奥さんが図書館で借りてきた本だそうで、
読んでみたら、これがためになる。
奥さんは、人にモノを薦めるときには、
相手のことを考えて十分に吟味してから薦める。
見習いたいところの一つです。
さて、その本とは
『ブッダにならう 苦しまない練習』(著・小池龍之介/小学館)
の中の「親孝行をする」という章でした。
ブッダは、父母の世話をあれこれしても、大金を渡しても、
育てられた借りを返済したことにはならないと説きます。
父母が確信がなく優柔不断な性格ならば、確信を持って生きられるようにしてあげる。
父母が破戒者であるならば、ルールを守れるようにしてあげる。
父母がケチであるならば、他人に分け与えるよう心を変えてあげる。
父母に知恵がないなら、知恵をつけさせてあげるように。
君がこうして親を育ててあげれば、父母からの借りを本当に返済したことになる。
そして、「真の親孝行は、親が作った悪業をなくしてあげることだ」とあります。
う~ん、むしろ先頭きって親の至らないところを指摘することのある自分にとって
大変耳の痛い話ではあります。
さらに、話は続きます。
親を変えるには、自分がまず変わることです。それもかなり変わる必要があります。
特に、親と同居している場合、共に過ごす時間が多い相手なので、
お互いに心の波を浴びせ合い、お互いを無意識にコピーして甚大な影響を与え合っています。
その影響の与え方は定常化していて、同じパターンを補強し合っています。
よく分かります。「交流分析」にも通じることかと思われます。
なぜなら、私は言葉に出さないだけで、心の中では怒っていたのですから、
「業」というレベルでは変わっていないのです。私が怒りの業を積み、
その怒りの波は母にも確実に届いていますので、母は自分の怒りによって
私を怒らせることにきちんと成功し、またその報いもきちんと受けていたのです。
怒りを表面に出さない程度では、相手を変えることはできません。
これは親だけでなく、職場でも言えることだと思います。
例えば、事務系の職場で、ずっと席に座っているような場合、
同じ部署の人たちとは距離も近いし、いっしょに過ごす時間も多く、
人間関係は非言語レベルでも濃密になってくると思います。
ルールやマナーの面で、人によって感覚の異なるところがありますし、
特定の人の言動に怒りを感じるようなケースもあるかと思います。
でも、相手に怒りを感じないように自分の心を整え、
自分の心がぶれないように自制し、ニュートラルな心の状態を心がける。
相手は、自分に対して嫌な波が送られてこないと感じると、自然と冷静になり、
自分の言動を振り返り自分でセーブするようになる。
…本書の言葉をだいぶ借りましたが、こんなマインドセットをするだけで、
少し楽になれる方もいるのではないでしょうか。
本書には、こんな記述もあります。
どうしてもそういう人と一緒に仕事をしなくてはならないとか、
一緒に過ごさなければいけない時は、なるべく相手のノイズや影響を
受けないよう、自分の心を防御し、整えながら付き合ってまいりましょう。
ご参考になる方がいらっしゃったら幸いです。
さて、話を親孝行に戻しますが、この一章を読んで一両日あれこれ考えました。
その結果、今は次のように自分なりに解釈をしています。
まず、「親の至らないところは子の責任」である。
なぜなら、親の短所を子供は身をもって、よ~く分かっているのだから、
今度は成熟した大人として、親を育てる番だから。
それが「君を養い、いろいろなことをしてくれて、君にこの世を見せてくれた」
親に借りを返すことになる。
困難なことだが、それは、その親に育てられた子供にしかできないことだ。
…書いているとエラそうになってしまいます。言うは易しですね。
でも、そう心がけるだけでも今後の親への接し方が変わると思います。
かなり引用させていただきましたが、最後にもう一箇所。
…親との関係を円滑にすることこそが親からの呪縛を解くことにつながります。
逆説的に見えるかもしれませんけれども、関係が悪化しているせいで心に棘がささっていて、
呪縛されているのですから、仲良くなれば、その呪縛が解けて自由になります。
実は親孝行することこそ、長年の呪縛を解くことになり、
ひいては自分のためになるのです。
実は、奥さんは、この著者の本をまとめて3冊借りてきていました。
本書は読み終わりましたし、この著者とは相性がいいみたいなので、
残りの2冊も読んでみたいと思います。