今やどんな商品も、すぐに類似商品が出る時代です。
商品が “スナップショット” だとすれば、商品とビジネスモデルをからませて
“動画” にすれば少しは真似しにくくなります。
さらに、そのモデルをどんどん変化させて一定のところにいない、
加えて、端から一見すると非合理に見えるくらい構造を複雑にしていく、
という戦術もあるかと思います。
このあたりのことは、以前このブログにも書きました。
しかし、もっと模倣しにくいビジネスモデルがあります。
ここで思い出すのは、昨年亡くなった立川談志師匠です。
一時期、数年間だけですが、行ける限りの高座を追いかけた時期がありました。
特に国立演芸場の「ひとり会」では、
高座の途中で解説を始めたり、悩みだしたり、途中でやめてしまったり、
何を演ろうかと高座でメモを見ながら検討しはじめたり…
その落語には「欠損の仕方」にオリジナリティがありました。
それだけでなく、そのほつれ具合、破れ具合も複雑であったように思います。
そこで、今回のテーマの最初のポイントは、
「 欠点は模倣しにくい 」 ということです。
同業他社の優れた着眼点、コンセプト、良い機能やデザインなどは、
皆こぞってコピーしますが、欠損の具合を真似するのは難しいことです。
しかも、談志さんで言えば、その欠損はファンに愛されていたのです。
次のポイントは、演じる落語がスナップショットの商品だとすると、
動画のビジネスモデルに相当するものは何か?ということです。
それは、立川談志という人の公の場での日々の言動、
弟子や知人からもれ伝わる様子、マスコミなどの報道内容、
そういったものからつくりあげられ、アップデートされていく
談志の個性、人柄、キャラクターです。
こうして、落語という商品でも、高座上・高座をおりた場もフルに活用して
愛される欠損に磨きをかけ続けてきたと思われます。
ここでコピーできないビジネスモデルのまとめをすると、
・愛される欠損を持った商品である
・その欠損の仕方にオリジナルティがある
・ビジネスモデルがその欠損具合をさらに複雑に更新していくサイクルがある
・そのサイクルの軌跡や蓄積、歴史がさらにファンを魅了する
そういった商品とビジネスモデルは真似しにくい…という結論です。
もちろん、真似されにくくする手法は多種多様にあるでしょうし、
今回の試論は、どちらかというと正当なやり方ではないと思います。
さて、ここからはビジネスから離れて、落語と個人的な思い出話を。
高校のとき、夜、布団の中で落語のテープを聴くようになり、
談志師匠の「ねすみ穴」 に出会いました。
とにかく「ねずみ穴」 が気に入り、そのテープは、
それ以来、繰り返し聴いてきました。
社会人になって、仕事で少しだけ談志師匠に触れる機会がありました。
ただ、自分はペーペーでしたし、こんなことを書くのは本当に憚られるのです。
上司から言付かった物を渡すために楽屋に行ったときも、
入る勇気がなくて、いつまでも、もじもじしていたくらいです。
後年、「ひとり会」 で師匠が「ねずみ穴をやります」 といった瞬間は
会場の隅で身震いしたものでした。
ただ、わずかな機会でもご本人に触れる中で、
時折、驚くほどフレンドリーだったり、優しかったり、寛容だったり、
イメージからすると非常に意外な顔を見ることがありました。
それは、立川談志としてパブリックにあるときには絶対に見せない顔でした。
切り替えをしているな、というのが明らかに分かりました。
ここでこういう言動しないと談志のメンツにかかわる、
ここで引いては立川談志に申し訳が立たない、
2、3度ほどですが、そういう切り替えを感じたことがありました。
やはり、松岡克由という人間が、自分の性格や気持ちを越えて、
立川談志というトリックスターを演じていたのでしょう。
さて、ご一緒させていただいた仕事がひと段落した後は、
だんだんと高座に行く機会も減り、チケットが手に入りにくいこともあり、
しまいには全然行かなくなってしまいました。
談志師匠のCDは50枚くらい持っているので家では聴いていましたが。
むしろ、立川志らく師匠が面白くなって「志らくのピン」には毎回行っていました。
そんな談志空白状態が続き、2006年でしたか、
池袋芸術座小ホールで開催された談春師匠の会で、
談志師匠の高座を久しぶりに生で聴きました。
談志師匠の高座は、あの懐かしい欠損具合が
自分が聴き込んでいたときよりも一層洗練されていて、
さらに新しい欠損のパターンもあり、
あれからここまで、たゆまぬ努力でここまでの境地に至ったのかと
感動というか少しぞっとするような心持もしたのでした。
まあ、私のような素人が計り知れることではないので
このへんでやめておきます。
談志師匠の前では、二度ほど大失敗をやらかしたことがあり、
今でも冷や汗もので忘れることができません。
そういったエピソードは、自分の人生の思い出として
大切に胸に暖めていきたいと思います。
商品が “スナップショット” だとすれば、商品とビジネスモデルをからませて
“動画” にすれば少しは真似しにくくなります。
さらに、そのモデルをどんどん変化させて一定のところにいない、
加えて、端から一見すると非合理に見えるくらい構造を複雑にしていく、
という戦術もあるかと思います。
このあたりのことは、以前このブログにも書きました。
しかし、もっと模倣しにくいビジネスモデルがあります。
ここで思い出すのは、昨年亡くなった立川談志師匠です。
一時期、数年間だけですが、行ける限りの高座を追いかけた時期がありました。
特に国立演芸場の「ひとり会」では、
高座の途中で解説を始めたり、悩みだしたり、途中でやめてしまったり、
何を演ろうかと高座でメモを見ながら検討しはじめたり…
その落語には「欠損の仕方」にオリジナリティがありました。
それだけでなく、そのほつれ具合、破れ具合も複雑であったように思います。
そこで、今回のテーマの最初のポイントは、
「 欠点は模倣しにくい 」 ということです。
同業他社の優れた着眼点、コンセプト、良い機能やデザインなどは、
皆こぞってコピーしますが、欠損の具合を真似するのは難しいことです。
しかも、談志さんで言えば、その欠損はファンに愛されていたのです。
次のポイントは、演じる落語がスナップショットの商品だとすると、
動画のビジネスモデルに相当するものは何か?ということです。
それは、立川談志という人の公の場での日々の言動、
弟子や知人からもれ伝わる様子、マスコミなどの報道内容、
そういったものからつくりあげられ、アップデートされていく
談志の個性、人柄、キャラクターです。
こうして、落語という商品でも、高座上・高座をおりた場もフルに活用して
愛される欠損に磨きをかけ続けてきたと思われます。
ここでコピーできないビジネスモデルのまとめをすると、
・愛される欠損を持った商品である
・その欠損の仕方にオリジナルティがある
・ビジネスモデルがその欠損具合をさらに複雑に更新していくサイクルがある
・そのサイクルの軌跡や蓄積、歴史がさらにファンを魅了する
そういった商品とビジネスモデルは真似しにくい…という結論です。
もちろん、真似されにくくする手法は多種多様にあるでしょうし、
今回の試論は、どちらかというと正当なやり方ではないと思います。
さて、ここからはビジネスから離れて、落語と個人的な思い出話を。
高校のとき、夜、布団の中で落語のテープを聴くようになり、
談志師匠の「ねすみ穴」 に出会いました。
とにかく「ねずみ穴」 が気に入り、そのテープは、
それ以来、繰り返し聴いてきました。
社会人になって、仕事で少しだけ談志師匠に触れる機会がありました。
ただ、自分はペーペーでしたし、こんなことを書くのは本当に憚られるのです。
上司から言付かった物を渡すために楽屋に行ったときも、
入る勇気がなくて、いつまでも、もじもじしていたくらいです。
後年、「ひとり会」 で師匠が「ねずみ穴をやります」 といった瞬間は
会場の隅で身震いしたものでした。
ただ、わずかな機会でもご本人に触れる中で、
時折、驚くほどフレンドリーだったり、優しかったり、寛容だったり、
イメージからすると非常に意外な顔を見ることがありました。
それは、立川談志としてパブリックにあるときには絶対に見せない顔でした。
切り替えをしているな、というのが明らかに分かりました。
ここでこういう言動しないと談志のメンツにかかわる、
ここで引いては立川談志に申し訳が立たない、
2、3度ほどですが、そういう切り替えを感じたことがありました。
やはり、松岡克由という人間が、自分の性格や気持ちを越えて、
立川談志というトリックスターを演じていたのでしょう。
さて、ご一緒させていただいた仕事がひと段落した後は、
だんだんと高座に行く機会も減り、チケットが手に入りにくいこともあり、
しまいには全然行かなくなってしまいました。
談志師匠のCDは50枚くらい持っているので家では聴いていましたが。
むしろ、立川志らく師匠が面白くなって「志らくのピン」には毎回行っていました。
そんな談志空白状態が続き、2006年でしたか、
池袋芸術座小ホールで開催された談春師匠の会で、
談志師匠の高座を久しぶりに生で聴きました。
談志師匠の高座は、あの懐かしい欠損具合が
自分が聴き込んでいたときよりも一層洗練されていて、
さらに新しい欠損のパターンもあり、
あれからここまで、たゆまぬ努力でここまでの境地に至ったのかと
感動というか少しぞっとするような心持もしたのでした。
まあ、私のような素人が計り知れることではないので
このへんでやめておきます。
談志師匠の前では、二度ほど大失敗をやらかしたことがあり、
今でも冷や汗もので忘れることができません。
そういったエピソードは、自分の人生の思い出として
大切に胸に暖めていきたいと思います。