グループ会社のエライ方が階下に降りてくることがある。
明るくて、大変愛想がよく、そして腰が低い。
「やや、いつもありがとうございます」
「はー、すごいですねぇ」
「こちらこそ、いやー、どもども…」
なんて言いながら、深いお辞儀をして去っていく。
「困っちゃうよな。あんなエライ人にお辞儀されちゃあ」
と満更でもない風情なのは我が上司。
さすが、組織のトップに立っていた方は謙虚だなと
自分も感心しかけたのだが、
何かひっかかる。
どうも過剰と言うか、浮ついた感は否めないのである。
そして、あの腰の低さがどこから発しているのかと考えてみると、
それは「余裕」なのではないかと思った。
自分が絶対的に立場が上である、どんなに腰を低くしても自我は傷まない。
むしろ「こんなにエライのに腰の低い自分ってなんて器が大きいんだろ」みたいな。
自分の来し方の中で、尊敬できる人、謙虚だなと思う人を思い浮かべてみた。
どの方も、静かで重みのある謙虚さだったような気がする。
好みの問題だろうか。
さて、自分は「浮つき派」「重み派」どっちかと自省してみれば、
明らかに「浮つき派」です。
人間は自分の欠点を人の中に見出して嫌な気分になることがあります。
自戒の念をこめて。
明るくて、大変愛想がよく、そして腰が低い。
「やや、いつもありがとうございます」
「はー、すごいですねぇ」
「こちらこそ、いやー、どもども…」
なんて言いながら、深いお辞儀をして去っていく。
「困っちゃうよな。あんなエライ人にお辞儀されちゃあ」
と満更でもない風情なのは我が上司。
さすが、組織のトップに立っていた方は謙虚だなと
自分も感心しかけたのだが、
何かひっかかる。
どうも過剰と言うか、浮ついた感は否めないのである。
そして、あの腰の低さがどこから発しているのかと考えてみると、
それは「余裕」なのではないかと思った。
自分が絶対的に立場が上である、どんなに腰を低くしても自我は傷まない。
むしろ「こんなにエライのに腰の低い自分ってなんて器が大きいんだろ」みたいな。
自分の来し方の中で、尊敬できる人、謙虚だなと思う人を思い浮かべてみた。
どの方も、静かで重みのある謙虚さだったような気がする。
好みの問題だろうか。
さて、自分は「浮つき派」「重み派」どっちかと自省してみれば、
明らかに「浮つき派」です。
人間は自分の欠点を人の中に見出して嫌な気分になることがあります。
自戒の念をこめて。